鏑木清方と吉川霊華

京都国立近代美術館では、現在同館3階で開催中の「没後50年 鏑木清方」展(2022年7月10日まで)にあわせ、4階のコレクション展示室で清方ゆかりの作品や美人画を特集しています(こちらは7月18日まで)。

 

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鏑木清方は1916(大正5)年、結城素明平福百穂吉川霊華、松岡映丘と共に、「金鈴社」を結成。

当時の文展を中心とした美術界に批判的な立場を鮮明にしつつ活動していた時期があります(1923年には解散)。

今回の京近美コレクション展では、結城素明「秋風」、平福百穂「清江捕魚」、吉川霊華狭衣物語」の3点が、清方の「砧」の前でまとめて展示され、かつての金鈴社の面々が久しぶりに顔を合わせるような趣向が仕組まれていました。

 

吉川霊華狭衣物語」(京都国立近代美術館蔵)

中でもひときわ素晴らしい傑作が吉川霊華(1875-1929)による「狭衣物語」。

チフスにより54歳で急逝する前年、1928(昭和3)年に描かれた一幅で、淡い彩色が施された墨画です。

金鈴社解散後の作品ですが、箱書は平福百穂が書いています。

このグループは、トラブルや仲違いで解散したわけではないので、メンバー同士は良好な関係を維持していたようです。

 

王朝装束に身を包んだ女性と子供が舟を出迎えるような情景が描かれています。

しかし「狭衣物語」の具体的にどの場面に相当するのかは、霊華自身が明らかにしておらず、よくわからないようです。

線の芸術を極めた画家、霊華らしい繊細な筆致と、徹底した古典様式の追求が異様に研ぎすまされた美空間を作り上げている名品だと思います。

 

金鈴社自体が、当時の文展体制への反発から結成された団体ですが、吉川霊華の独自性は、5人の中でもとりわけエキセントリックだったといえるかもしれません。

この画家は幕末に活躍したガチガチの復古主義絵師、冷泉為恭(1823-1864)に私淑しています。

冷泉為恭「足柄山図」(奈良県立美術館蔵)

間もなく明治維新という時代に、有職故実、王朝文化に傾倒した為恭の画風はいくつか残る作品にうかがうことができますが、霊華の場合、さらにそのスタイルを先鋭化、徹底追求したところがあるように思えます。

 

霊華の作品からは、格調高さと同時に滲み出る、神経質なくらい研ぎ澄まされた様式美が感じられます。
そこにとても惹かれる画家です。

 

2012(平成24)年、東京国立近代美術館が開催した「吉川霊華展」で展示されたとき、「狭衣物語」はまだ個人所有となっていました。

翌2013年、京近美が購入しています。

吉川霊華は個人コレクションに収まっている作品が非常に多い画家として有名で、公立のミュージアムでの展示機会はその実力に比して滅多にありません。

今回の「狭衣物語」の展示は、いわば鏑木清方のお陰で目にすることができているともいえます。

その清方ですが、実は金鈴社を結成するかなり前から、吉川霊華の評判を知っていました。

清方がまだ水野芳年の弟子だった17,8歳の頃、師匠から、霊華がいずれ大物の画家になることを聞かされていたのだそうです。

 

(以上 東京国立近代美術館吉川霊華展」(2012)図録を適宜参照し記述しました)

 

結城素明「秋風」(京都国立近代美術館蔵)

平福百穂「清江捕魚」



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