開館記念展 皇室のみやびー受け継ぐ美ー
第4期 三の丸尚蔵館の名品
■2024年5月21日〜6月23日
■皇居三の丸尚蔵館
昨年の11月からスタートした皇居三の丸尚蔵館のリニューアル記念シリーズ「皇室のみやび」がいよいよ最終回である第4期を迎えています。
結局シリーズ全てを鑑賞してしまうことになりました。
どの回も素晴らしい内容でしたが質と量共に今回が最も豪華に仕上がっているといえそうです。
数は限定的だったものの国宝のみで構成された第1期、明治宮殿を彩った近代美術工芸をテーマとした第2期、京都御所時代の名宝を取り揃えた第3期に対し、今回の第4期では主に近代に入ってから皇室に納められた「献上品」をキーワードに平安時代の書跡から横山大観による昭和初期の大屏風まで、傑作だらけともいえる館蔵品の中でもハイライト的作品が集められています。
国宝「春日権現験記絵」は第1期でも展示されていましたが今回は別の箇所である巻一の第二、三段が展開されています。
中世の大工仕事が丁寧に活写された場面は絵画史だけでなく日本建築史のテキストなどにも登場する極めて有名な部分です。
鷹司家より明治に入り2回に分けて皇室に献上されました。
「天子摂関御影 天皇巻」が全開されています。
鳥羽天皇から始まり後醍醐天皇で終わります。
ただ近衛天皇、六条天皇、安徳天皇、仲恭天皇は描かれていない一方、天皇として即位することなくいきなり太上天皇を追号された後高倉院(守貞親王)はしっかり描かれています。
「似絵」を代表するこの作品はもともと曼殊院に伝来していました。
1878(明治11)年に皇室へ献上されていますが、手放すにあたり曼殊院は画壇の巨匠森寛斎(1814-1894)に模写を依頼し現在も寺内にそれが「副本」として残されているそうです(京都国立博物館「皇室の名宝展」図録P.219)。
なおこの作品については今年の3月、重要文化財指定とすべき旨の答申が文化審議会からなされています。
その他「展示室2」内ではいずれも一部ではありますが、近衛忠煕が献上した伝藤原行成筆「粘葉本和漢朗詠集」、相国寺が1万円の大金と引き換えに献納した伊藤若冲「動植綵絵」が展示されています。
なお酒井抱一によるこれも大変な名品である「花鳥十二ヶ月図」ははっきりとした献納者がわかりません。
1910(明治43)年、明治宮殿を装飾する絵画として宮内省が個人から買い上げたものとされています。
「展示室2」より数段大きい「展示室1」ではハイライト中のハイライトともいうべき狩野永徳(1543-1590)による国宝「唐獅子図」屏風が登場しています。
豊臣秀吉が備中高松城を攻略している最中、本能寺の変を知り急遽毛利氏と講和することになった際、毛利輝元に贈られた陣屋屏風とする伝承が付随していることでも知られています。
ただ戦国ファンが喜びそうなこのエピソードは現在では疑問視されていて、画面が窮屈にトリミングされていることからも秀吉が関係した御殿障壁画等の一部ではないかとの見解が示されています(東京国立博物館「桃山展」図録P.401)。
結局明治までこの屏風は毛利家に伝わり、1888(明治21)年、毛利元徳(1839-1896)から新宮殿落成に際し献上されました。
ところでこの永徳による「唐獅子図屏風」に対し、いつも引き合いに出されていじめられている作品が、ひ孫にあたる狩野常信(1936-1713)が江戸時代に補った左隻の「唐獅子図屏風」です。
永徳の代表作の一つであるだけでなく、いわゆる「桃山芸術」を象徴するような破格の豪勢さで観るものを圧倒する右隻の唐獅子に対し、常信の描いた唐獅子はなんとなく画面の中で縮小均衡していて頼りない印象を受けてしまう、そうした評価が多いのではないでしょうか。
右隻の永徳画としっかり並んで展示されていますから、常信にとっては非常に比較されやすい格好になっていて、はじめのうちはちょっと気の毒にも感じてしまったのでした。
ところが、今回じっくり鑑賞してみてこの常信による「唐獅子」の見方がかなり変わってきたのです。
先日まで京都国立博物館で開催されていた「雪舟伝説」展では狩野常信による模写帖である「常信縮図」をはじめ彼による画聖雪舟をリスペクトした模写の数々が紹介されていました。
中でも印象的だったのは雪舟の「瀧」を写した常信の作品群でした。
常信の「唐獅子図」をあらためてみると、画面右上に見事な滝が描かれていることに気がつきます。
今までやや様式化された唐獅子の姿だけに気を取られていたのですが、滝を含め、画面左下にある岩の配置などをトータルで視野に入れると、この常信画は永徳とは別種の極めて洗練された美意識によって仕上げられているように思えます。
雪舟から受け継いだ得意技である滝のモチーフを引用しながら、常信は工芸的ともいえるくらいクオリティの高い技術を屏風絵内に投入しています。
模写を得意とし大変な技巧派でもあった常信であれば、おそらく「永徳風」を再現することも表面的には可能だったかもしれません。
しかし桃山の気風が遠くなり寛永の優美な美意識が主流となっていた時代、もはや「永徳風」を装うこと自体が不粋なこととされたのかもしれません。
狩野常信は、偉大な先祖である永徳を立てつつも、あくまでも当代一流のセンスで応えているとみるならば、右隻の唐獅子がもつ勇壮さと左隻のそれがまとう典雅さを単純に比較して優劣を論じてもあまり意味はないように思えます。
むしろ常信は、室町の雪舟と桃山の永徳、二人の巨匠たちを左隻唐獅子図の中で寛永の美意識によって統合していると考えることもできそうです。
その他、大正天皇即位の大礼に際し公家出身の華族一同から献上されたという「双鶏置物」や、昭和天皇即位大礼に合わせて京都市が髙島屋に制作を依頼して献上した「閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風」など、近代工芸の傑作も展示されています。
特に並河靖之(1845-1927)による「七宝四季花鳥図花瓶」は地の色を意識して、他の展示ケースから独立させ黒の背景の中で隠されるように展示されていました。
パリ万博に出品された傑作です。
三の丸尚蔵館自身が「並河靖之の最高傑作」と言い切っているこの七宝は、今回の答申でも残念ながら重文指定から漏れてしまったようですが、本来は海野勝珉よりも先に指定されるべき近代工芸の逸品ではないかと個人的には思っています。
次回の答申に期待したいと思います。
原則写真撮影禁止の方針としている三の丸尚蔵館ですが、今回の展示品は全てカメラOKマークがついています。
シャッター音を豪快に連続して響かせている人もいるので気になる方はノイズキャンセリングイヤホン等の対策が必要かもしれません。
なお会期中、「和漢朗詠集」の開示場所変更や、ごく一部の工芸作品に展示替えがありますがほとんどが通期展示です。
シニア層を中心にやや混雑がみられますけれども、日時指定制が導入されていますから人流の潮目をみればじっくり鑑賞することも可能と思われました。