美術館「えき」KYOTO開館25周年記念 シダネルとマルタン展 最後の印象派
■2022年9月10日〜11月6日
■美術館「えき」KYOTO
ちょうど昨年の9月、ひろしま美術館からスタートしたアンリ・ル・シダネルとアンリ・マルタンの特集企画展。
山梨、東京、鹿児島を経て京都に巡回してきました(最終巡回地は三重のパラミタミュージアム)。
随分と息長く全国を行脚している展覧会です。
アンリ・ル・シダネル(Henri Le Sidaner 1862-1939)とアンリ・マルタン(Henri Martin 1860-1943)。
これほどまるで相似形を成しているような画家の組み合わせは珍しいようにも思えます。
象徴派や印象派、ポスト印象派の画風を取り入れながら、目まぐるしく変化していく近代フランス画壇の波にはある時期から全く乗らず、一貫してアンティミスム(親密派)の世界にとどまった二人。
生没年までほぼ重なっている二人のアンリによる作品は、ぼんやり鑑賞していると、次第にどちらがジダネルなのかマルタンなのかわからなくなってくるくらい似通っています。
実際この人たちは親交を結んでいて、互いの家族を題材にした肖像画まで描き合う仲を終生保持していました。
おそらくシダネルもマルタンも画風が似ていることを、各々に、十分意識していたはずです。
激しい芸術家気質の人たちなら、同族嫌悪の斥力が働き、むしろ反発しあっても良さそうなものですが、そういうことにはならなかったらしいのです。
どうやらアンリさんたちからは、とても「良い人」という印象を受けます。
誰が見てもとっつきやすい画題を、少し前に流行った手法、すなわちサンボリズムの微妙な気配や、色彩分割を巧みに駆使して量産した二人の画家たちは、経済的にも社会的にもそれなりの成功を収めています。
ガチの象徴派や、モネやシニャックの絵は、日常的な室内に飾った場合、一枚で部屋そのものを支配してしまいそうですが、マルタンやシダネルの絵画は、おそらく同時代の消費者たちが暮らした室内にあって、でしゃばることなく溶け込みながら、それでも当時において、ある程度の「モダン」さを醸し出してくれる魅力があったようです。
しかし、こうした「親密さ」が、後世、芸術史的にはこの二人をやや日陰に追いやってきたともいえるし、私自身、いかにも微温的な彼らの作品を殊更に好んできたわけではありません。
しかし、今回の企画でまとめて二人の作品を鑑賞し、ちょっと認識をあらためなくてはならない点に気がついてもいるのです。
画題や画風にとり立てて新鮮な刺激があるわけではありません。
でも、各々の作品に共通して見られる素晴らしい点があります。
彼らの確固とした技術力の高さ、です。
マルタンの点描はその滑らかさとニュアンスの豊かさにおいて、ある意味、シニャックを凌駕しているともいえるし、シダネルの微細な色調の階梯はベルギー象徴派をさらに洗練させたような香気をたたえているようにも感じます。
マルタンもシダネルも若い頃、伝統的かつ厳格な絵画技法を叩き込まれた人たち。
その土台があってこその「アンティミスム」なのです。
図版や写真などでは感得できない、細やかな筆致による造形と微妙な色彩魔術がどの作品からも立ち上ります。
農夫たちや少女、庭やテラスなど、一見通俗的な題材をとらえているのに、不思議といやらしさがほとんど感じられないのは、二人のアンリが身につけた非常に洗練された技術力の高さによるものなのでしょう。
マイナーな美術館や個人の所蔵品が多数を占めています。
中にはアラン・ドロンが所持していたという作品(シダネル「ジェルブロワ、花咲く木々」)も。
とにかくたくさん作品を創造し、かつ、売れた人たち。
十分メジャーな二人の画家ですが、その死後、どちらかというと絵画史の傍流に置かれてきたために、まだまだ日の目を見ていない作品が隠れていそうにも思います。
巡回してきたひろしま美術館やSOMPO美術館に比べ、京都伊勢丹内にある「えき」KYOTOは規模が小さいため、やや窮屈な展示空間かもしれません。
コーナーによっては混雑するとストレスを感じてしまうくらいの狭さですが、その分、絵画と「親密な」距離が取りやすい、かもしれません。
なお、3点ほど写真撮影がOKとなっています。