米倉壽仁とシュルレアリスム|山梨県立美術館



米倉壽仁展 透明ナ歳月 
詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家

■2022年11月19日~2023年1月22日
山梨県立美術館

 

甲府市出身の画家、米倉壽仁(よねくら ひさひと 1905-1994)の回顧展です。

山梨のアーティストということでこの県立美術館が取り上げているわけですが、内容としては米倉を中心としつつ、関連したアーティストの作品を幅広く取り寄せていて、ちょっとしたシュルレアリスム特集展になっています。

ダリやエルンスト、北脇昇に小牧源太郎といった内外のシュルレアリスム作品を、数は限定的ながら随所に嵌め込みつつ、米倉の芸術性を満遍なく明らかにしようという結構意欲的な内容で驚きました。

www.art-museum.pref.yamanashi.jp

 

米倉は、北脇昇(1901-1951)、小牧源太郎(1906-1989)、靉光(1907-1946)などといった戦前戦中における前衛画家とほぼ同年代なのですが、一般的な知名度自体はかなり低いように思います。
これだけまとまった数で彼の作品に接するのは初めての体験です。

2021年、板橋区立美術館京都文化博物館で開催された「さまよえる絵筆」展は、戦前から戦中にかけて主に東京と京都で活動した前衛画家たちを広範に取り上げた好企画で、特にシュルレアリスムに関係した画家たちが辿った暗い道程が印象に残る展覧会でした。

米倉も30歳代以降は東京を活動の拠点にしていましたからこの「さまよえる絵筆」展で取り上げられても良さそうな人だったのですが、作品の紹介はなくわずかに一時所属していた「美術文化協会」の仲間たちと並んだ写真資料(「米倉寿仁」として記載)が見られるのみです(同展の図録P.172)。
彼の地元山梨では晩年まで息長く活躍していたらしく、生前の1979年、山梨県立美術館で一度すでに「米倉壽仁展」が開催されています。

 

戦前に脚光を浴びはじめた日本のシュルレアリスト画家たちからは、一様にその画風がどんどん暗くなっていくような印象を受けます。
これはある意味仕方がないことで、彼らにとってちょうど脂がのりはじめた30歳代あたりで、不幸なことに「戦時体制」になってしまったことが深く影響しています。

福田一郎瀧口修造の逮捕によって、特に当局から目をつけられてしまったシュルレアリストたちは、画題そのものを変えるなど逼塞した活動を余儀なくされ、靉光のように戦地で没してしまう人も出てきます。
本来は自在な幻視の美を描きたかった人たちの蹉跌感が、特に日本の場合、この芸術運動そのものにどことなく陰鬱なイメージを与えてしまうのです。

 

米倉壽仁「ヨーロッパの危機」

ところが、米倉壽仁の場合、当然に戦争の影響は受けてはいるものの、その画風は妙に明るいというか、ある意味、素直なところが戦後も含めずっと継続しているように見えてきます。
そこがこの人の面白さであり、逆に他の同世代画家がしっかり噛み締めた「蹉跌感」が希薄なところに物足りなさが生じてしまうようにも感じられます。
米倉の知名度の低さには、「素直すぎるシュルレアリスト」としての面が影響しているのかもしれません。

老舗旅館の次男として生まれた米倉は家業の継承を期待され、名古屋高等商業学校(今の名大経済学部)に入学しますが、ここで山中散生と親しくなってしまったことから、シュルレアリスムの世界にどっぷりハマってしまいます。

専門的な美術教育を受けたことがないにも関わらず、1931年には二科展に初入選するなど画才が開花した米倉は一旦教師として務めていた学校を辞し、中野の新井町に引っ越して東京での画家生活を開始。

初期の作品には、あからさまなくらいダリの影響が見られるのですが、どこか爽快さが漂う色使いや、幻想風というより素直に組み合わされた対象物にこの画家独特のセンスがすでに感じられるように思われました。

米倉の描くシュルレアリスム絵画は、確かにその脈略の無さなどに幻視性を感じますが、ダリやエルンスト、デ・キリコなど本家の巨匠たちや、北脇、小牧たち日本の代表的な画家たちと比べ相当に「わかりやすい」印象を受けます。
そこが魅力であると同時に、悪くいっちゃうとやや「表層的」な面が感じられることにもつながっているのではないでしょうか。

戦時中の抑圧によって、画題を変えざるを得なくなったシュルレアリストの代表格とも言える小牧源太郎は活路を仏教などに求めていきます。
米倉も1941年に描いた「霧」という作品では、白鷺のような鳥をモチーフに、まるで日本画のような保守的画題の作品を描いているものの、ガラリと作風を変えるようなところまでは追い込まれていないようです。
この人はようやく1960年代になって、漢字の要素を組み込むなど、日本的テイストを本格的に引用し、画風もかなり変わっていきますが基本的な「わかりやすさ」は最後まで維持されていたように感じます。

結局、米倉は「素直すぎるシュルレアリスト」として首尾一貫していたのではないでしょうか。
次々と新しい潮流が生み出された戦後前衛絵画にあって、このことが米倉をやや忘れられた存在にしてしまった理由なのかもしれません。
他方、その暗い魅力によって再評価が高まっている戦時下の前衛たちの中に米倉が置かれた場合、これも「素直すぎる」ところが影響して、なかなかその文脈の中に組み入れにくい。

わかりやすいゆえに、伝わりにくい。

米倉壽仁のそうした魅力を今回の企画ではとても上手く鑑賞者に提示しているように感じました。
山梨県美の森川もなみ学芸員が中心となって編まれたと見られる図録も、画家の親族へのインタビューなどを含みつつ、本格的なレトロスペクティブ展にふさわしい充実した内容で読み応えがありました。

 

米倉壽仁「早春」

米倉壽仁「痕跡」

米倉壽仁「破局(寂滅の日)」