ベルチャ弦楽四重奏団
■2022年10月8日 14時開演
■兵庫県立芸術文化センター(小ホール)
ハイドン: 弦楽四重奏曲 第32番 ハ長調 op.20-2,Hob.Ⅲ-32
ショスタコーヴィチ: 弦楽四重奏曲 第8番 ハ短調 op.110
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1「ラズモフスキー第1番」
最高級の調和美が出現した演奏会でした。
昨年来日が予定されていながらコロナの影響で中止、先送りされていたベルチャ・カルテットのリベンジ公演。
本日の西宮公演の後、水戸の芸術館、次いで飯田橋のトッパンホールと、3日連続マチネで日本公演をこなすという結構ハードなスケジュールです。
1公演チョイスするならば、良質なアコースティクやプログラムの面白さからみて、おそらくこの兵庫公演が、今回の来日公演では、個人的にベストではないかと思っています。
(水戸ではラズモフスキーに代わりドビュッシー、トッパンではハイドンとショスタコがなくなって「死と乙女」)
完売はしていなかったようですが、ほぼ満席の盛況でした。
ハイドンの「太陽四重奏曲集」から第2番が選ばれています。
この曲集からは、今年、エベーヌQがニ長調の4番を来日公演で披露(6月18日 びわ湖ホール)。
ハイドンの「太陽」、流行っているのでしょうか。
起伏を大きくとって波打つように主題を繰り返して驚かせたエベーヌQに対し、ベルチャQの演奏は、これ以上は無理と思えるほどの滑らかさで会場の空気に溶け込み、まるでそこに以前から「あるようにしてあった」ような自然さで旋律が奏でられていきます。
4人の音色が呆れるほど統合されている上に、無駄な力みが全く取り払われています。
ハイドンが仕掛けた気品に満ちた「歌謡」の美がたっぷりと紡がれていきました。
聴き進めていくうちに、このカルテットの扇の要が、どうやらヴィオラにあることがわかってきました。
透明感と滋味深さを両立したような、今のベルチャQの音と仕草は、Vlaのクシシュトフ・ホジェルスキーが奏でる繊細さと生命力を兼備した中間色の美しさに、まず、支えられているのではないでしょうか。
1stのコリーナ・ベルチャも、Vcのアントワーヌ・レデルランも非常な美音の持ち主ですが、過度に艶やかになったり、硬質なマッスを主張することは決してありません。
ホジェルスキーが置く中心点を意識しつつ、きっちり座標軸を決めて演奏されていくので、音も旋律も全く散らかることがありません。
これに2ndのアクセル・シャハーが微細な陰影を絡めていきます。
モダン楽器で奏でられる最高級のハイドンが再現されていたように感じました。
ベルチャQはその技術力の高さから師匠筋でもあったアルバン・ベルクQの後継などと宣伝されていますけれど、両者にはかなり違いがあります。
ピヒラーに代表されるウィーン的官能美がカルテットのカラーリングを決定的にしていたABQに対し、ベルチャQは前述の通り、突出して特定の「色」や「艶」を出すことをしません。
そのおそらく結果として、ABQがレパートリーについに組み込むことをしなかったショスタコーヴィチもベルチャは難なく取り上げています。
時に強烈な摩擦熱を感じさせるフォルテを響かせながらも、全体としてはゴリゴリと力と技術で押しまくるショスタコーヴィチではありませんでした。
あくまでも全体の調和とパート間の「対話」に細心の注意が払われているので、どこをとっても音楽に品位が伴っています。
それでいて、しっかり「時代の不穏さ」も表現してしまう知性の素晴らしさ。
圧巻の8番でした。
後半はベルチャ最大の得意演目、ベートーヴェンです。
もう数え切れないほど演奏し尽くしているラズモフスキーなのでしょうけれど、まるで今日解釈し直しているような新鮮さに満ちた演奏に驚きました。
ここでもVlaが目立たないようにバランスをかっちり決めているので、どんなに振幅が大きくなっても、一瞬たりとも、音響が空中分解することがありません。
第3楽章アダージョにおける、音楽の襞と襞がそっと重なり合わされていくかのような情景。
このカルテット初期の録音で聴かれた精妙さに、さらに形容し難いまろやかさが加わっています。
クリシェにすぎますけど、円熟、という言葉以外、みつかりません。
アンコールはまずドビュッシーの第3楽章。
水戸まで追いかけて全曲聴きたくなるような陶然とする時間が流れました。
鳴り止まない拍手に応えて、ベートーヴェン13番のカヴァティーナがさらにサービスされました。