没後40年 黒田辰秋展 ―山本爲三郎コレクションより
■2023年1月21日〜5月7日
■アサヒビール大山崎山荘美術館
黒田辰秋(1904-1982)が、法界寺や日野誕生院のすぐ近く、醍醐日野畑出町の自宅で亡くなってから40年(命日は6月4日)。
記念の回顧展が大山崎で開催されています。
といっても網羅的な作品展ではなく、主に、1928(昭和3)年、ある博覧会を機にまとめて制作された黒田若き日の家具類に焦点があてられた特集。
文字通りこの人の原点を感じることができる好企画です。
1928年、昭和天皇即位を記念して「御大礼記念国産振興東京博覧会」が上野で開催されました。
柳宗悦が中心となって京都で活動を本格化させていた民藝運動のグループは、この大博覧会に個別のパビリオン「民藝館」を開設し話題を集めます。
これは民藝が自分たちの美意識、思想を丸ごと建物として提示した画期的な企画だったのですが、それを資金面でバックアップしたのがアサヒビール創業者で熱烈なこの運動の支持者であった山本爲三郎(1893-1966)でした。
山本は博覧会閉幕後、「民藝館」をそのまま買取り、当時自宅があった大阪・三国(今の新大阪駅からやや北西側あたりの地域)に移築、柳宗悦によって「三國荘」と名付けられ同家で使用されることになりました。
この「民藝館」のちに「三國荘」となった建物を飾る家具類を一手に制作したのが黒田辰秋です。
アサヒビール大山崎山荘美術館は2015年に「山本爲三郎没後50年 三國荘展」を開催し、既にこのユニークな建物にまつわる美術工芸品をまとめて紹介していますが、今回の企画では、黒田の家具だけにスコープを合わせていて、山本コレクションに残る黒田作品の全てを一気に展示しています。
その種類は椅子、テーブルや棚、郵便受からマッチ箱に至るまで大小、実に多種多彩で、本当に一人でこれだけの品々を短期間で造り上げたのか、信じられないくらい。
当時20歳代半ばだった黒田の高い創作熱量がダイレクトに伝わってくるような迫力に圧倒されます。
中でも、面白かったのが照明器具の数々。
黒漆でスタイリッシュにデザインされた打火器には、民藝的な土臭さというよりむしろアールデコを思わせるような面もあって、中には今でも十分通用するモダンなセンスが感じられる作品もありました。
年表からたどる黒田の幼年、青春時代にはほとんど明るい雰囲気が感じられません。
祇園清井町にあった塗師屋の六男に生まれた彼は、幼い頃に罹患した天然痘の跡を生涯気にしていたと言われています。
一時、蒔絵師のもとに修行に出ますが体調を崩し挫折。
分業が当たり前だった漆器業の家に生まれたのに、その分業制自体に反発し鬱々とした日々をおくっていた黒田にとって、河井寛次郎や柳宗悦との出会いはまさに僥倖だったのでしょう。
あっという間に民藝の世界にハマりこみ、有名な「上賀茂民藝協団」(上賀茂南大路町・現在は天下一品の本部になっている場所にありました)を青木五良、鈴木実と1927年に結成。
「民藝館」そして「三國荘」の企画はこの協団設立後まもない頃に与えられた大仕事でした。
しかし、個性と情熱の塊のような若人たちが寝食を共にしていたこの団体は、1929年、人間関係の拗れからわずか2年余りで解散し、疲弊した黒田は一時、滋賀の岩根に籠り療養生活を余儀なくされることになりました。
本展で紹介されている黒田の初期家具作品は、まだ実績がほとんどなかった上賀茂時代のとても短い時期に集中して制作されたシリーズであって、それがまとめて丁寧に保存されていること自体、稀有なことといえそうです。
協団解散後も柳宗悦は別団体に黒田を推挙するなど心配りをしていたようですが、結局その後の黒田の作風をみていると、民藝の本流からは遠ざかっていったように感じられます。
本展の後半では、数は限定的ながら、拭漆や朱塗の逸品や、黒田辰秋の代名詞ともいうべき耀貝(メキシコ鮑のこと・棟方志功によって命名された一種の工芸造語)の細工などが主に佐川美術館から出展され目を楽しませてくれます。
黒田辰秋は、民藝が尊んだ「用の美」あるいは「無名工人の芸」といった主義主張そのものよりも、分業職人の世界から解き放たれ、一個人だけで仕事を創造してしまう河井寛次郎のような存在自体に惹かれてこの運動に飛び込んだようなところがあるように思えてなりません。
後年の黒田作品からはいずれも、質朴さや無名性とは真逆の「技巧」、「作家性」が自ずと強烈に立ち上がってきます。
「三國荘」を黒田家具でまとめた民藝信奉者、山本爲三郎自身は、その後、この作家の作品をほとんどコレクションに加えていないようです。
テイストとして後年の黒田が民藝とは違った方向に進んでいることを、山本は、推測ですけれど、鋭敏に感じとっていたのではないでしょうか。
そしてこの人の家具類は、ついには皇居新宮殿の中に置かれることにもなるわけで、民藝の質朴さとはかけ離れたある種、ソフィストケートされた世界に彼が到達していた証左にもなっていると思います。
ただ、後年の洗練されたセンスと確固とした技術力の根底には、木材自体や貝類、そして漆といった「素材」に対するとてつもなく真摯な向き合い方があるのも間違いないことで、その「原点」は、実は、上賀茂時代の家具にすでにしっかりと確認できるように思われました。
さて来年、2024年は黒田辰秋生誕120年のアニバーサリー・イヤーです。
大規模な回顧展などの企画に期待したいところです。