二条城の高木由利子と田根剛|KYOTOGRAPHIE

 

高木由利子 PARALLEL WORLD 

■2023年4月15日〜5月14日 (京都国際写真祭)
■二条城 二の丸御殿 台所・御清所

 

今回のKYOTOGRAPHIEメイン・プログラムの中で、最大規模に組まれた展示です。

セノグラフィーともども二条城内へ陣取るにふさわしい規模と内容が示されていました。

www.kyotographie.jp

 

昨年末頃から木場の東京都現代美術館で開催され、大人気となっている「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展(2022年12月21日〜2023年5月28日)。

高木由利子は本展のキービジュアルや図録写真を担当するなど、ディオールと密接な関係を構築しているフォトグラファーです。

 

KYOTOGRAPHIEにおける高木展のスポンサーシップもディオールが手厚く担っているとみられ、京都文化博物館別館のマベル・ポブレット展(こちらはシャネル)ともども非常に上質な展示空間が演出されていました。

 

www.mot-art-museum.jp

 

「人工物」としての衣服に、高木由利子は、かなり批判的な眼をもちつつも、その人工の美しさを最終的には強く信じているアーティストだと感じます。

 

「Threads of Beauty」と題されたシリーズには、民族衣装を普段着としている人々が写し出されています。

撮影場所は中東やアフリカなどを含む12カ国に及ぶのだそうです。

とても多彩な人物の表情がみられますが、どの写真にも共通している要素があります。

人としての、侵されることのない「尊厳」、プライドです。

カメラを構える高木に、まっすぐ視線を返す人もいれば、斜に構えたり、別のところを見ている人もいます。

中には明らかに、撮影者を「よそ者」、エトランジェとしてみるような表情をしている人物も、あえて、とらえられています。

高木が優先しているのは、被写体との親密なコミュニケーションから生まれる人間味よりも、身体を包んでいる伝統衣装の人工美を含んだ、丸ごとの「尊厳美」であるように感じられました。

 

 

このシリーズと対極にあるもう一つの世界が、ティオールをはじめとするファッションブランド関連の写真です。

ここには「Threads of Beauty」とは別の、極めて先鋭化された、さらに人工的な「プライド」がみてとれるような気がします。

ブランド毎に先鋭化していますから、それは「時代性」をも当然に強く含有するわけで、民族衣装に身を包んだ人々がある種の時代を超えた「普遍性」をもっているのに対し、いかにも「○○年代風」といった、「古さ」が滲む作品もあります。

ただ、その「古さ」は、ファション写真として、しっかりその時代と呼応していたからこそ、今、感じられる要素でもあります。

高木の真摯な眼差しが切り取った時代の証拠写真と言えるかもしれません。

 

 

二条城二の丸御殿の北東に位置する「台所・御清所」(重要文化財)は、以前にも京都グラフィーの舞台となった建物で、2021年秋の開催時にも使用されています。

通常非公開となっているこの実用的な近世建築は、巨大な土間や板間と、フラットな畳敷の室内が連なっていて、御殿内の大広間や黒書院などにみられる華麗な装飾は全くありません。

そこが逆に現代写真の展示には好適なのでしょう。

素晴らしい展示効果がみられると思います。

 

セノグラフィーは建築家の田根剛が担当しています。

 

巨大な柱や虹梁が特徴的な「台所」の土間と板間を相手にした場合、ちまちましたサイズの写真ではとても釣り合いがとれないと判断されたのでしょう。

思いっきり拡大プリントされた人物写真が、仄暗い空間に林立し、圧巻の景色をつくりだしていました。

 

一方、やわらかく外光が差し込む御清所では、あえて垂直の展示を避け、全て「水平」方向に写真を展示する手法がとられています。

前にも書いた記憶があるのですが、和の空間とモダン写真の組み合わせは、必ずしも相性が良い関係とはいえないのではないかと思っています。

例えば、平凡なイーゼルなどで垂直に展示してしまうと、途端にダサい空間が出現してしまうし、それを嫌って別の簡易的な壁面などで完全に室内を覆ってしまっては、何のために和空間で展示しているのか、意味がわからなくなってしまいます。

 

 

それが床面と並行な「水平」に写真が置かれると、不思議に空間と馴染むのです。

(因みに、別会場である大西清右衞門美術館や光明院で開催されている「ココ・カピタン」の展示も、畳の間に「水平」に写真が置かれていて、こちらでは畳の上に直接折敷を置き、その上に写真が載せられています。)

 

もちろん、デメリットはあって、ほこりなどで汚れやすくなるという物理的な問題に加え、垂直方向に展示された場合より、上から覗き込まなければならないので、鑑賞上、ややストレスを感じることにはなります。

しかも、田根による今回の展示演出では、照明が使われていないため、光源は外光のみとなりますから、さらに個々の写真は見えにくくなっているともいえます。

 



でも、中庭からの間接的な光に照らされた高木の写真作品は、それはそれで独特の美観を得ていて、一般的な展示空間では味わえないユニークな世界が現れているのではないでしょうか。

写真そのものが光と影の芸術ですが、そこにさらに展示空間自体の陰影が美を重ねているかのようです。

 

田根は大胆に室外にも展示空間を広げています。

台所・御清所に隣接する二の丸御殿「遠侍の間」や「白書院」などを、なんと借景として、モノクロの巨大写真を展示。

寛永建築とモダンフォトグラフィーの不思議に魅力的な共演を楽しむことができました。