企画展「修理のあとに エトセトラ」
■2023年4月8日~5月21日
■中之島香雪美術館
香雪美術館の開館は1973(昭和48)年。
今年2023年は50周年のアニバーサリーイヤーにあたります。
御影の本館は長期休館に入っていますが、中之島の方では、コレクションの越し方行く末をじっくり語るような、素晴らしい展覧会が開催されています。
とてもよく練られた企画と感じました。
経年劣化が進む収蔵品の修復作業がメインテーマとなっています。
この種の企画は、特に珍しいものではないのですが、本展がまずユニークなのは、各修復作業を担った企業、工房などをしっかり名前をあげて紹介しているところにあります。
例えば、細部まで緻密な描画が残る岩佐又兵衛「堀江物語絵巻」の修復は、西本願寺門前の(株)宇佐美松鶴堂の仕事。
この美術館を代表する名品、長谷川等伯の「柳橋水車図屏風」は富小路三条の(株)岡墨光堂の手により輝きが維持されています。
また、平安仏像の名品である「薬師如来立像」(重文)は、美術院に像が持ち込まれたそうです。
「牡丹文堆朱天目台」に代表される漆工芸の修理に関しては斯界の第一人者、山下好彦が担っています。
他にも作品単位でしっかり修復を委託した企業の名前が会場内で明示されていました。
美術院のような公益財団法人から、江戸時代から続く老舗、さらに個人まで。
分野や素材に応じてその道の多彩なエキスパートたちによって村山コレクションが支えられてきたことが、作品とともに実感できると思います。
会場内では、掛軸や絵巻、仏像や工芸といったカテゴリー単位で、修復作業のポイントがわかりやすく図示されています。
一口に修復といっても、素材や技法の違いによって、それぞれに専門的な知識と技術が必要なことなど、図解とともに要点が見事に整理されているので、コンパクトな規模ではありますが、結構、情報量があり、見応え十分。
また、会場内での説明板をさらにまとめた、出品目録を兼ねた鑑賞ガイド(無料)も用意されています。
非常に鑑賞者目線を大切にしている姿勢と感じました。
今回は珍しく、全点、「写真撮影OK」(スマホ・携帯限定)となっています。
他館からのレンタル品等があると撮影制限が全部、あるいは一部にかかってしまいますが、本展は全て香雪美術館自前の作品ばかりですから、こうした措置が可能となったのでしょう。
シャッター音問題とか賛否はありますが、私はスマホ撮影、歓迎しています。
ただ、気難しそうなシニア男性客あたりから、「パシャパシャうるさい」とかクレームが出そうではあります。
そうした文句に是非ともめげずに「撮影OK」の方向で香雪美術館には今後も頑張ってほしいと思います。
嵐山の福田美術館のような「耳栓提供」方式はちょっと極端かもしれませんが、クレーム客に対する一つの対処法ではあるのでしょう。
それよりも、ノイズキャンセリングイヤホンの活用など、この問題に関する解決法は、美術館サイドではなく、すでに、鑑賞者各自に委ねられていると思われます。
この企画展は、会期中、作品の入れ替え、「前期」「後期」といった区切りがありません。
これも昨今の日本美術系展覧会では珍しいことです。
全体で1ヶ月を少し超えるくらいの展示期間ですから、例の重要文化財に対して言われている「年間60日間制約」もクリアーしているからでしょう。
しかし、これがむしろ本来の展示のあり方ではないか、とも思えます。
中之島香雪美術館は、今回の企画について「期間中の入れ替えはない」ということを、あえて告知しています。
こうした本来は当たり前であることの重要性をきちんと意識した企画でもあります。
以上、企画自体に見られた特筆点をあげてみましたが、なんといっても、この展覧会の素晴らしさはセレクトされている「作品」そのものにあります。
岩佐又兵衛、あるいは彼の工房によるとされる「堀江物語絵巻」の異様なまでの装飾的描写力。
等伯の「柳橋水車図屏風」にみられる、もはや琳派ではないかとも感じられる大胆なデザインセンス。
修復作業を終えたもの、修理を間近に控えたもの、いずれも村山コレクションを代表する名品の数々が揃えられています。
あらためてその素晴らしさを今回はじっくり堪能することができました。
村山龍平の不思議なこだわりに関する展示もあります。
メインビジュアルの一つに採用されている「猿丸太夫」(上畳本三十六歌仙絵)です。
(修復は宇佐美松鶴堂から独立した京博内の修復担当企業、松鶴堂が実施)
村山龍平は、有名な佐竹本三十六歌仙絵巻の「分割」とその「抽選会」には参加していませんでした。
当時の著名な実業家数寄者だった彼にしては意外な態度です。
でも、この上畳本「猿丸太夫」は入手しているのです。
三十六歌仙絵に興味があったのか、なかったのか、ややミステリアスなものを感じます。
今回の企画では、古絵巻・古筆研究家の田中親美(1875-1975)が大正期に写した佐竹本絵巻の複製が展示され、「猿丸太夫」の部分が開陳されていました。
田中の複製絵巻には「抽選会」の当選者リストがご丁寧にも付記されています。
佐竹本の分割とその抽選会からは「距離を置いていた」(香雪美術館のコメント)とされる村山龍平の真の気持ちはどこにあったのでしょうか。
当選者リストを見ていて、そんなことを妄想していました。
ちなみに佐竹本の「猿丸太夫」を入手した人物は「船橋理三郎」と田中の複製には記載されています。