検閲者の眼で観た「アンドレイ・ルブリョフ」

アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)の生誕90年を記念し、5月頃から各地のミニシアターで特集上映企画、「タルコフスキー、アトモスフェア」が開催されています。

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とっても当たり前のことですけれど、「生誕90年」ということは今年2022年、もしタルコフスキーが存命であれば、90歳ということです。

まだ現役で作品を撮り続けている可能性がある年齢。

にも関わらず、かなり昔の監督というイメージが先行してしまうのは、54歳の若さで亡くなったことに加えて、残された作品があまりにも孤高的美しさをもっているために、早くから「映画史の人」になってしまったから、なのかもしれません。

 

アンドレイ・ルブリョフ」(1966)を観てみました。

 

当時のソ連当局による上映許可が降りず、1971年、同国内で公開されるまで5年を要した作品として知られています。

タタール人による殺戮シーンの一部など、問題として指摘された場面のカットに応じ、タルコフスキー側も検閲と折り合いをつけるために努力したにも関わらず、なぜこんなに時間がかかってしまったのか。

漠然と「反体制的」な描写が理由とされていますが、実際に観てみると、具体的に、これは当局から嫌われるだろうなあ、という部分が随所に見受けられます。

しかも、それが全体の構成と不可分となっているため、単純にカットすれば良いというレベルを超えているところが検閲当局にとってやっかいな事態を招いていたといえるかもしれません。

 

あえて、ソビエト社会主義共和国連邦文化省の検閲官になったつもりで「アンドレイ・ルブリョフ」を確認するとどうなるか。

この作品には至る所にタルコフスキーによる周到な「批判」のメタファーが仕掛けられていることに慄然とします。

 

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「プロローグ」では本編と関連がないエピソードが描かれています。

ある修道僧が熱気球で遊覧飛行するお話。

しかし、気球はすぐに萎んで落下し、ブクブクと音を立てながら川面に沈んでいきます。

飛翔する気球を「自由な芸術の創造」、その象徴と考えれば、タルコフスキーが何を言いたいのか、検閲官にはすぐ理解できたはずです。

本編で明確に回収されることなく放置されるこの「プロローグ」は、逆にそれゆえ、本編全体に丸ごと関わり、この映画自体を象徴する効果をもっています。

つまり「プロローグ」は、独立しつつも、作品全体について「飛んではみたが、落ちて沈んだ」ということをはじめに宣言していると解釈できてしまう。

検閲官からしてみれば、落ちた理由が、当局による制作方針への影響力によるものだと言われているに等しいわけですから、面白いはずがありません。

しかし、それを理由に「プロローグ」の削除を指示すれば、とりもなおさず、検閲体制の正当性を否定してしまうことになります。

最初からタルコフスキーは大胆な「罠」を仕掛けているのです。

 

アイロニーに満ちた監督の「批判メタファー」は本編でも連続します。

 

本編冒頭で描かれる旅芸人が兵士に捕縛されるシーンは、露骨にソビエト社会でおきていた「密告」の様相につながっています。

ルブリョフの同僚、修道士キリルは、旅芸人を密告した犯人として最後に自白するわけですが、この人物は、自らの権威を高めようと、わざと衆目の前で宮廷画家に指名されるように画策するなど、この映画の中で最も醜悪な存在として執拗に描かれています。

密告と権威主義

これも当局からすると痛いところをつかれていると感じざるをえない要素でしょう。

 

後段の主要エピソードである「鐘」の物語も皮肉が効いています。

巨大な鐘の鋳造を任された青年に、年配の鋳物工夫たちはことあるごとに「経験」を盾に逆らい、訳知り顔の忠告をさし挟んできます。

これは当時、映画制作の現場でおそらくタルコフスキー本人が感じていたことなのでしょう。

当局と、その権威に寄り添ったベテラン映画関係者たちの「指導」は、年配鋳物工夫たちのそれと、おそらく相似形を為しています。

ところが、そうした「指導」をことごとく激しく無視し、青年が見事に鐘を作りあげるところで実質本編が終わります。

検閲当局は自分達が「年配鋳物工夫」に喩えられていると考えれば考えるほど、上映にOKを出したくないわけですが、逆に、鐘造りに青年が失敗していたら、今度は「労働」を何より尊ぶ当時のソ連社会では受け入れられないフィナーレとなってしまいます。

ここでもタルコフスキーの「罠」は周到です。

 

さらに、もっと大掛かりな当局批判の隠喩がこの映画にはみられます。

アンドレイ・ルブリョフは、言わずと知れた大イコン作家。

画家です。

でもこの映画で、アナトリー・ソロニーツィン演じるルブリョフが絵筆をもってイコンを描くシーンはほとんどありません。

画家の生涯を描いているのに、作画の現場をとらえたシーンがないのです。

ソ連正教会の存在を抑圧していた事情があるにせよ、あまりにも極端な映画表現。

そもそも、ルブリョフを題材にする段階で、キリスト教が関係してくることは当たり前であり、当局も制作自体を許した以上、ある程度、イコンそのものが描かれるシーンは想定していたと思われます。

また、キリストが磔刑に処される場面が、場所がロシアに置き換えられているにせよ、しっかり挿入されています。
ここはカットの対象にはならなかったということです。

 

しかし、タルコフスキーは、「あえて」といって良いレベルで、イコン描画自体の場面を撮っていません。

代わりに「エピローグ」として、ルブリョフの代表作を淡々と映し出すだけです。

その「エピローグ」では、全体図像よりも細部に焦点が当てられていて、神や聖人の姿が信仰の対象として映像化されないように配慮されているともいえます。

しかし、この部分だけ、とってつけたように「カラー」になります。

タルコフスキーによって写し撮られたルブリョフの「筆致」がここで明瞭に示される皮肉。

 

監督自身は、15世紀におけるイコン制作の場面が現代では再現できないことを理由に作画の場面を撮らなかったと発言していて、一見、もっともらしい理由であるように思えます。

しかし、であれば、そもそも「画家の映画」を撮ること自体、企画段階からどうしようもない矛盾を抱えてしまっていたことになります。

結局、タルコフスキー自身が、この映画で「イコン画家ルブリョフ」を最初から描くつもりがなかったことを吐露してしまっているのです。

 

あえて写されなかったクリエイティヴな「画業」それ自体は、青年による鐘造りに置き換えられています。

でも、その「鐘」のシーンは前述の通り、それ自体がアイロニーになっています。

「プロローグ」「鐘」「エピローグ」、三つのパートがそれぞれ入れ子のように重なりあって、「批判」のテーマを奏でている超大作。

検閲当局がこの作品を許せなかった理由は、タルコフスキーによる非常に手の込んだ「反抗」そのものにあったのではないでしょうか。

 

タルコフスキーはこの映画を撮ったとき、30歳代前半。

すでに「水」のモチーフが多用されるなど、独特の映像美、語法がみられますが、「アンドレイ・ルブリョフ」の背骨には、まだ「反抗期」だったことを隠しもしなかったタルコフスキーの若さとその複雑さが十分感じられると思います。