「モリコーネ」と「ラストエンペラー」

 

全くの偶然ですが、ちょっと因縁めいた2本の映画が、現在、同時公開されています。新作の「モリコーネ 映画が愛した音楽家」と、名画再上映シリーズ企画、"12ヶ月のシネマリレー"で取り上げられている「ラストエンペラー」。
続けて鑑賞してみました。

 

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モリコーネ 映画が愛した音楽家」("Ennio", 2021)は、ジュゼッペ・トルナトーレ (Giuseppe Tornatore 1956-)がエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone 1928-2020)の業績に迫ったドキュメンタリー作品。
157分。
この種の作品としては異例の長さです。

それでも、おそらくトルナトーレは、かなり取材した映像素材を切り詰めて編集、まとめあげたのでしょう。
本当はこの何倍も使いたい映像があったのではないかと思われるくらい、夥しい映画人、音楽家たちが登場し、息つく暇なく短い言葉でモリコーネに関する思い出、証言を紡いでいきます。
トルナトーレのモリコーネに対する愛情が全編にわたって溢れかえるような映画です。

ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」はトルナトーレの代表作であると同時にモリコーネの音楽芸術が最高度に効果をあげた作品ですから、この監督が作曲家に対して抱いているリスペクトのエネルギーは相当なものがあるのかもしれません。
トルナトーレによる大モリコーネ讃歌です。

モリコーネ自身の語りと、証言者たちへのインタビュー、さらに数々の名画から引用されたシーンが極めて短いカットでリズミカルに連続していきます。
イーストウッドタランティーノといった大物たちが入れ替わり立ち替わりくるくると登場。
個人的にはリリアーナ・カヴァーニが毒と気品を兼備している風情を保ってこの人らしく老いている姿や、指揮者のアントニオ・パッパーノが熱くモリコーネを支持している場面が特に印象に残りました。

観客に飽きる瞬間を与えない、あえて「性急さ」をそのまま映像の求心力に変えたような手法がとられています。
なにしろ500におよぶ映画やテレビ音楽を創造した作曲家で、関わった作品群そのものが20世紀映画史を構成してしまうような人ですから、その全貌に迫ろうとすればするほど必然的にこうした仕上げ方になってしまったともいえます。

ただ、この手法は別に新しいものではなくて、例えば同じ映画音楽をテーマとしたドキュメンタリー、マット・シュレーダーが監督した「素晴らしき映画音楽たち」( "Score" A Film Music Documentary",2017)などですでにみられたものともいえます。
あまりにも雰囲気が似ているので、ひょっとするとトルナトーレはこの前例作を参考にしたのかもしれません。

 

特に面白かったのは、前半、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が取り上げられる前あたりまででした。
モリコーネはローマのサンタ・チェチーリア音楽院で、当時のイタリア現代音楽を代表する大家ゴッフレド・ペトラッシに師事しています。
高得点で卒業試験をパスしたとき、この師弟が涙を流しながら喜びあったという逸話がモリコーネ自身によって感動的に語られていました。
しかし結果としてモリコーネは、ペトラッシが属していた正統的な現代音楽の道ではなく、映画産業に活動の主軸を置くことになるわけで、両者の間にはその後、微妙な距離が生じます。
葛藤していたモリコーネの苦しい述懐が印象的でした。

 


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ただ後半はトルナトーレによるあまりにもあからさまなモリコーネ絶賛ムービー色が強くなりすぎてしまい、ちょっとくどいかなあ、とも感じます。
全体として、手際よく情報を盛り込んでいるそのテクニック自体によって、まるで一本の長大な「映画の予告編」を観せられたような感覚を得ました。
モリコーネその人の本体に迫った作品、というより、これは一種の「モリコーネ・プロモーション・ムービー」なのかもしれません。

 

さて、一方の「ラストエンペラー」("The Last Emperor",1987)です。

よく知られている逸話があります。
モリコーネが、この映画の監督、ベルナルド・ベルトルッチに自分を音楽担当にするよう、猛烈にアピールしていたという話。
これは坂本龍一が語っているエピソードで、「リュミエール」第10号でのインタビュー記事が初出かと思います。

モリコーネ」では、その年のアカデミー賞授賞式で、「アンタッチャブル」の名音楽を担当したモリコーネが、ノミネートされていたのにも関わらず「ラストエンペラー」に受賞をもっていかれた場面が挿入されています。
なんとも皮肉な展開です。
膨大な傑作映画音楽をハリウッドに提供しながら、晩年になるまでオスカーを手にすることができなかったモリコーネの不遇さを象徴するシーンともいえます。

でも、仮にモリコーネが「ラストエンペラー」の音楽を担当したとして、果たして坂本龍一とデビット・バーンがクリエイトしたあの音楽に匹敵する成果が出たのかどうか。モリコーネは、今回のドキュメンタリー映画を観てあらめて思ったのですけれど、「メロディー」の人、というより、「ハーモニー」と「対位法」の達人だったように感じます。
例えば、イタリア人作曲家で、同じようにしっかりクラシックを学んだ巨人、ニーノ・ロータと比べると、モリコーネの「メロディー」には意外と印象に残るものが少ないことに気がつきます。
「道」「甘い生活」「8 1/2」「アマルコルド」「ゴッドファーザー」と、タイトルを見るだけで旋律が頭の中をぐるぐる回りだすロータの音楽に比べ、モリコーネには、じっくりと旋律が織り重ねられていく「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や、ミュージック・コンクレートの手法を大胆に応用した「荒野の用心棒」といった「響き」そのものの強烈な存在感が際立つ音楽が多く、反面、それほど「メロディー」自体には強さが感じられません。
ラストエンペラー」の冒頭(デビット・バーン)と終わり(坂本龍一)に奏でられるあのテーマ音楽の強力な訴求力は、モリコーネの音楽性とは異質なところから出現しているのではないでしょうか。
ベルトルッチはそこを見抜いていたのでしょう。
モリコーネ」の中における証言で、彼は一切そんなことには触れていませんけれども。
それにしても2018年に亡くなったベルトルッチのおそらく最晩年の姿が「モリコーネ」でとらえられているのはとても貴重なことだと思います。
顔色も悪く体調がすぐれないことがすぐにわかる映像が痛ましい。
でも「1900年」などで組んだモリコーネに対する深い信頼感のようなものが穏やかな語り口の中に滲んでいたのが印象的でした。

 

映画「モリコーネ」が、この音楽家の偉大さを感動的に描いている作品であることは間違いないのですが、一方で、やや物足りなさを感じるのは、比較対象としてジョン・ウィリアムズハンス・ジマーあたりを引き合いに出して終わってしまっているところでしょうか。
本来であれば、ロータや、フランスのジョルジュ・ドルリューといった人たちとの関係性をもっと語ってほしかったようにも思います。
その点で、頻繁に証言者として登場している、ニコラ・ピオヴァーニからもっと突っ込んだ話を聞き出すべきではなかったのか、とも思います。
なにしろこの作曲家は、ロータ亡き後、失意のフェリーニにから指名されて「ジンジャーとフレッド」の音楽を担当したこともあるわけで、モリコーネと彼を取り巻くイタリア映画音楽界の関係を一番知悉している人物です。
やや一般的なモリコーネ評に終始していたのがちょっと残念ではありました。

さて、私がモリコーネの音楽で一番気に入っているのは、映画の中でもちょっと紹介されたパゾリーニの「大きな鳥と小さな鳥」。
プロデューサーや出演者、監督、そして音楽担当の名まで、実際に「歌い上げて」しまうという前代未聞の「テーマ音楽」です。

 


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