先日、アンヌ・ケフェレック(Anne Queffélec)のリサイタルを聴きました。
演目はベートーヴェンの後期三大ソナタです(2023年5月12日 上桂 青山音楽記念館バロックザール)。
とても味わい深い演奏で、鑑賞し終わった後、余韻が長く持続。
我慢しきれなくなり、最近リリースされた彼女による同曲のCDを購入してみました。
制作はMIRARE。
ラ・フォル・ジュルネの仕掛け人、ルネ・マルタンが手掛けるレーベルで、ERATOの後、ケフェレックは専らここから録音をリリースしています。
さて、これ、結構な名盤ではないかと思います。
実演のときはやや早めのテンポを基調としていたために、特に前半、タッチコントロールに乱れが散見されたケフェレック。
しかしこのディスクでは速度を概ね中庸に設定し、とても丁寧に音粒が連ねられていきます。
特に素晴らしいのがペダリング。
もともと非常に華麗な音色の持ち主ですが、ここではむしろ一音一音のもつ響きの質感が最優先されていて、細やかに倍音と余韻がコントロールされています。
歌謡性を尊び、エモーショナルな抑揚付けをやや優先していた実演に対し、録音では、フレーズ一つ一つに込められたベートーヴェン自身の「語り」が実によく再現されています。
ケフェレックはアルフレート・ブレンデルに師事したピアニストです。
師匠ほど極端に「語り」を優先してはいませんけれども、譜面を十分に血肉化した解釈は、ややベートーヴェン後期にしては「わかりやすすぎる」ほどに説得力があると感じます。
録音の素晴らしさも特記事項かもしれません。
2022年2月5日から8日にかけ、フランス、ポワティエにあるThéâtre Auditorium de Poitiers(TAP)の講堂で収録されています。
ここは、写真で見る限り、ウッディーな素材をふんだんに取り入れたモダンなホールと見えるのですが、さほど天井は高くなく、残響は常識的な範囲かと思われます。
とても大きく音像がとらえられていて、眼前に鍵盤が広がるようなマイク・セッティング。
やや不自然さも感じられるものの、ケフェレックの滋味深いタッチとペダリングの妙技がしっかり捕捉されていて、その響き自体の情報量に驚きます。
ライナーノートはケフェレック自身によって書かれています。
このピアニストの知的な側面が如実に現れている文章と感じました。
ケフェレックは後期三大ソナタを"Les trois sœurs"、「三人姉妹」と呼んでいます。
即座にチェーホフが連想されますが、彼女はライナーノートの中で直接この戯曲には触れていません。
ただ、彼女が、Op.109,Op.110,Op.111の3曲を「ひとまとまり」としてみていることは、この表現からも伺い知ることができます。
ケフェレックは、ヴァーグナーからはじまり、ミラン・クンデラに至るまで、さまざまな人々が語ったベートーヴェンに関する言葉を引用、連ねながら、この作曲家への絶大な共感を示しています。
トーマス・マン、テオドール・アドルノ、ヴィルヘルム・ケンプ、ピエール・ブーレーズなど、引用される言葉の発言者たちは実に多彩で、そのいちいちが興味深い内容を伴っていました。
意外だったのは、エリック・ロメールが、ベートーヴェンについて"le chant de reconnaissance"、つまり「讃歌」(ケフェレックがこう表現しています)ともいうべき言葉を残していること。
ケフェレックによれば、ロメールはベートーヴェンの音楽について、"la joie de l'esprit victorieux et libre"と語り、非常に強い賛辞を表明していて、この言葉を彼女自身、とても気に入っているのだそうです。
ちょっとこちらが恥ずかしくなるくらいストレートなベートーヴェン讃歌なのですが、人生の皮肉を撮りあげてきた名映画監督の言葉として聞くと、むしろ含蓄の深さを感じます。
ケフェレック自身は、後期三大ピアノ・ソナタについて、簡潔に三つの言葉によって表現しています。
"Es ist volbracht" (「ヨハネ受難曲」の一節)
"Es muss sein"
"Ecce homo"
ここまでくるともはや信仰、あるいは、哲学の域です。
ただ、前述した通り、ケフェレックの解釈自体は、むしろ難解さを伴うベートーヴェン後期の音楽を、実にわかりやすく提示していると感じます。
それは、彼女がこの音楽自体を、とめどもない喜びを伴いながら、「全肯定」しているところから生じているのかもしれません。
ケフェレックは、ルネ・シャールの言葉を引いて、ベートーヴェンの音楽が持つ「普遍性」に言及しています。
シャールは、人間が「タブララサ」、つまり何も書かれていない「真っ白」な状態ではなく、「過去を相続している」存在と語っているそうです。
極めて内省的な音楽とみられることが多いこの後期三大ソナタも、予備知識や鑑賞の素地など必要なく、「誰にでも開かれている音楽」であるということを、彼女はこの大詩人の言葉を借りて伝えようとしているのでしょう。
このディスクには、ケフェレックが、まさに"Es muss sein"を体現した演奏が収められていると言えそうです。