セリーヌとジュリーは舟でゆく|ジャック・リヴェット

 

各地のミニシアターで上映されている今回の「ジャック・リヴェット映画祭」では、5本中、3本が日本劇場初公開です。

セリーヌとジュリーは舟でゆく」(Céline et Julie vont en bateau 1974)は「北の橋」とともに本邦公開済みの作品です。
おそらく十数年前に鑑賞しています。
しかし、ほとんどその内容が記憶から抜け落ちていました。
実質、初見に近い鑑賞です。

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一度観たはずなのに、なぜリヴェットの代表作ともいわれるこの映画の記憶がないのか。
理由は簡単で、ほとんど眠ってしまった、からです。
つまらなかったというよりも、途中から話の筋を追うことを自然と頭がやめてしまったようなところがあったのかもしれません。
今回はしっかり濃い目のコーヒーを飲んでのぞみました。
(なお3時間以上かかるので大量に水分をとると、後で困ったことになります)

しかし、またすぐ睡魔が襲ってきました。
あまりにも映画の語法が軽やかで心地良いのです。
モンマルトルの坂道を追いかけっこするジュリエット・ベルトとドミニク・ラブリエの瑞々しい軽み。
意味不明な会話劇から生じる独特の快適なテンポ感。
途中で数秒意識がとんだかもしれません。
ようやく、ビュル・オジエたちがフラッシュバックのように登場してくる怪しげな館の情景が写り込んできたあたりから頭の中が冴えてきました。

終始、リヴェットらしい「現場感」が伝わってくる映画なのですが、とりわけこの作品が魅力的なのは、演者とカメラマン、監督たちの距離がとても近しく感じられるところにその理由があるのではないでしょうか。
前半、セリーヌが劇場仲間たちと罵り合いを交えながらおしゃべりするシーンがあります。
結構ひどいことを言い合っているのですが、不思議にその輪が壊れることはなく、会話が自然に続いていきます。
この映画自体、演者とスタッフたちが、実際こんなふうに遠慮なくコミュニケーションしながら、映画の創造自体を楽しんでいたのではないか、その刺激と喜遊に満ちた現場の空気が映像自体に輝きを与えているように感じられます。

つまり、雰囲気的にはとても多幸感に満ちた映画といえるかもしれません。

しかし、今回完走鑑賞して、実はこの作品、ものすごく怖いことを描いているのではないかと戦慄してもいます。
バーベット・シュローダーやビュル・オジエが奇妙に緑がかったメイクで亡者のように変化するシーンのことを怖いと言っているわけではありません。
この映画は、「終わらない」、というか、「終われない」ことを描いた、一種の無限地獄的内容をもっています。
そこが、とてつもなく怖いのです。

最後まで見終わると、一気に最初のシーンが頭の中に蘇ります。
そして気がつきます。
セリーヌもジュリーも、ひょっとしたら観客たちも、永遠にこの物語を「終わることができない」のではないか、ということに。

冒頭、公園のベンチでジュリーが読んでいる本は『魔法』というタイトルをもっています。
彼女はその本を参考に、足で地面に円と三角のような図形をかなりいい加減に描いています。
しかし、これがおそらく「魔法陣」だったのです。
知らず知らずにジュリーは世界にとんでもない魔法をかけてしまっていたことになります。
公園の猫だけが、世界の構造が変わったことに気がついたように警戒した動きを見せます。
そこへセリーヌが登場し、サングラスを落としていきます。
ジュリーは落とし物をセリーヌに渡すため追いかけますが、途中からどうも様子が違ってきます。
普通ならあり得ない、何かまるでこれが必然かのように納得しながら、二人の無意味な追いかけっこが始まります。
最後のシーンを見た後に思い出すと、冒頭、偶然出会ったように見えるこの二人が、なぜ、唐突に共同生活を始めるまでに至ってしまうのか全て納得できてしまうのです。

登場人物たちが、永遠に同じ内容の世界を繰り返す魔法にかけられてしまったことが、天才的なメタ視点構造によって表出された映画です。
最後にジュリーがセリーヌに決定的に入れ替わってしまい、また「追いかけっこ」が始まるわけですが、この入れ替えに気がついているのは、実は、観客だけです。
ジュリーから始まりジュリーに終わっていれば、この映画は映画自体の世界の中だけで「無限ループ」を繰り返すだけです。
しかし、ジュリーがセリーヌに入れ替わってしまうと、話が違ってきます。
最後の最後に、今度はセリーヌがジュリーを追いかける無限ループが「別次元」でスタートしたということを観客は了解せざるを得なくなっているのです。

で、次にその無限ループを生み出しているのは、セリーヌなのか、ジュリーなのか。
もう、それはわかりません。

つまり、なかなかあり得ない体験なのですが、映画の中の無限ループに、観客が巻き込まれてしまって、「終わることができない」のです。
考えようによっては、これほど恐ろしい、本質的な恐怖体験はありません。

結構、観終わった後、尾をひく、凄い作品でした。