松室重光 京都ハリストス正教会

 

京都古文化保存協会による特別公開事業の一環で、京都ハリストス正教会生神女福音聖堂」の内部が公開されました(柳馬場二条・2022年11月8日〜18日)。

 

この建物は、ちょうど今年、2022年2月、国の重要文化財指定を受けています。

これまでにも古文化保存協会による内部公開が実施されている建築ですが、重文指定後は初公開ということになります。

というより、指定を意識、記念して今秋の特別公開に参加したのかもしれません。

見学してみました。

www.bunka.go.jp

 

重文指定を答申した文化審議会によるコメントの中に、興味深い一文がありました。

「ハリストス正教会から提供された図面をもとに、京都府技師 松室重光が実施設計した経緯がわかり、わが国における教会堂の建設経緯が知られる貴重な事例となっている。」(2021年11月19日付 文化庁プレスリリースより)

 

実は、上記答申コメントにみられるその「建設経緯」についてまとめた論考が別に存在しています。

京都市文化財保護課の石川祐一主任による詳細な報告書。
2018年に公開されています。

文化庁もこのレポートをおそらく重視、参考としたのではないでしょうか。

素人の私が読んでも、とても面白い内容となっています(下記PDF)。

https://kyoto-bunkaisan.city.kyoto.lg.jp/report/pdf/kiyou/01/02_ishikawa.pdf

 

お茶の水に聳え立つ「ニコライ堂」、その名の由来にもなっているハリストス正教会の主教にして宣教師ニコライ・カサートキンは、40年にも及んだ日本滞在について膨大な日記を残していて、その全訳が『宣教師ニコライの全日記』(9巻)として2007年に刊行されました。

京都ハリストス教会の設立、そしてその聖堂建設に関しても『全日記』に記録されています。

この一級史料を活かしながら、京都市文化財保護課の石川レポートは、当時の生々しいともいえる建設プロセスを明らかにしているのです。

 

旧武徳殿

京都府庁舎旧本館

京都ハリストス正教会 生神女福音聖堂

 

さて、今回の京都ハリストス正教会重文指定により、松室重光(1873-1937)が京都に残した主な建築の全てが国の重要文化財になったことになります。

重厚な和様建築で知られる岡崎の「旧武徳殿」、瀟洒ルネサンス様式を取り入れた「京都府庁舎旧本館」、そしてこの「生神女福音聖堂」。

 

ただ、こうしてみると、3つの建築、全て極端にその様式が違うことがわかります。

東京帝大造家学科出身である松室の本領は、おそらく府庁舎旧本館にみられる西洋風建築だったのでしょう。

他方、京都府技師として社寺建築の修復なども手がけたという経歴から、武徳殿のような和様建築も守備範囲に入っていたことまではわかります。

 

しかし、ハリストス正教会にみられる独特の聖堂様式をどうやって松室は実現できたのか。

石川祐一のレポートによれば、そこには強力な「雛形」の存在があったことがわかります。

ロシア正教会は、世界各地で建設される聖堂について、その土地や規模に見合った建設スタイルの見本、「図案集冊子」を制作していました。

『全日記』にも図案集冊子の存在が記載されているそうなのですが、その実物が近年、ウクライナで発見されたのだそうです。

松室重光はおそらくこの図案集をもとに、シメオン三井道郎神父と聖堂建築について協議を重ね、東京のニコライ主教とも実際面談。

ニコライの承認を得て、32パターンあるという「聖堂雛形」のうち、「No.22」という図案が選択され、明治36(1903)年、現在見られる聖堂が竣工しています。

ニコライが最終決定して建てられた聖堂ということを考えると、京都のハリストス正教会は、これも「ニコライ堂」の一つといえるかもしれません。

 

こうした経緯をみると、松室重光は、この聖堂建築の全面的な「設計者」ではないことがわかります。

正教側から示された雛形=建築デザインをもとに、いわば、それを実際に施工するための実務を取り仕切った「施工監督」という立場だったのではないかとも想像されます。

もっとも、正教会様式による建築の伝統などそもそも日本にはなかったわけですから、「お手本」がいくら威力を発揮したとはいえ、実際の建造には大変な実務能力と技術力が必要だったはずです。

明治のスーパーテクノクラートとしての松室による素晴らしい仕事であることに変わりはありません。

 

京都市文化財保護課のレポートには、京都ハリストス正教会に関するもう一つの面白いエピソードが記されています。

この教会内部には、正教会に必須の「聖障=イコノスタス」が当然設置されています。

一般信者と聖職者たちの空間を仕切る、聖人たちなどを描いた色彩豊かな絵画が飾られている特徴的な板です。

ところが、竣工当時、実際ロシアから運ばれたイコノスタスは、なんと聖堂に入り切らないサイズであることが判明。

そこで両端を折り曲げてなんとか嵌め込むことにしだそうです。

今回の内部見学でその「折り曲げ」も確認できましたが、実に自然にハマっていて、そういう事情を知った上でみても、全く違和感を覚えません。

神聖なイコノスタスの「サイズ違い」に、三井道郎と松室重光も、ひょっとすると妙な冷や汗をかいたかもしれませんが、今見ると、空間を豊かに彩るエピソードの一つになって溶け込んでいる、そんな印象を受けました。