加賀正太郎「蘭花譜」展|大山崎山荘美術館

 

加賀正太郎没後70年・ニッカウヰスキー90周年記念
蘭花譜と大山崎山荘ー大大阪時代を生きた男の情熱

■2024年3月9日〜5月12日
■アサヒグループ大山崎山荘美術館

 

大山崎山荘を建てた実業家、加賀正太郎(1888-1954)の足跡をたどりつつ彼が制作した植物図鑑「蘭花譜」をたっぷり展示するというユニークな企画展です。

あまりにも爽やかな新緑の天王山とともに館内のカフェでしっかりビールも堪能してきました。

www.asahigroup-oyamazaki.com

 

大山崎山荘美術館は二人の実業家に所縁のある場所です。

普段は現在ここを管理運営しているアサヒグループを率いた山本為三郎(1893-1966)のコレクションを中心に展示していますから、まるで山本がこの建物に住んでいたかのように勘違いしてしまいそうになりますけれど、もともとは加賀正太郎が1932(昭和7)年に建てた居館です。

正太郎の死後、加賀家の手を離れたこの館は一時荒れ放題になっていたそうですが、紆余曲折を経てアサヒビールの所有するところとなり、1996年に美術館として再生しています(なお、以前は「アサヒビール大山崎山荘美術館」でしたが2023年から「アサヒグループ大山崎山荘美術館」と名称がマイナーチェンジされています)。

山本為三郎自身はここに住んだことはなく、アサヒビールが加賀の館を買い取って自身のコレクションを展示することなど知らぬまま亡くなっているわけですが、生前の両者にはビジネス上の強い結びつきがありました。
ニッカウヰスキー筆頭株主であった加賀は、必ずしも経営が順調ではなかった同社の株を死を目前にして旧知の仲であった山本為三郎に譲渡。
結果、周知の通りニッカウヰスキーはアサヒグループの傘下に入り現在もそのままブランドを維持しています。
こうした因縁からアサヒビールがここを所有することになったわけです。

大雑把にいえば、大山崎山荘美術館は加賀正太郎が建物を、そして山本為三郎がコレクションを提供しているミュージアムといえますが、両人ともこんな形でコラボすることになるとは予想もしていなかったはずです。

 

 

今までこの美術館では当然に山本為三郎由縁の品々を中心とした企画展が多く開催されてきました。
山本は民藝運動に共鳴していたため河井寛次郎バーナード・リーチなどの作品もほぼ常時展示されています。
最近では山本が大阪の三国に建てた民藝の館「三国荘」に置かれていた黒田辰秋制作の家具を特集するなど意欲的な企画展も開催しています。
他方、山本ほど美術コレクションを築かなかった加賀正太郎の存在に光をあてる企画については難しい面もあったのでしょう。
本展はひょっとすると2017年の「漱石と京都-花咲く大山崎山荘山荘名品展」以来の加賀正太郎を主役にみたてた企画展かもしれません。

ところで加賀正太郎という人物は山本為三郎にまったく引けをとらない実業家にして大変な趣味人でもありました。
本展で紹介されている内容をみると、彼の趣味は主に4つあったようです。

一つ目は登山です。
といってもこの人の場合、趣味の域を遥かに越えていました。
1910(明治43)年、加賀は日本人として初めてスイスアルプスの名峰ユングフラウに登頂しています。
本展では加賀が登頂時に着用していた服や荷物入れの箱などが信州の市立大町山岳博物館からゲスト出展されていました。
あまりにも軽装備だったことに驚きます。
加賀正太郎は山岳登山史に名を残した偉人として信濃大町で尊敬を集めている人物でもあるのです。

www.omachi-sanpaku.com

 

ユングフラウ登頂は青年時代の加賀正太郎が欧州に遊学していた頃に敢行されています。
イギリスに遊んだ加賀正太郎がのめり込んだ二つ目の趣味がゴルフです。
こちらも登山とはまた違った意味で趣味のレベル以上の趣味でした。
加賀は彼と同じ大阪の実業家で付き合いがあった広岡久右衛門と共同で、現在も続く名門ゴルフ場「茨木カンツリー倶楽部」を設立しています(設立認可は1923年)。
大阪初の本格的ゴルフコースの誕生に深く関わっていたわけです。
展示では昭和5年度の「クラブチヤンピヨン」としての加賀の写真の他、「加賀杯」と名付けられた重厚なシルバーのトロフィー等が披露されていました。

 

英国滞在時、加賀は王立植物園「キューガーデン」を見学しています。
そこで第三の趣味である園芸に目覚めてしまったようです。
加賀は大山崎山荘内で蘭の栽培をはじめるのですが、徹底した趣味人であるこの人はわざわざ新宿御苑から「洋蘭の神様」と呼ばれていたという園芸家後藤兼吉を招き、新種の開発にも没頭していくことになります。

加賀と後藤によって栽培された蘭から104種を選んで画集にまとめられた作品が『蘭花譜』です。
木版画84枚、洋画とモノクロ写真で20枚、10年かけて制作され1946(昭和21)年に300部が刊行されました。
本展では本館と接続された「山手館」の中で一枚一枚額装され壁面を埋め尽くすように披露されています。
安藤忠雄が設計したこの展示ルームがある場所にはもともと蘭を栽培していた温室があったのだそうです。
ずいぶん洒落た演出です。
植物図鑑的に蘭の姿を正確に写しとることが目的に描かれているのですが、背景に微妙な色合いの薄墨が施されているなど、浮世絵的な技法もみられます。
写実と繊細な色彩感覚が融合したとても美しい版画で、当時最高の彫師や摺師が動員されたのだそうです。
本展では木版画印刷を委託された芸艸堂から校正に関する資料なども紹介されていて制作に関してかなり細かい注文がなされていたことがわかります。
原画を描いたのは池田瑞月(1877-1944)。
若い頃木島櫻谷に学んだ人で特に植物画を得意とした日本画家でした。
蘭花譜』は京都画壇所縁の作品でもあるわけです。

www.hanga.co.jp

 

さて、加賀正太郎、四つ目の趣味です。
それはなんといってもこの大山崎山荘自体でしょう。
チューダー様式で建てられたこの館こそ加賀が生涯愛した場所であり、桂、宇治、木津の三川と対岸の男山を一望するテラスや開放的な浴室など、随所にこだわりの設計思想がみられます。

加賀正太郎はたまたま京都に滞在していた夏目漱石をここに招いて歓待したことがあり、その折、居館の名前について漱石に相談したのだそうです。
漱石は14種もの命名候補を加賀に送っていてその書簡が公開されています。
しかし結果は全て不採用。
結局「大山崎山荘」と名付けられました。
漢文をよくした漱石の案は100%洋風建築であるこの館には大袈裟な名前が多いようにも感じられ、そこがまた可笑しさにつながっています。

なお、館内の写真撮影は例によってNGです。