源氏物語絵巻が主役ではない徳川美術館展

 

徳川美術館展 尾張徳川家の至宝

■2024年4月27日〜6月23日
あべのハルカス美術館

 

アートワークのメインビジュアルに「源氏物語絵巻」の「宿木三」が大きく使われていますから、徳川美術館が誇るこの国宝絵巻がたっぷり展観される企画展と勘違いしてしまう方がいらっしゃるかもしれません。

しかし一回の鑑賞で味わえる絵巻は一枚だけです。
この展覧会の主役は源氏物語絵巻ではありません。
御三家筆頭の格式を誇った尾張徳川家が守り伝えてきた家宝の一群そのものが主役です。

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とはいえ、やはり源氏物語絵巻は「特別公開」と銘打たれフィナーレを飾るように会場出口付近に一点のみゆったりと展示されています。
この展覧会では、徳川美術館が所有する8巻のうちの4巻、すなわち「竹河一」「早蕨」「宿木三」「東屋二」が公開されるのですが、1巻単位でそれぞれ約2週間展示され、会期中に切り替わる方式がとられています。
最も人気が高いと思われる「宿木」は5月28日から6月9日までの公開です(詳細はあべのハルカス美術館がHPに掲載している目録PDFをご参照ください)。

公開期間が短く設定されているのは当然作品保護が理由と思われますが、この絵巻が目当てという人も多いでしょうから、4回に分けるというのは少々やりすぎのようにも感じます。

また、本展はこの後、サントリー美術館に巡回(7月3日〜9月1日)しますけれど、徳川美術館が蔵する「源氏」の残り4巻である「柏木三」「横笛」「橋姫」「宿木二」はこちらでも4回に分けて展示される予定となっています。
紫式部イヤーの今年ならではの企画とはいえ、徳川の源氏物語絵巻をコンプリートするためには天王寺と六本木あわせて計8回、この特別展に通わなくてはなりません。
さすがにそこまで奇特な人は多くはないでしょう。

なお蛇足ですが、もう一つの源氏物語絵巻コレクションを有する五島美術館での「鈴虫一」「鈴虫二」「夕霧」「御法」の今年の恒例展示(4月6日〜5月6日)はすでに終了しています。

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刀剣などの武具、書画に茶道具、能装束などいかにも元大名家らしいコレクションがみられます。
意外だったのは絵画の分野で、大型作品は探幽の屏風くらいでしょうか。
住吉具慶や狩野常信による細密に美しい小品も披露されていますが、今回の展示はやや地味目な作品が多いようです。
もっとも尾張徳川家最大の近世絵画遺産は現在名古屋市の所有になっている名古屋城内を飾っていた狩野派による豪華な障屏画の数々であり、明治に入って徳川慶勝が城を政府に献上するまではここの家宝でもあったわけですから、尾張徳川家自体が絵画芸術に冷淡だったということでは全くありません。

他方、この展覧会における華麗さという点ではなんといっても工芸調度品の数々です。
中でも源氏と並ぶこの美術館の至宝「初音の調度」は絵巻同様「特別公開」としてたっぷりスペースを確保し恭しく展示されていました。
全部で70件から成る豪華絢爛な工芸品で1996年に一括して国宝指定されています。
今回は「初音蒔絵旅櫛箱」(前期)と「初音蒔絵掛硯箱」(後期)が出展されています(これもサントリーでは別の品が展示される予定です)。

こうした工芸品は往々にして作者や来歴がわからなくなってしまうケースがありますが、「初音の調度」は非常に細かく由緒を辿ることができる名品として知られています。
(以下は2022年〜23年、三井記念美術館他で開催された「大蒔絵展」の図録を適宜参照しています)

 


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「初音の調度」、その発注者は江戸幕府三代将軍徳川家光(1604-1651)です。
仕事を請け負ったのは室町時代から幕府の御用蒔絵師であった幸阿弥家の第10代当主、長重(1599-1651)。
家光の長女千代姫(霊仙院 1637-1698)が尾張徳川家二代光友(1625-1700)に嫁ぐ際に用意された婚礼調度品です。

19歳で当主を引き継いだという幸阿弥長重ですが、この作品の前、すでに徳川秀忠の五女和子が後水尾天皇に入内する際の品々を手掛けていますから家光からの注文も実績十分な蒔絵師としての信任を得て行われたのでしょう。
幸阿弥家の家伝書には長重が「寛永14年」(1637年)に受注し約2年半かけて「初音の調度」を制作したことが記録されています。
つまり千代姫が生まれたその年に婚礼調度品としての注文が幸阿弥家になされていたということになります。
そしてその品の完成と合わせるかのように、わずか3歳で千代姫は光友に嫁いでいます。
「初音の調度」は「源氏物語」をモチーフとしつつバロック的といってもよいくらい豪華かつ過剰に装飾が施された工芸です。
徳川家光の周到かつ異様なこだわりが感じられる作品であり、趣味性はやや異なりますがこの過剰さは日光東照宮陽明門に通じるものがあるかもしれません。

この他、千代姫所縁の工芸品として金100%で鍛造された「薬鍋(薬罐)」や「茶碗」、銀100%の「香盆飾」なども紹介されています。
素材の豪華さと造形の品格高さを両立した高度な技巧に驚きました。

千代姫は正室ですから尾張名古屋に暮らしたわけではなく、尾張上屋敷があった江戸でその生涯の大半を過ごしたと思われます。
尾張上屋敷は現在防衛省の敷地となっている市谷本村町あたりにありました。
今みられるこの場所の雰囲気からは想像もできませんが、かつて寛永芸術の最高峰ともいえる作品が新宿区内にあったわけです。
1698(元禄11)年12月10日、霊仙院千代姫は市ヶ谷屋敷で亡くなり増上寺に葬られています。

ところで徳川美術館の加藤祥平学芸員によると、尾張徳川家21代当主にしてこの美術館の先代館長だった徳川義宣(1933-2005)は、鑑賞者が先入見をもってしまうことを厭い、あえて展示品に「国宝」「重要文化財」の表示を行わなかったのだそうです(図録P.14 )。
達見だと思いますが、本展では逆に国宝絵巻がやや客寄せパンダ的に扱われてしまっているので先代の意とは少し違ったマーケティングスタイルになってしまっているようではあります。
とはいえコストのかかる出開帳企画ですからやむをえない方式だったのでしょう。

 

写真撮影は全面的にNGです。
GWも終わった平日のハルカス美術館に目立った混雑はありませんでしたが、「宿木」目当てのお客さんが集中するかもしれない5月末から6月初はやや注意が必要かもしれません。