改修工事を終え、今年2022年4月にリニューアル・オープンした国立西洋美術館。
2020年から約1年半に及んだ休館中にも、版画などを中心にコレクションを増やしていて、現在、常設展でその新収蔵品が披露されています。
中でも、ひときわ魅入られた作品があります。
ジョン・エヴァレット・ミレイの「狼の巣穴」(The Wolf’s Den)。
1863年に描かれた油彩画です。
しばらく個人蔵となっていましたが、2020年10月、約1.1億円で西美が購入しました。
この作品はもともと松方幸次郎が1920年に入手。
旧松方コレクションを構成していた一枚でした。
川崎造船所の経営破綻を受けて銀行に差し押さえられ、1928年、美術市場へ流出。
一昨年、国立西洋美術館によって約100年ぶりに「買い戻された」というわけです。
西美には同じミレイの作品として「あひるの子」(これも旧松方コレクション)が所蔵されています。
どちらも子供が主題の点で共通しますが、純真そうな少女が描かれた「あひるの子」に比べ、「狼の巣穴」はどこか異様な空気が漂っていて、そこが非常に魅力的な作品と感じます。
4人の子供が描かれています。
いずれもミレイの息子、娘たちです。
ミレイは1855年、ジョン・ラスキンとの婚姻関係を解消したエフィー・グレイと結婚。
ラスキンと「交渉」がなかったといわれるエフィー・グレイは、まるで堰を切ったようにミレイと子作りに勤しむことになります。
1856年に長男エヴァレット、57年次男ジョージ、58年長女エフィー、60年に次女メアリーが生まれています。
この絵が描かれたのは1863年です。
写された子供たちの姿は実年齢とほぼ見合っているようです。
画面中央で、こちらに向かって掴みかかるように手を伸ばし、何かを凝視しているような、不思議に硬い表情をみせている少年が長男のエヴァレットでしょう。
当時7歳くらいということになりますが、可愛らしさというより、異様な意思、不気味な執着、あるいは何かに強く抵抗しようとしているような気配をその眼差しから発しています。
よく見ると、他の三人の子供達の顔にも笑顔はなく、次女のメアリーとみられる少女は今にも泣き出しそうな表情。
画家自身の家族を写しているにも関わらず、絵全体からは何か不穏な気分が漂ってきます。
その理由はある意味明白で、子供たちはミレイによって「狼」のようにふるまうように促されているから。
18世紀後半、イングランドで流行した「ファンシー・ピクチャー」は、いわば子供にコスプレさせて画題を楽しむというあまり趣味の良い絵画ジャンルではありませんが、ミレイはこれを19世紀後半、時代の好みにあわせたように、復活させます。
ピアノの下を「狼の巣穴」としてみたてたこの絵も「ファンシー・ピクチャー」の伝統をふまえた作品です。
本来はミレイの子供たちへの愛情とユーモアに溢れた作品とみるべきなのでしょう。
子供たちも父の要求に従って、単に、狼を演じているだけです。
しかし、結果的に画家の画力によって、この時期の子供たちにみられる、その手に負えないわがままさ、大人になると忘れてしまう、底知れない純粋な欲望のようなものが写し取られてしまっているようにも見えてくるのです。
奇妙な緊張感を強いられる、家族の肖像、です。
この後さらに夫妻は子供を増やし、結局8人もの養育をしなくてはならなくなったミレイは、ラファエル前派の中心的な画家の一人とみなされていた時期と画風を大きく変え、「売れる絵」を量産していくことになります。
「あひるの子」などはその典型で、かつて「オフィーリア」に描かれた美しい狂気の世界からはかなり遠く、ヴィクトリア朝のマーケット・ニーズに果敢に応えようという画家の目論見が強く感じられる作品です。
そういう経緯を知ってこの絵「狼の巣穴」をみると、ますます、毛皮を被った少年の「視線」に因縁めいたものを感じてしまいます。