杉本博司プロデュースによる再・神仏習合空間|春日大社国宝殿

 

特別展 春日若宮式年造替奉祝 
杉本博司 ー 春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦

■2022年12月23日〜2023年3月13日
春日大社国宝殿および春日若宮神楽殿・御廊

 

熱烈な春日信仰をもつに至った杉本博司(1948-)による、その春日大社とのコラボレーション企画です。

国宝殿を丸ごと使って、自身のコレクションと春日大社からの宝物等を組み合わせつつ、近作の大型写真作品を展開。

独特の杉本ワールドがこの世界遺産内に出現していました。

 

www.kasugataisha.or.jp

 

大きく3つのパートから成立しています。

まず国宝殿1階には杉本による春日大社を撮影した大型屏風など、彼自身の作品を中心に展示(この1階部分は撮影OK)。

2階にはメインルームに杉本が選定した春日社ゆかりの絵画や美術工芸の数々、サブルームには本宮御料古神宝類(国宝)や仮面の類がまとめて展示されていました(撮影NG空間)。

そして国宝殿の外、春日若宮前にも彼の大型写真がまるで神様と対面するように設置されています(ここは撮影可)。

 

展示レイアウトから照明設定までおそらく杉本博司自身が徹底的に監修したとみられます。

杉本はすでに金沢文庫などで自身の「春日コレクション」ともいうべき収集品を披露する企画を開催していますが、なんといっても、今回はその中心地での特別展ですから力の入れようが凄い。

この人の強烈な春日信仰と美意識が創り上げた別世界に圧倒されました。

 

 

いまや、飄々とした好々爺風に仕上がってきたこのアーティストですが、実行していることはとんでもなくラディカルです。

先日、「日曜美術館」でも取り上げられていた小田原にある彼の「江之浦測候所」。

ついに春日大社に勧請し、ここに個別の社、「甘橘山 春日社」まで建ててしまった様子が放映されていました。

この勧請を実現するため、江之浦測候所のスタッフに神職の資格までとらせるという徹底ぶりには、ちょっと異様さすら感じます。

 

 

さて、よく知られているように、杉本博司は、若い頃、写真家として生計を立てられるようになる前、NYで日本美術を扱う店を営んでいた時期があり、店をたたんだ後も、90年代後半まで古美術商としての活動を維持していました。

つまり、一流の目利きでもあるわけです。

ただその趣味の中心は、茶道具や刀剣、狩野派の絵画などといった日本古美術の本流ではなく、例えば今回も展示されている白洲正子旧蔵としても有名な「十一面観音菩薩立像」に代表されるように、古雅と神秘性を両立しているようなユニークな美意識で製作された、非常に限られた範囲の作品にあるように感じます。

 

「春日曼荼羅」はそうした杉本の趣味に、とても合致する面があるのかもしれません。

絵画にしても、立体曼荼羅にしても、社殿と仏像、あるいは鹿と神像などが組み合わされた、他の日本美術では類例を見ない「春日曼荼羅」独特の表現には、率直すぎるほどの信仰と、それとは裏腹の複雑な図像学が融合しています。

 

通期展示されている鎌倉時代の作とされる「地蔵菩薩立像・神鹿像」は、とても小さい彫像なのですけれど、春日大社のシンボルである鹿の上に、地蔵菩薩がそのまま立つという極めて特異な作品。

非常に繊細緻密に彫られた名品です。

これほど露骨に神仏習合が形になっている図像表現も珍しい。

しかし、当然にこの彫像は春日大社の所有物ではなく「個人蔵」。

明治以降、官幣大社だったここに地蔵菩薩が存する場所はありませんでした。

 


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明治の神仏判然令で、全国的にみても最も甚大な影響を被った寺社の一つがこの春日大社興福寺です。

それまで一体化していた寺と神社は一気に分離され、僧侶は還俗して次々と春日の神官に転職するというありさま。

荒廃した興福寺塔頭からはどんどん寺宝が流出し、他方、春日大社からは仏教色が排除されていくことになりました。

このとき宝物の多くを買い取って海外への流出を防ごうとした実業家の一人が有名な藤田傳三郎で、今回はその縁からなのか、藤田美術館から名品「春日厨子」がゲスト出展されています(2月21日までの展示)。

 

「春日厨子」(藤田美術館で撮影)

「地蔵+鹿」というストレートな神仏合体図像をはじめ、「十一面観音」や、杉本自身の作によるガラス製の「光学硝子五輪塔」群は、本来、仏教側の作品です。

それが今回の展示では、神道ミュージアムである春日大社国宝殿の中に、なんの違和感もなく堂々と陳列されています。

白洲正子旧蔵の「十一面観音」に至っては、背景にこの神社が誇る巨大な国宝「鼉太鼓」をまるで従えるかのような配置。

杉本は、ある意味、令和に至って、ここで、全く新しい神仏習合空間をプロデュースしてしまってもいるのです。

 

 

実は、近年、リ・シンクレティズムというと大袈裟ですけれど、仏教と神道側の接近が目立っているようにも感じます。

特に印象的だったのは、2020年9月、北野天満宮比叡山延暦寺が合同で営んだ「北野御霊会」。

コロナ退散を念じるため、応仁・文明の乱以降途絶えていたというこの儀式がなんと約550年ぶりに再興されたわけですが、それに加えて、北野天満宮での神仏習合による行事自体が、1886(明治元)年の神仏判然令発布以来の出来事だったことが衝撃的でした。

 


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杉本博司による、ある意味、あっけらかんと開き直ったような国宝殿における「再・神仏習合空間」は、こうした流れとは特に関係はしていないのでしょうけれど、かつて苛烈に廃仏毀釈が行われた春日社という場所を考えると、時代の変化を感じさせます。

 

それに小田原の地では、今回勧請された春日社の周りに、杉本コレクションによる仏教美術も当然に存在するわけですから、江之浦測候所自体が新しいシンクレティズムの象徴的装置、その一つとなっていくのではないか、ともいえそうです。