再来年、2024年の大河ドラマは紫式部が主人公だそうです。
大河ドラマ自体に興味はないのですが、すぐ、これは廬山寺と石山寺が大喜びしそうな題材だなあ、と思ったわけです。
京都御所の東に隣接する廬山寺は、紫式部が一時住んでいたと推定される場所の上に、たまたま、後世建てられた寺院ですが、その「地の利」を活かし、今ではすっかり「源氏物語の寺」として定着。
庭もそれらしく整えられて人気です。
とはいえ、規模はさほど大きくない市中寺院であり、元三大師ゆかりの文物をはじめ天台系寺院にふさわしい寺宝がそれなりにあるものの、格別に面白い建築などがあるわけでもありません。
一方、紫式部が源氏物語の着想をここで得たという石山寺は近江を代表する大寺院の一つ。
その由緒は聖武天皇の時代にまで遡り、国宝の本堂をはじめ見どころも多い名刹です。
来年の秋頃からしばらくは、ひょっとすると大河ドラマを当てこんだ観光パッケージ企画などで混雑害が発生するのではと、急に不安になってきたのです。
コロナももう関係なくなってきている世間の雰囲気。
大河フィーバーに襲われる前に、廬山寺はともかく、石山寺だけはまだ静寂が残っていそうな今のうちに観ておこうと意を決して足を運んでみました。
毎年、春と秋に公開されている寺宝展、「石山寺と紫式部」展が今年も通常通り開催されていました。
2022年 秋季 石山寺と紫式部展 「源氏の世界 ー鎌倉殿と多宝塔」
■2022年9月1日〜11月30日
■石山寺豊浄殿
11月上旬、若干の色づきはみられるものの、紅葉の真っ盛りというわけではありません。
それもあってか、境内はほとんど観光客がおらず、とても静か。
じっくり徘徊することができました。
廬山寺は、偶然、境内が紫式部の推定住居地と重なったことをもって彼女を寺の名物としているわけで、完全に歴史の「想像力」を頼みとするストラテジーをとっています。
では石山寺の事情はどうなのでしょうか。
都に比較的近い観音信仰の霊山となった石山寺には、清少納言をはじめ平安京の才女たちが参籠したことが確認でき、紫式部も、実際、ここを訪れたとされています。
しかし、そのことと「源氏物語の着想」自体とを結びつける文献上の事実は何も確認されてはいません。
実は、石山寺も、あくまでも「伝承」によって「源氏物語着想の寺」としてアピールしているわけで、こちらも一種のファンタジーといえなくもないわけです。
しかし、石山寺の場合、その伝承がかなり昔から浸透しているため、昭和40年代頃から紫式部とのつながりを強調しはじめた廬山寺とは違い、江戸時代以来、源氏物語に題材を取った作品が寺宝として数多く伝わっています。
今回の展示で面白かったのは、渡辺省亭が描いたとされる紫式部図です。
懸造で建てらた本堂の欄干に立ち、何かに気がついてさっと顔を上げているようにもみえる不可思議な紫式部の表情が写されています。
どこかで見たような記憶がある図像です。
石山寺に参籠する紫式部の様子は、数多の絵師たちが描いてきた題材であり、渡辺省亭も複数、このモチーフで作品を描いているようです。
私が直近にみた省亭の紫式部図は、昨年、サントリー美術館やMIHO MUSEUMで開催された「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」展で里帰り展示されたものでした。
本堂に寄りかかり、いかにも物語の筋書きを案出していそうな構図がみられます。
石山寺豊浄殿は撮影禁止なのでイメージを直接お伝えすることはできませんが、ミネアポリスの作品に比べ、建物や紫式部の衣装が簡略化されていて、省亭らしいこまやかな描写という点では物足りなさが残ります。
しかし、座り込んで深沈しているようなミネアポリス画とは違い、何やら意味不明に不穏な空気を感じさせるところがあり、源氏物語の「着想を得た」というより、作中に登場する「もののけ」の気配に紫式部自身が驚いてしまっているようにも見えます。
これはこれで勝手な想像の楽しみを与えてくれる一幅でした。
その他、修復洗浄によって本来の美しさを取り戻したという木目が美しい大日如来坐像や、奈良時代から続くこの寺の分厚い歴史を物語る白鳳期の観世音菩薩トルソなど、小さい規模ですが、味わい深い展示品が集められていました。
再来年、ではなく、今年の大河ドラマもこの寺は意識していて、鎌倉殿、源頼朝寄進と伝わる多宝塔についての由緒も展示の中で紹介されています。
その多宝塔。
造立記録が残る多宝塔としては日本最古、かつ最美といわれている国宝建築物です。
(なお記録ははっきりしませんが「日本最古」という点では、河内長野の金剛寺多宝塔が平安時代末期の建造といわれています)
安定感と類まれな優美さを兼ね備えた鎌倉時代の名宝です。
この塔自体の素晴らしさはもちろんなのですが、その立地も面白い。
「石山寺硅灰石」とよばれる奇岩群の上、わずかに形成された平地上に立っていて、岩の下から仰ぎ見ると、まるで仙郷に浮かぶ楼閣のようにも感じられます。
全山が珪灰石の硬い地表で覆われているのでこのような配置での建造になったと思われますが、それにしても凄い場所に建てられたものです。
さらに塔の後ろ側に続く上り坂からは、さまざまな角度から木々の葉を通してその姿を見ることができ、風情も満点。
深草にある宝塔寺の多宝塔とともに、何度見てもうっとりしてしまう名建築です。