挂甲の武人 国宝指定50周年記念
特別展「はにわ」
■2024年10月16日〜12月8日
■東京国立博物館
1973(昭和49)年に、ここ東京国立博物館(会場は東洋館)で開催されたという「はにわ展」以来、実に51年ぶりとなる大規模な埴輪展です。
平日昼間に訪れてみましたが、会場内は老若男女、たくさんの鑑賞者で溢れかえっていました。
考古分野の企画でこれほど混雑している展覧会は異例ではないかと思います(日時指定予約制ではありませんが、あまりにも混雑すると入場制限がかかるようです)。
東博の特別展としては珍しく写真撮影がほぼ解禁されていました。
ただ、わずかに一箇所だけ、カメラを向けることが許されていない展示エリアがあります。
それは宮内庁書陵部が管理する、大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)に関係した出土品の数々が展示されているコーナーです。
もともと写真撮影を積極的に許容しているお役所ではありませんが、今回のように会場の全展示品を原則撮影可能とする中で、頑なにここだけカメラを禁忌としている姿勢にはそれなりの理由があるように思われました。
(なお、私自身は写真撮影の可否について、美術館側あるいは所蔵者側の意向を尊重する立場をとっています。)
どんな用途に使われたのか謎に包まれている縄文時代の土偶などとは違い、埴輪はその製造目的が明確な考古資料といえます。
埴輪が出土する場所は古墳があった場所、つまり「お墓」です。
埴輪は死者自身あるいは葬送儀礼のために作られたのであり、それ以外に使われたものではないのです。
大仙陵古墳は、古代とはいえ天皇の陵墓とみなされているわけですから、天皇家にとってその出土品としての埴輪は祖霊を祀ったレガシーということになります。
宮内庁としてはこうした皇室関連遺物に対して無遠慮にカメラを向けることは謹んでほしいということなのでしょう。
図らずもこの撮影禁忌エリアが設定されたことで、埴輪というものが本来もっている性質が明らかにされているともいえます。
この古代遺産はとりもなおさず「死」と直結しているのです。
埴輪は、とかくカワイイの文脈で楽しく観てしまうのですけれど、その存在はほとんど例外なく葬送に関係しているわけで、被葬者のすぐ近くに配置されていたものでもありました。
よくよく考えてみると本来はコワイものなのかもしれません。
例えば、群馬県前橋市の中二子古墳から出土した「顔付円筒埴輪」がみせるその表情はかわいいというより不気味さが優勢と感じられます。
また、和歌山市の大日山35号墳から出土した「両面人物埴輪」はまるでローマ神話のヤヌスのように二つの顔が前後にくっついています。
埴輪のほとんどは、被葬者が生きていた時代の「現実世界」からイメージされたものといわれています。
後世、仏教等が入ってきてからみられる想像上のキャラクターは象られていないはずなのです。
とすると、この「両面人物埴輪」はどう解釈したら良いのでしょうか。
いかなる象徴的な意味があるのかはわかりませんが、何やら妖怪的な存在にもみえてきます。
さらに今や東博のマスコット的キャラとしても大人気の埴輪「踊る人々」も、これが突然夜中に目の前に出現したら間違いなくオバケと勘違いしてしまう得体のしれなさをもった造形です。
古代人の「あの世観」がかたちとなって現れていると推測される埴輪は、じっくりみればみるほど深淵な死の世界につながっているようにも感じられてきます。
とはいえ、やはり埴輪鑑賞の醍醐味はその不思議に曖昧な優しさに満ちた魅力的造形にあることもたしかです。
東博などの大ミュージアムでは、普段、考古コーナー等で地味に展示されている埴輪たちがこの展覧会では各々にスポットライトをあてられ、メインキャストとしてその表情を豊かに主張しています。
東博が蔵する埴輪の国宝第1号「挂甲の武人」も、今回63年ぶりに里帰りしたシアトル美術館像を含め兄弟的な存在である他の4体と共に堂々と陳列され、大スター扱いとなっています。
ブラックの壁面で囲まれた中に、ほんのりとした照明で浮かびあがる勢揃いした5体の武人像はたしかに圧巻でした。
ところで、「挂甲の武人」群を解説したキャプションの一枚にとても面白いコメントが確認できます。
5体の一つ、国立歴史民族博物館が所蔵している「埴輪 挂甲の武人」に関する東博の河野正訓主任研究員による解説文です。
彼はこの埴輪について、「一部の研究者は、本品とシアトル美術館所蔵の挂甲の武人について、双子のようにほぼ同じ形をしており、重複する破片もほとんどないことから、1体分の破片から2体分を復元したのではないかという疑いをもっている」と紹介しています。
さらっと書かれている文章なのですが、結構、衝撃的な内容です。
考古分野の業界では当たり前の説なのかもしれませんが、これが本当であれば歴博とシアトル美術館の間で一悶着起こっていても不思議ではない見解です。
今回は2体の埴輪が同時に陳列されているので、まさに実見しながら比べることができます。
たしかに他の3体と比べると歴博武人とシアトル武人は相互によく似ているようにも思えます。
ただ、シアトル美術館武人埴輪の解説を担当している、同じく東博の河野一隆部長は、全くこの「2体同一説」に触れてはおらず、むしろその出土地の妥当性を補強しているように読めます。
とてもミステリアスな展示と解説文です。
埴輪は土を素焼した製品であり、もともと非常に脆い埋蔵文化財です。
全ての破片が遺跡から満遍なく見つかる例の方がむしろ少ないのでしょう。
ある程度の「かたち」に整えるためには当然に欠損部分を石膏などの他材で補う必要が出てきます。
河野正訓の解説には、歴博武人像の修復は、東博の国宝武人像の修復を手がけ、自身がこの東博像を所蔵していたという修復師、松原正業(岳南 1894-?)によるものとされている、とも記載されています。
松原はいわば埴輪再生のエキスパートだったのでしょう。
ただ、彼の手によってかなり昔に復元されたとみられる歴博武人像ついてはどういう修復作業がなされたのか、今となっては資料上、正確にトレースできないのかもしれません。
今回の展示を機会に調査が加えられ、ミステリーの謎が解けるかもしれませんが、もし2体が1体の遺物から分身復元されたとなると、「5体」ではなく正確には「4体」の兄弟埴輪ということになりそうです。
さて、東博の国宝「挂甲の武人」は科学的な調査が行われた結果、なんとその表面の色が推測できるようになったのだそうです。
彩色された武人の復元模造品が展示されていました。
白とグレーのストライプ模様が確認できます。
真新しい鉄の板でつくらた鎧が帯びていた輝きを表現していたのでしょうか。
古墳時代のセンスはなかなかにスポーティーであり、これはこれでカッコいいと感じました。
混雑はしているものの、比較的ゆったりと展示されているため、人流の潮目をみながら余裕をもって鑑賞すれば大きなストレスを感じることはないと思います。
ただ、前述の通り写真撮影がほとんど全面解禁されているため、スマホのシャッター音が盛大に響いています。
ノイズキャンセリングイヤホンをフル稼働させつつの鑑賞となりました。
撮影に夢中になっている人が予想外の動きをしたりもするのでぶつからないように気を付ける必要もありそうです。
なおこの特別展は来年2025年1月21日から5月11日かけて、九州国立博物館に巡回します。
ただ東京展のみの出展品もありますから若干内容に違いがあるのかもしれません。