坂本龍一が響くダムタイプ|アーティゾン美術館

 

第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示帰国展
ダムタイプ|2022: remap

■2023年2月25日〜5月14日
■アーティゾン美術館

 

美術館サイドとダムタイプによる、3月28日に逝去した坂本龍一への追悼メッセージが、会場入口に掲示されていました。

このヴェネツィアビエンナーレ凱旋展が始まってから約1ヶ月後の訃報。

まさに会期中に亡くなってしまったので、図らずも彼の追悼展という意味合いをも帯びた展覧会。

 

ご冥福をお祈りします。

 

www.artizon.museum

 

アーティゾン美術館で、ヴェネツィアビエンナーレ帰国展が開催されるのはこれが二度目です。

前回は、服部浩之をキュレーターとして複数のアーティストが共作した「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(2019ヴェネツィア/2020アーティゾン美術館再展示)でした。

映像と音響、オブジェ類を組み合わせたこの「宇宙の卵」も面白い企画でした。

でも今回のダムタイプ展は、語弊は承知で書きますけれど、アートとしてのレベルや格の違いという点で、前回展を大きく上回るものがあると感じます。

 

ヴェネツィアビエンナーレ日本館上階での展示を、その約90%の大きさで、この美術館6階内に再現したのだそうです。

会場内は非常に暗く、ほとんど照明が落とされています。

目が慣れるまで少し足元に気をつけないといけないレベル。

ただ、ヴェネツィアでの展示では自然光が取り入れられた部分もあったそうですから、《2022: remap 》は、単に規模を9割に縮小したということではなく、アーティゾンでの展示に合わせて、文字通り"remap"、「再構成」された作品なのでしょう。

 

 

キューブ状の空間が大小二つ設営されています。

 

大きなキューブでは、厳格に調整されたレーザー光線発生装置によって、壁面に非常な素早さで単語が明滅し、流れ去っていきます。

ぼんやり見ていても意味を解することは難しいのですが、会場内で配布されているリーフレットによれば、1850年代、アメリカで使われた「地理の教科書」からとられた「問い」が示されているのだそうです。

 

「地球とは何ですか?」とか、

「帝国を統治するのは誰ですか?」とか、

「世界で一番大きい共和国はどれですか?」とか、

「私たちはどの国に住んでいますか?」とか、

「ケープフェアウェル(さよなら岬)はどこにありますか」などなど。

 

 

小さいキューブでは天井から吊り下げられた方形の囲いの中におびただしい言葉が点滅したり、時に静止したり。

下から見上げる格好になるので、まるで「言葉の星図」が頭の上で回転しているようにも見えます。

言語の意味性そのものが「流動」してしまっているかのような世界が現前化されていました。

 

室内にはとても抑制された音量で、一種のアンビエント・ミュージックのようなサウンドが響いています。

坂本龍一ダムタイプの「メンバー」として制作した1時間におよぶ作品。

カチカチとしたノイズや、ときどき巨大なバスドラムのような重低音が響きますが、耳を驚かせるようなボリュームではありません。

鳴っているか、いないか、ギリギリのレベルとなる時間もあります。

何かを聞き取ろうとする欲求が、逆に、喚起されるわけですが、それは素早く流れ去るレーザー光線による言葉と同様、掴み取ることができません。

 

次第に時間の感覚が無効化されるような、洗練された不思議空間が味わえると思います。

 

 

キューブの外には、いくつものターンテーブルが置かれています。

白く発光しているものもあれば、消えているものもあり、キューブ内の映像や音響とシンクロしているような、していないような。

のせられているアクリル製のLPレコードには、世界各地で収音されたノイズが記録されていて、こちらもほとんど聞こえるか聞こえないかといった音量で再生されています。

このノイズ・レコーディングも坂本龍一ディレクションによるものです。

 


www.youtube.com

 

《2022:remap》で示されている個々のパーツ自体に、実は、「新しさ」はそれほど感じられません。

キューブ内に投影される映像の中にはすでに《Voyage》(2002)で示された地図のような表現がみられます。

また、発行するターンテーブルたちは、このアート集団を代表するアイコンの一つである《Playback》(1989,2018)です。

つまり、お馴染みのダムタイプ語法が組み合わされているインスタレーションといえなくもありません。

 

しかし、全体の印象は単なる既存アイデアの焼き直し、あるいは置き換えとは遠く、これは、やはり、新しいDUMB TYPEと感じます。

 

その一因が、坂本龍一によって仕込まれた「響き」なのでしょう。

映像や空間に独特の深さと静けさ、そして広がりを与えているように感じます。

意外なことに、彼のダムタイプへの参加は今回が初めてなのだそうです。

特に高谷史郎とは近い関係にあったはずですから、とっくに実績があったのではないかと勘違いしていました。

 

いずれにせよ、残念なことにこれが最初で最後の「ダムタイプ・メンバー」としての坂本龍一作品となってしまったようです。

 

 

坂本龍一は、大森荘蔵との対話の中で、面白い質問をこの哲学者に投げかけていたと記憶しています(本が今、手元にないので間違った表現があるかもしれません。申し訳ありません。)。

 

森の中にいる狩人が、狼の気配に耳を澄ませていたとします。

例えば、狼が二匹いて、彼らがちょうど、正確に音響の定位が決まる2本のスピーカーのような位置で、各々、同じような遠吠えを発した場合、音の像としては、ちょうど二匹の中間点に狼が「存在」しているように把握されることになります。

(左右に離れたスピーカーから発せられるサウンドによって、例えば歌手の声が、真ん中から聞こえる「ステレオ録音と再生」の基本的な原理と同じです。)

 

もし狩人が、その音の像に従って行動したら、狼の餌食となってしまうかもしれません。

それでもこの狩人に生じた感覚が「正しい」といえるのか。

こんな質問だったと記憶しています。

 

つまり、坂本は大森に、「感覚の正しさとは何か」を問うているのです。

日本を代表するこの大哲学者の答えは、実にシンプルにして強力でした。

たしか、「それで良い」、つまり餌食になってしまうのは仕方がない、だったと思います。

この答えに心底、坂本龍一が納得していたのかどうか、残念ながら忘れてしまいましたが、いずれにせよ、彼が、「音」そして「存在」にとても深い思慮を巡らせていたことが伝わってくる対話でした。

 

会場内に設置されたスピーカーは、「超指向性」をもち、回転しながら音を出しています。

ある場所に立っている人には聞こえても、すぐ近くにいる人には聞こえない。

その立場もどんどん入れ替わっていきます。

こうしたサウンド設計にも、坂本龍一の思想が反映されているといえそうです。

 

今回のインスターレーションには、「人」の姿が映し出されていません。

初期から生身の人間が生み出す形や動きを作品に取り入れてきたダムタイプですが、近年の作品では、「人」の主体が、演じ手ではなく、鑑賞者に委ねられているように感じます。

《2022:remap》も、眼や耳、全身の感覚を静かに再起動させられるという意味で、鑑賞者、体験者そのものが作品内の「人」として組み込まれているかのようです。

 

日時指定の予約制。

当日券もあり、おそらく平日なら人数制限がかかりそうにはないと思われますが、当日の場合、予約チケットよりもやや割高になるので注意が必要です。