今年の9月、京都ローカルなニュースの中で、アート関連のちょっと面白いトピックスが報道されました。
南禅寺の塔頭、南陽院を飾る襖絵が木島櫻谷の筆によるものと特定、「再発見」されたという話題。
近年、櫻谷を積極的にとりあげている泉屋博古館による調査によって判明したと報じられていました。
この秋、その泉屋博古館で開催されている櫻谷展と同期し、普段非公開となっている南陽院が特別に公開されています。
ちょっと覗いてみました。
南陽院本堂「木島櫻谷 山水障壁画」特別公開
■2022年11月3日~11月13日、11月23日~12月11日
特別展 木島櫻谷 ― 山水夢中― | 展覧会 | 泉屋博古館 <京都・鹿ヶ谷>
南陽院は南禅寺境内からやや南西に位置していて、蹴上の駅からだと「ねじりまんぼ」を潜って金地院の前に出る道に面しています。
その門はちょうど金地院の向かい側くらいに開けられているのですが、非公開寺院ということもあり何度もその前を通っているはずなのに今までその存在に気がついていませんでした。
今回の特別公開は日時指定の事前予約制となっています。
余裕があれば当日入場も可能で、実際、私は予約なしにぶらりと拝観することができました。
ただ、時間帯によっては実際に予約定数満了で締切られ当日可の場合でもタイミングによってはちょっと門前で待たされることがあるようです。
ほどよく認知され、それなりに人を集めている感じです。
しっかりスタッフによる人数制限の監視が行き届いていて、本堂内は混雑もなく、快適に鑑賞できました。
南陽院は1910(明治43)年に開かれた新しい寺院です。
開創は高源室 毒湛匝三(どくたん そうさん 豊田毒湛 1840-1917)。
南禅寺派の四代管長をつとめ、明治中期に失火で焼失してしまっていた南禅寺法堂の再建(1909年)に尽力するなど臨済宗内で尊崇をあつめた人物です。
南陽院は、この人が隠居するために、もともと西賀茂にあった南禅寺の末寺、正伝寺塔頭の寺籍を引き継いで建てられたのだそうです。
南面した室中を取り囲むように合わせて5室50面、木島櫻谷による水墨画が描かれていました。
寺の創建と同じ年、1910年の制作。
当時、木島櫻谷は34歳です。
師匠今尾景年の仕事を助けて毒湛匝三が再建した南禅寺法堂の巨大な天井画の制作に参画した直後にあたり、その縁で櫻谷がこの塔頭の襖絵を任されたという経緯にあるようです。
このわずか2年後、1912年には画家の代表作「寒月」(京都市美術館蔵)が描かれています。
南陽院の襖絵は、すでにこの画家の長いピーク期間が始まっていた時期に描かれた大作。
5室それぞれに画題を変え、モノトーンにも関わらず部屋単位でその趣は微妙に異なります。
柳が揺れる異世界的な幻想の光景から、のどかな漁村の風景まで。
各室は普通に使われていたわけですから、それなりに損耗もあるのですが、櫻谷が施した、墨一色による見事な遠近法がしっかり確認できるほどに状態はよく保たれていました。
圧巻はやはり室中に描かれた「渓山煙霧」でしょう。
先鋭な奇岩が続く山々が繊細かつどこか長閑な空気感で表現されています。
ちょうど現在、鹿ケ谷の泉屋博古館で開催中の櫻谷特集で展示されている「万壑烟霧」(千總蔵)と非常に良く似た画像です。
南陽院の襖絵と千總の屏風絵は同じ年に制作されていますから、写実と様式美が見事に結合したこの山河表現はちょうどその頃櫻谷の筆に染みついていたモチーフだったのかもしれません。
面白いのは櫻谷がちゃんとこの部屋を使う人の立場に配慮して構図を決めているところ。
雄大な空気を襖の高い位置に表現しつつ、下部、つまり座った人の目線に呼応する箇所には親しみやすい草花や人物の遠景が細かく描かれています。
この人は、特に襖や扉の一番下側にこだわる傾向があるようです。
衣笠の櫻谷旧邸(現櫻谷文庫)に残る扉の下部にも、目立たないように蕨のような文様が仕込まれていて、画家のお洒落な感覚を今に伝えています。
なお、襖絵以外にも、花鳥や達磨、鹿の図など、3点ほど単独の櫻谷画が合わせて展示されていました。
小規模な寺院なのですが、櫻谷の襖絵と並んで、その庭も面白い造形を成していました。
七代目小川治兵衛、「植治」による作庭。
この付近一帯の主要な近代名庭のほとんどがこの人の手によるようなものですが、ここでも疏水を大胆に取り入れたお得意の造園手法が開陳されています。
下手に禅寺を意識した枯山水風に仕上げるのではなく、長方形に区切られた境内地を活かしながら、苔と池、水流で瀟洒にまとめあげ、巧みに東山を借景として取り込んでいます。
さして広くはない庭なのにいつまでも縁側に座って観ていたくなるような軽妙で開放的な明るさがありました。
南陽院は、観光に開かれた寺院ではありませんから、今後も頻繁に再公開されることはないかもしれません。
しかし、今回の催事を主導したとみられる泉屋博古館が、ひきつづき木島櫻谷リバイバルに向けた企画を打ち出していきそうでもあり、再公開のチャンスは十分にありそうです。
余談ですが、ちょうど今、三宮の神戸市立博物館ではかつて南禅寺塔頭・帰雲院を飾っていた円山応挙の襖絵全画(川崎正蔵旧蔵・現東京国立博物館蔵)を館内に再現展示しています(「よみがえる川崎美術館展」)。
同じように塔頭を飾っていた京都画壇の襖絵なのに、寺運の衰えから南禅寺を離れていった作品もあれば、令和の世になって「発見」される画もあるわけです。
両方をほぼ同時期に鑑賞できた機会を喜びつつも、不思議な因縁を感じてしまいました。