アンヌ・ケフェレック ピアノリサイタル DAY1 -最後の3つのソナタ-
■2023年5月12日 18:00開演
■青山音楽記念館 バロックザール
・ピアノソナタ 第30番 ホ長調 op.109
・ピアノソナタ 第31番 変イ長調 op.110
三章だての濃密な中編小説を読み終えたような気分になりました。
こんなベートーヴェン後期のとらえ方もあるのかという発見があった点でも手応え十分のリサイタルとなりました。
アンヌ・ケフェレック(Anne Queffélec 1948-)のベートーヴェンを聴くのは初めてです。
この人といえば、サティやドビュッシーといったフランス近代、あるいはモーツァルトやショパンの名手といったイメージをもっています。
度重なるラ・フォル・ジュルネでの来日リサイタルで一番印象に残っている彼女の名演は、ショパンの舟歌と子守歌。
この二曲に関しては、ケフェレック以上のパフォーマンスはちょっと想像できないほどの名物ではないかと思っています。
今年2023年の来日も、東京でのLFJに合わせてのものです。
そのLFJ2023で、ケフェレックは今回の3曲を1コマのプログラムで一気に演奏したようです(こちらは鑑賞していません)。
この女流、すでに70歳代後半を迎えています。
3作品まとめても1時間ちょっとですから、できないことはないわけですが、その気力と体力に驚きます。
バロックザール公演では、ケフェレックによるプレトークとミドル(?)トーク(通訳は深見まどか)を組み込み、一夜のプログラムとしては時間的に短すぎるところを補っていましたが、終始、軽妙な語り口を維持しつつ、ベートーヴェンに対する深い共感の念を観客に伝えようとしていた姿が印象的でした。
トークの中でケフェレックは「32番の後に、前の2作品を演奏することはできない」と語っています。
おそらく、この人は、ベートーヴェン最後の3つのソナタを「ひとまとまり」の作品としてとらえているのかもしれません。
しかし、一夜の構成としてみた場合、この3曲をつなげて演奏する、あるいは鑑賞するということは、相当に微妙な部分があるのではないかとも思えます。
あまりにも内省的な音楽が連なるので、バランスが非常にとりにくいのです。
逆に、ピアニストとして相当な自信、この作品世界に向き合う準備ができたからこそのプログラムとみることもできるかもしれません。
30番の開始直後からしばらくの間は、やや散らかったような響きと感じました。
バロックザールは、大変素晴らしい音響をもつホールで、特に弦や古楽器にはうってつけなのですが、コンサートグランドに関してはやや「響きすぎる」ところがあります。
そうしたホール特性の影響もあったのかもしれません。
しかし、演奏が進み響きが整理されてくると、途端にケフェレックらしい、鍵盤の色彩美が現れてきました。
総じてテンポは早めにとられていました。
テクニシャン系の人ではありませんから、もっと遅めにした方がタッチの乱れなどが少なくなりそうなのに、とも思ったのですが、ケフェレックが何より尊重していたのは、ベートーヴェンが作品に込めた、複雑なアーティキュレーション理解を要求する「語り」そのものであったように感じています。
特に、彼女が「ベートーヴェンの自画像」と形容する31番では、緩急を自在に操りながら、まるでピアニストが作曲家と語らうように音楽が進行。
最終楽章のフーガでは男性的ともいえそうな壮麗な完結部を見事に響かせていました。
休憩後の32番にもっとも素晴らしい成果が現れたと思います。
第1楽章が持つ厳しい対位法の世界。
ケフェレックはその形を崩すことなく、アゴーギクを存分に変化させ、音楽を波立たせては鎮めていきます。
音色自体がとてもカラフルなので、ベートーヴェン後期の韜晦さや渋みが後退し、そこにやや違和感すら覚えたのですけれど、第2楽章のバリエーションが始まると、何か別の「地平」がひらけたような不思議な気分に襲われました。
前半ではやや粗さがみられたタッチコントロールがここでは完全に統御され、透明感を得た響きの中、変奏ごとにニュアンスが幻想性をもって移ろっていきます。
確かに、この後に「続く」音楽は想像できません。
ケフェレックは、3曲を通じて、その最後に、32番第2楽章のもつこの「新しい地平」の美しさを示したかったのでしょう。
素晴らしい解釈だったと思います。
あらためてケフェレックの経歴をみると、この人はパリでの学業を終えた後、ウィーンでバドゥラ=スコダ、デームス、ブレンデルといった名だたるベートーヴェン弾きに師事していることが確認できます。
ただ、では、ドイツ=オーストリア系ピアニストのベートーヴェンにみられる端正さ、古典的スタイルの重視といった特質が、ケフェレックの演奏に顕著なのかと言われると、どうもそうでもないという印象をもちました。
スタイリッシュさを基底には持ちながらも、千変万化に表情をつけていくそのスタイルと、高音のトリルにみられた宝石のように煌びやかな色彩術の妙技。
これは彼女独特のベートーヴェンであって、一概にフランス的とかウィーン的といった形容では括れない魅力を感じました。