「歩いて見た世界」。
原題は"Nomad: In the Footsteps of Bruce Chatwin"(2019)です。
そのまま「ノマド」でも良さそうですが、この言葉は、近年、「はたらき方」的意味が付与されてしまい、言葉として安っぽく陳腐化してしまいました。
また、映画の題名としても既に「ノマドランド」で使われてしまったともいえますから、一見かなり訴求力の乏しいこのタイトル「歩いて見た世界」に落ち着いたようです。
でもこの邦題は、映画の内容に実はかなり即した意訳でもあって、それはラスト近く、チャトウィン自身の重要な言葉として示されています。
神保町の岩波ホールが、2022年7月、閉館します。
1968年の開館。
約半世紀に及ぶ歴史をもった文芸系ミニシアターの老舗です。
私は世代的にこの映画館にお世話になったことはあまりないのですけれど、また一つ、神保町に行く理由が減ってしまう寂しさは感じます。
岩波ホール、その最後の上映作品に選ばれたのが、このヴェルナー・ヘルツォークによる長編ドキュメンタリーです。
この映画館の終幕として、さりげなく、ふさわしい一本といえるかもしれません。
深く交流していたというブルース・チャトウィンとヴェルナー・ヘルツォーク。
監督自身が出演しつつ、1989年、若くしてHIV感染症で亡くなった天才紀行作家の足跡をたどっていきます。
両者に強く共通するところがあります。
それは、いかなる覆いも皮膜も取り外された、「生」そのものの表現だと思います。
「剥き出しの生」と言ってしまうと、たちどころにアガンベンと間違われてしまうので注意しなければならないのですが、ブルース・チャトウィンが南米やオーストラリア、アフリカで探し求めた世界も、ヴェルナー・ヘルツォークがクラウス・キンスキーに求めた演技も、その底にあるものは、「むきだしにされた生」に他なりません。
ヒリヒリするくらい「生」との距離が近い光景が語られ、写されていきます。
ここで語られている「生」は、何も肉体的な面に限定されてはいません。
チャトウィンが魂の拠り所とした場所。
それはイングランド、ウィルトシャーのストーンサークル群です。
今でもチャネリングを熱心に行う人を見ることができる、スピリチュアル系の聖地。
8つのチャプターから成るこの映画の第2章に登場します。
ヘルツォーク作品の熱心なファンで、特に「フィツカラルド」(1983)を好んでいたというチャトウィンは、「コブラ・ヴェルデ」(1987)で実際、監督と共作関係を持つに至ります。
チャトウィンの『ウイダーの副王』が「コブラ・ヴェルデ」の原作です。
この映画は、実質、クラウス・キンスキーをヘルツォークが起用した最後の作品となってしまったのですが、ドキュメンタリーの中で、監督自身がそのいきさつを生々しく語っています。
キンスキーは撮影現場で例によってかなり荒れていたらしく、ときに関係者に暴力を振るうこともあったのだとか(これもこの時に限ったことではなかったようではあるのですが)。
ついに堪忍袋のおがきれたヘルツォークはその振る舞いが許せず、以後、この盟友とも言える俳優と距離をとることになります。
一方、撮影現場に来ていたチャトウィンは、既にかなり病に冒されていましたが、アフリカの王たちとの出会いを心底喜んでいたと語られています。
「コブラ・ヴェルデ」以外にも「生の証明」他、随所にヘルツォーク映画の一場面が挿入されていて、見どころの一つになっています。
「日常的なストレスには弱いが、突発的な危機に対しては強靭な人」。
チャトウィンはこんな趣旨でヘルツォークのキャラクターを端的に表現しています。
それを裏付けるような撮影中の雪山でのアクシデントと、そのときヘルツォークの命を救ったというチャトウィンの形見、「リュックサック」のことが感動的なエピソードとして挿入されていました。
女も、男も、「ティー・コージー」まで魅了してしまったという、超人的イケメン、ブルース・チャトウィンを最後に看取った妻のエリザベス。
その顔全体に深く刻まれた皺が印象的でした。
音楽は、この人もヘルツォークの盟友と言えるエルンスト・レイスグルが担当し、苦く渋く深みのあるチェロで画面を支えています。
85分間。
とても濃厚で美しいドキュメンタリーでした。