「五条高倉」バス停のすぐ目の前、地下鉄の五条駅からも徒歩数分の場所に、浄土宗の寺院、西念寺があります。
通常非公開ですが、2023年4月22日から5月7日にかけ、京都古文化保存協会主催による特別公開が実施されました。
西念寺は大幹線道路である五条通(国道1号)に、直接、面しているのですが、境内は非常に狭く、鉄筋コンクリート造とみられる本堂は一見、民家のようにもみえます。
高倉通側に正面を向けた境内の西側には、小さい社「千喜万悦天満宮」と鳥居があり、寺の玄関前を占めているので、神社なのか寺院なのか、よく見ないと判然としません。
小規模寺院が密集する河原町五条界隈の中で比較しても、その外観からは気の毒なくらい地味な印象を受けます。
創建は16世紀に遡るという歴史をもつお寺です。
しかし、戦時中、五条通沿いに実施された建物疎開と拡幅工事によって寺域の多くを失うという不運に見舞われた結果、現在の規模に縮小してしまったのだそうです。
いわゆる「観光客向けの寺院」では全くありません。
そんな西念寺が一般の脚光を浴びたのが2009年8月。
学術調査によって、寺宝の「仏涅槃図」がなんと平安時代の絵画ということが判明したのです。
描かれてから1000年以上も経過した図像。
しかも、調査が行われる前、毎年の涅槃会で実際に使用されていたというから驚きです。
当然に激しい損耗がみられたため、修復が急がれることになりました。
2013年と2015年の2回、今回と同じ主催者によって特別公開が実施され、修復費用支援などが呼びかけられました(費用は約2千万円と見積もられたそうです)。
2016年秋、この絵画が重要文化財指定されたことを受け、国庫補助金の目処もたったことから修復作業が開始されています。
修復を担当したのは、この道のエキスパート、富小路三条の岡墨光堂です。
今回の特別公開により、修復作業完了後の「仏涅槃図」が初めて披露されることになりました。
意外と奥行きのある本堂内に、剥き出しのまま、堂々と展示されていました。
今後、どこかの博物館に寄託されたりすると、こんな臨場感のある対面はできないでしょう。
非常に貴重な鑑賞機会となったのかもしれません。
修復前の状態を確認していませんから、どの程度、絵画が鮮明になったのか、私にはわかりませんけれど、とても1000年以上「現役」使用されていたとは思えないくらい、その描画が明確に認識できます。
横たわる釈迦の姿を中心に、悲嘆の形相を示すキャラクターたちが描かれていて、図像的には涅槃図のスタイルそのものといえます。
しかし、後世、数多く描かれた涅槃図とは、かなり異質な雰囲気を感じることも確かです。
縦が172.5センチ、横は206センチ。
一般的な涅槃図が縦長なのに対し、西念寺の絵画は、やや横長ということになります。
上部が失われてしまった、ということも考えられるそうですが、左上には月が白く輝いていますから、現在残っている図像上は、天地が破綻なくしっかり収められているとみることもできそうです。
他方、釈迦を取り巻く諸天の像などは、手前に描かれた動物たちと比べるとかなり大きく、遠近感はほぼ無視されていて、そこがとても古雅な印象を受ける一因となっています。
何より驚くのは、その多彩なキャラクターたちの表情です。
一つとして紋切り型の描写はなく、一部にはまるで妖怪のような凄みを感じさせる劇的な様相があらわされています。
涅槃図にみられる悲嘆の表情は、時代が下がるにつれ、かなり様式化が進み、悲しみというより、むしろ、滑稽さすら感じさせる描画が多くなります。
しかし、西念寺涅槃図では、仏画がもつべき気品と格が遵守されつつも、各々の面相それぞれに個性があり、しっかり「悲嘆」が表されていると感じます。
これを描いた平安絵師がもっていた、鋭く豊かな想像力と、のびやかな筆使いに圧倒されました。
「仏涅槃図」は、西念寺自身の歴史よりも遥かに古い文化財ということになります。
どうしてこの寺に伝わったのか、それ自体がミステリアスな平安涅槃図です。
ここにみられる強烈に個性的な悲嘆の描写には、どこか異様な「切実さ」も感じられます。
平安時代後期にこの絵が制作されたとすれば、1052年、すでに末法は到来しています。
釈迦の教え自体が滅したとされる世界で、この涅槃図を信仰した人たちには、「悲嘆」が、より一層、身近に感じられたでしょうし、絵師自身もそれを十分意識して描いたのかもしれません。
さて、今年2023年は、偶然、もう一枚、非常に有名な涅槃図の修復が完了し、お披露目されています。
東福寺の涅槃図です。
3月14、15、16日の法堂に於る涅槃会で初公開されましたが、4月15日から5月7日まで、さらに特別公開が実施されています。
こちらは、縦11.2メートル、横6メートル。
西念寺の涅槃図と、比べる意味はあまりありませんが、約20倍も大きい、まさに「大涅槃図」です。
室町の伝説的画僧、吉山明兆が描いたとされる巨大仏画。
約4年に及ぶ作業の結果、汚れなどが落とされ、画面の明るさが復活したそうです。
規模も時代も全く違いますが、西念寺と東福寺、2枚の涅槃図にはある共通点がみられます。
どちらにも、涅槃図ではお約束ともいえる、釈迦の生母、摩耶夫人が空から飛んでくる図が描かれていません。
西念寺涅槃図は、横長なのでこのモチーフを描く余地がなかったのではとも推論できますが、東福寺涅槃図は十分な上部スペースがあるのに、描かれていません。
上空に置かれているのは、西念寺も東福寺も印象的な「月」だけです。
末法の平安絵師も、室町の天才絵師明兆も、摩耶夫人をあえて登場させず、釈迦とその周囲の「嘆き」だけに焦点をあてています。
東福寺の涅槃図には、図像的には登場させない動物であるはずの「猫」が描かれていることで知られています。
摩耶夫人は猫を嫌ったとされていますから、この関係性から、猫を優先した結果、空からの摩耶夫人にはご遠慮願ったという解釈もできそうではあります。
でも、なぜそもそも明兆は「猫」をあえて描こうとしたのでしょうか。
それぞれに、それぞれの「切実な心情」があった、ということなのでしょう。