太田三郎展「人と災いとのありよう」
■2022年7月5日〜9月11日
■BBプラザ美術館
阪神・岩屋駅近くのBBプラザで太田三郎(1950-)の個展が開かれています。
この人の作品は東京国立近代美術館のコレクション展で代表作《Seed Project》シリーズを観たことがあるくらいで、まとまった作品群を鑑賞するのは今回が初めてです。
驚きました。
夥しい「切手シート」が展示されています。
一枚一枚切り離されたものではなく、4列X5列といったシート単位で製作されています。
一見、ミニマルアート的な印象が先行するのですが、それが紛れもなく「切手」にあまりにも近似しているので、別の感覚が呼び起こされてきます。
《Disposable Masks》のシリーズは、いうまでもなくコロナ禍に直結した作品です。
2020年から21年にかけて制作されていますから、ある意味、まさに「現在の災い」がとらえられています。
土の上に置かれた、あるいは捨てられたとみられる「使い捨てマスク」が切手の図案となっています。
道端に落ちているマスクをみたときに感じる、言いようの無い虚無感や不快感。
それが、非常に小さい切手の一枚一枚となってシート上に連続すると、不思議なメッセージ性を帯びてきます。
切手は、それ自体が「伝えること」を実現するための制度的手段であると同時に、図案自体も見る者にイメージを伝達します。
徹底的に作り込まれたこれらの擬似切手には、マスクが撮影されたとみられる岡山県津山市、すなわち太田三郎が住んでいる場所が文字として印字され、額面金額のように見える数字は制作年を意味しています。
切手シート上に連続しているマスクは一枚一枚、全て違っています。
作家自身がつけていたものなのか、あるいは家族、身近な人たちのものなのか。
そのいずれでもない、本当に知らない第三者が津山市内で「使い捨てた」マスクなのかもしれません。
じっと見ていると、もはや日常化してしまったこの「災い」の、じっとりとした、見えない災厄性が、個々人の身体にしっかり貼り付いてきた「ありよう」が滲み出てくるように感じられました。
西日本豪雨、広島土砂災害、東日本大震災、阪神・淡路大震災といった近過去の災害に加えて、太平洋戦争も、この個展では「災い」として組み込まれています。
《Post War》のシリーズも太田三郎を代表する作品群です。
こちらでは、マスクとは違い、同一人物の肖像写真が連続しています。
同じ図案が反復連続するので、表面的には一層ミニマルアート的なイメージが強く感じられます。
しかし、「切手化」された人々の顔は、マスクの匿名性とは真逆の、強烈で直接的な実存性を帯びていて、図像が小さい分、表情それぞれに圧倒されます。
「歴史」と「時間」が小さい四角形の中に息苦しさを感じさせるほど、凝集されていました。
「災い」がテーマですから当然に重苦しい内容なわけですが、こういう企画で往々にして感じられる、いわゆる「押し付けがましさ」が全く感じられません。
ミニマルな手法を、中途半端ではなく徹底的に使いこなしたアーティストの技が奏功しているからかもしれません。
もちろん地域との現場でのつながりを大切にしているとみられる太田三郎らしい、あたたかみやインティメートな発想がこめられた作品も展示されています。
地元岡山のローカル鉄道、井原鉄道の車両に大原美術館のコレクションを切手化してラッピングした「アート列車」に関する展示は、アイデア性とクオリティの高さが程よくブレンドされた好企画と感じました。
ほとんどモノクロ世界の中、異彩を放っていた作品が、本展のメインビジュアルに採用されている《Bird Net ー世界はつながっている「献花」》です。
2022年の制作ですから太田三郎のおそらく最新作と思われます。
農業用の鳥網に大量の切手が絡まっています。
今は販売が終了している15円普通切手の小さい菊たちが、作家のややアイロニックなセンスによって、意味を幾重にも反転させているように見えました。