クルーゾーの「地獄」|ロミー・シュナイダー映画祭

 

今年2022年はロミー・シュナイダー(Romy Schneider 1938-1982)没後40年。

この大女優を特集した映画祭がBunkamuraル・シネマを皮切りに各地のミニシアターで開かれています。

romyfilmfes.jp

 

6本中、2作品が日本劇場初公開。

その内の一本、「地獄」は2009年に公開された一種のドキュメンタリー映画です。

原題は"L'Enfer d'Henri-Georges Clouzot "、「アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『地獄』」。

"L'Enfer"(地獄)は、1964年、すでに大監督としての名声を確立していたアンリ=ジョルジュ・クルーゾー(1907-1977)が、青天井ともいえる予算措置を得て取り組んだものの、結局未完成に終わった映画。

今回初劇場公開された2009年の「地獄」は、テスト撮影を含む、その未完のまま残されたフィルム素材を中心に、当時製作に参加していたスタッフやキャストの証言、クルーゾー自身をとらえたインタビュー映像などで構成されています。

監督はセルジュ・ブロンベルクとルクサンドラ・メドレア。

ブロンベルクが故障で停止してしまったエレベーター内に2時間も閉じ込められてしまうというアクシデントにみまわれたとき、偶然、クルーゾーの未亡人(2番目の妻)がそこに乗り合わせていたのだそうです。

この出会いをきっかけにブロンベルクは未亡人を説得、45年ぶりに「地獄」の映像が日の目を見ることになりました。

まさに「地獄」で「地獄」の蓋が開くような奇跡の邂逅です。


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1964年の「原盤」としての「地獄」は、エッフェルが設計したことでも有名な鉄道観光名所、ガラビ高架橋とその下に広がる人工湖が舞台。

湖畔でホテルを営む夫妻が主人公です。

夫(セルジュ・レジアニ)が、ロミー・シュナイダー演じる妻に妄想ともいえる異様な疑念を抱き、頭がイカれていくというプロット。

狂気に冒された夫の精神世界が「地獄」ということになるのですが、このセミドキュメンタリーでは、監督のクルーゾー自身が、まさに地獄の中にいた、あるいは地獄そのものを作り出していたのではないと思われるくらい、大混乱の様相が繰り広げられていきます。

 

ヌーヴェル・ヴァーグが台頭し、次第に旧弊側の映画人になろうとしていることを十分自覚していたクルーゾーは、この映画で、とにかく「新奇さ」を極端に取り入れようとします。

複眼的なカメラ技法、奇妙に伸縮を繰り返す映像など、凝りに凝ったアクロバティックな撮影で幻視世界の再現に挑戦。

しかし、それは若い世代が撮りあげた、真の意味での「新しい波」とはほど遠い、手段が目的化してしまったような痛々しい映像の断片。

幸か不幸か、サウンドトラックは残されませんでした。

しかし、音楽には当時絶頂期にあった電子音楽の作曲家、ジルベール・アミが参加していて(本人が証人として登場)、おそらく実現していたら、さらにカタストロフ的に尖った音響が映像に組み合わされていたと想像されます。

 

中でも、色彩を反転させる効果を得るために、俳優たちにグレーのファンデーションを施し、緑色の口紅をつけさせて撮られた湖上での水上スキーシーン。

出来の悪いホラー映画にすらなっていない、なんとも言えない珍妙な映像が連続しています。

気の毒なのは俳優陣やスタッフたち。

いつまでも同一シーンの撮影にこだわり続け、ほとんど進行していかない現場。

クルーゾーの執拗な演出指導(というか、嫌がらせ)に疲れきったレジアニは勝手に降板して撮影現場からいなくなってしまいます。

 

 


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ロミー・シュナイダーは最後までつきあっていたようです。

クルクル回るサイケで強烈な色彩とライトの明滅。

それに対して瞬きすることも許されずに晒され続けるなど、撮影の過酷さが伝わってきます。

しかしシュナイダーが立派なのは、全く疲弊している様子などを見せず、カメラに向き合い続けているところ。

このおよそまともとは思えない奇天烈演出のおかけで、美しさと気品に満ちた若き大女優(当時26歳)の、他ではみることができない、シュールな肖像がたっぷり記録されることになりました。

撮影にはまだ駆け出しだった頃の名カメラマン、ウィリアム・ルプシャンスキー(リュプチャンスキー)も参加していました(この名匠も証人として登場。出演の翌年、2010年に亡くなっています)。

クルーゾーに振り回されながらも、きっちり仕事に徹したカメラによって記録された断片映像のクオリティそれ自体は高く感じます。

そこがさらにこの未完作の痛々しさを増幅させている皮肉。

 

また、特に印象的だったのは、美術スタッフが証言していたクルーゾーの「完璧主義」ぶり。

まず膨大な数の絵コンテが制作され、それと寸分違わない構図(「ミリ単位」)での撮影が要求されたのだそうです。

 

この証言を聞いて思い出したことがあります。

制作が放棄された「地獄」の翌年、クルーゾーはヘルベルト・フォン・カラヤンの招きで彼の指揮姿を収めた映像を数篇、撮っています。

 


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カラヤンはその後、自らが監督となって、積極的にシンフォニーのパフォーマンスやオペラを映像化していきます。

徹底して作為的にとらえられたBPOとのベートーヴェン等は冷笑を伴った評価をされてきましたが、その仕上げ方は、まさにクルーゾーが好んだ「絵コンテ徹底再現」手法そのものともいえます。

ボウイングの角度が異様に整えられた弦楽器群や、目まぐるしく切り替わる管楽器のわざとらしいクローズアップ。

クルーゾーが「地獄」で試みていた超人工的映像断片と実によく似ています。

新奇さと「最初にまず絵ありき」の思想で撮影に臨んでいたとみられるカラヤンの中には、自身を映像化してくれた監督クルーゾーの影響が濃厚にあったのではないか。

そして思い返せば、この大指揮者も「完璧主義」で知られた人物でした。

あまりにも実験的作為に満ちたカラヤン「監督」による1960〜70年代映像作品は、今やトンデモ系の価値観で一部再評価されていますが、クルーゾーの「地獄」も仮に完成していたなら悲惨な大失敗作の烙印を超越し、現在ではカルトムービーの一種として歓迎されていたかもしれません。

 


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クルーゾーは不眠症に悩まされていたことを当時の映像の中で語っています。

「地獄」で嫉妬に狂う男も眠ることができず、夜中に異空間を彷徨い苦しみ続けています。

狂気の地獄を撮ろうとした監督自身が、周囲の人々を巻き込みながら、本物の地獄を作りあげてしまった未完作"L'Enfer"。

クルーゾーは、監督自身の混乱を映画にしたともいえるフェリーニの「8 1/2」に衝撃を受けていたのだそうです。

ひょっとすると、精神的混乱期にあったクルーゾー自身、フェリーニと同じ手法で映画を撮りたかったのかもしれません。

しかし、結果としては自ら生み出そうとした映画に呑み込まれ窒息してしまったかのようです。

 

撮影の最中、クルーゾーは心臓麻痺を起こし、緊急入院。

そのまま映画の制作も中止されました。

 

北脇昇「眠られぬ夜のために」(京都市美術館)