特別展 法然と極楽浄土
■2024年10月8日〜12月1日
■京都国立博物館
今年4月中旬から6月初旬にかけて東京国立博物館で開催された「法然と極楽浄土」展が京都国立博物館に巡回してきました。
巡回展ではありますが、京都展のみの展示品が数多く確認できます。
知恩院をはじめとする浄土宗の総本山・大本山が存する京都での開催を京博側が強く意識した構成となっているようです。
(他方、目黒の祐天寺所蔵品のように東京展限定だった作品ももちろんあります)
昨年(2023年)は法然(1133-1212)から強く影響を受け、浄土真宗を開いた親鸞(1173-1263)の生誕850年を記念した「親鸞展」が、同じく京都国立博物館で開催されました。
しかし、今回の展覧会は「法然展」、ではありません。
「法然と極楽浄土」展です。
このタイトルには二つの意味が込められているように思えます。
「浄土宗開宗850年」を記念して開催されている特別展です。
つまり法然その人の生誕あるいは遠忌にちなんでいるものではありません。
どの宗教にとってもその開宗は極めて重要な出来事と思われますが、浄土宗の場合、宗祖法然が唱えた「専修念仏」の教えが、それまでの奈良平安仏教と比べて劇的に違う性質をもっているため、特にそのスタートとなった年が強く意識されているのでしょう。
この展覧会では源信の『往生要集』などを紹介しながら、法然が独自の宗教を創出するまでに至った歴史や背景を示す一方、法然の後を受けた西山派や鎮西派といった浄土宗各派の動向を丁寧にトレースしています。
あえて「法然展」としなかった理由は、この特別展が法然個人の偉業を讃えながらも、視野を浄土思想と各宗派の展開まで拡げた内容としている点にあるように思えます。
これがタイトル「法然と極楽浄土」にこめられた第一の意味です。
また、「浄土教の美術」という点で考えてみると、「法然展」というタイトルでは、ある意味ちょっと困った展示内容になってしまうことにもなります。
浄土思想に基づく仏教美術がもっとも盛んだった時代は、法然が活躍する前、平安時代です。
ビジュアルとして極楽浄土そのものを現出したといってもよい平等院鳳凰堂の建立は1053(天喜元)年のことです。
院政期まで阿弥陀如来像をはじめとする浄土思想に基づく彫刻・絵画が盛んに制作されました。
ところが、法然自身は、こうしたいわゆる「造像起塔」をほとんど重視していなかったのです。
「専修念仏」こそ大事とする彼の教えによれば、華麗な仏像や絵画、壮麗な建造物は必要ないわけです。
つまり、浄土思想を独自の救済宗教として強くエッセンス化した法然個人にのみ焦点を合わせ「法然展」としてしまうと、ビジュアル的に鑑賞者に訴求する展示品が限定されてしまうことになるのです。
そこで「極楽浄土」というキーワードを付随させることになったのでしょう。
この言葉によって、来迎図をはじめとする目にも楽しい仏教美術の数々を組み込むことが可能となります。
これがタイトルに込められた二つ目の意味と考えています。
とはいえ、「法然」はこの展覧会の大事な主役です。
国宝「法然上人絵伝」(知恩院蔵)が当然に披露されていました。
会期中、巻替がありますが、スタート直後の期間(10月8日〜20日)では「巻六」が展開されていて、まさに「立教開宗」の場面を観ることができます。
法然が1175(承安5)年、中国の浄土僧善導(613-681)の著した『観経疏』の中に専修念仏の思想を見出した後、比叡山を降りて吉水の草庵でその教えを説いたシーンです。
易行による救済を説いた法然の教えは幅広い階層における人々の支持を得ていきます。
ただ、既存の顕密仏教と比較するとその内容があまりにも斬新であったため、当然に他宗から非難を浴びることにもなりました。
天台宗や真言宗は最澄と空海が中国に渡り教えを持ち帰っています。
他方、浄土宗は宗祖法然による独自の経典解釈によって始まっていますから、その「正統性」をどのように担保するかが課題だったようです。
善導を含む中国の浄土僧「浄土五祖」の導入はそうした法脈のあやふやさを払拭するためのものでした。
結果として五祖の図像が描かれた絵画が誕生することになります。
展示ではこうした浄土宗独自の絵画芸術がわかりやすく紹介されています。
あまり気にしたことがなかった人物画のジャンルなのでとても参考になりました。
江戸時代に入ると徳川家が浄土宗の檀家であったことから京都の知恩院、江戸の増上寺という巨大寺院の存在感が高まっていきます。
現在、東山に壮大な伽藍を誇る知恩院の拡大には二代将軍徳川秀忠(1579-1632)が深く関わっていました。
「華頂山」の扁額をもつ巨大な知恩院三門も秀忠の命によって建造されたものです。
今回は知恩院からその徳川秀忠像が出展されています(東京展は徳川家康でした)。
これがたいそう立派な彫像で、相当に理想化されてはいるのでしょうけれども、リアルに人物そのものを感じさせるような名品です。
秀忠は1619(元和5)年に上洛した際、七条仏所の大仏師康猶(?-1632)に指示して自分の姿を彫らせたと記録されているそうです。
康猶は東寺の薬師如来等を制作した康正(1534-1621)の嫡子と考えられる人物で、この後も幕府による仏像造立プロジェクトに関係しています。
他方、増上寺からは幕末も近い1863(文久3)年に完成されたという狩野一信(逸見一信 1816-1863)による「五百羅漢図」の一部が出展されています。
この作品は昨年秋、サントリー美術館で開催された「幕末明治の絵師たち」展にも出展されていましたが、サントリー展の6幅に対しこの展覧会では前後期合わせて12幅が展示されます。
東博展での展示よりは数が絞られてしまうものの、今回も大迫力の画面を堪能することができると思います。
国宝「法然上人絵伝」のように3回に分けて展示される作品もありますが、概ね前期(〜11月4日)と後期(11月6日〜12月1日)で絵画・書跡等を中心として展示構成が入れ替わる内容となっています。
前期を鑑賞してみましたがとてもゆったりと過ごすことができました(平日)。
ただ、目玉である「綴織當麻曼荼羅」(11月12日〜)と「早来迎図」(11月6日〜)は後期に含まれ、特に11月下旬は紅葉シーズンに入ってきますから相応の混雑が予想されそうです。
写真撮影は禁止されていますが、1階に展示されている香川・法然寺の「仏涅槃群像」のみ、撮影可能となっていました。
なおこの特別展は京都展の後、かなり時間をおいて来年10月から九州国立博物館に巡回する予定となっています。