アンプラグドの配給で、セヴァスチャン・ヴァニセック(Sébastien Vaniček 1989-)監督・脚本によるホラー映画「スパイダー/増殖」(Vermines 2023)が11月初旬から各地のミニシアターで公開されています。
パニック系ジャンル映画の一種ではあるのですが、舞台設定の面白さに加え独特のテンポとリズム、先鋭な映像センスを感じさせる作品に仕上がっていて、予想以上に楽しめました。
「過去20年間のフランチ・ホラー最大のヒット」と宣伝されていたので、てっきり、過去作発掘系のレストア版本邦初上映企画と思っていたら、それは全くの勘違いでした。
制作は2023年、完全な新作映画です。
では、20年前、どんなフレンチ・ホラー映画がヒットを飛ばしていたのでしょうか。
配給元が公開している情報からは読み取れませんでした。
軽く検索してみたところ、2003年にアレクサンドル・アジャ監督によるホラー系映画「ハイテンション」(Haute tension 2003)が公開されていて、それなりにヒットしたようなのですが、具体的にこの作品のことを指しているのかどうかは全くわかりません。
観てしまったあとなので、結果的にはどうでも良いお話ではあるのですけれども、あえて「過去20年での最大ヒット」と具体的に区切るのであればそのエヴィデンスをわかりやすく表記してもらわないとちょっと気持ち悪い感じはします。
さて、フランス語の原題"Vermines"は「害虫」と訳される言葉です。
直訳のままではあまりにも酷いので「増殖」という言い方が採用されたのかもしれません。
この邦題は内容に照らして、それほど悪くはないと感じました。
映画に登場する蜘蛛の故郷はどうやら中東にある砂漠のようです。
どういう固有種のクモなのかは特定されていません。
しかしその特徴ははっきりしています。
確実に人を死に至らしめる強烈な毒と、想像を絶する速度をもって「増殖」する力です。
単位生殖の能力を驚異的に進化させたらしいこのクモは、たった一匹で集合住宅に入りこんだにも関わらず、犠牲者の肉体を養分として増え続け、わずか一昼夜で子孫たちの群れによって建物内を占拠してしまいます。
この設定はあきらかに「エイリアン」をオマージュしているとみてよいのでしょう。
密室空間に潜んで蠢きつつ、突然襲ってくるクモたちの描写はあの映画にとてもよく似ています。
閉鎖され、外に出ることを許されなくなった巨大集合住宅の住人たち。
目に見えないほどの速度で増殖する忌まわしい蜘蛛の群れ。
以前ならばありきたりなSFパニック映画の設定として了解、消化されてしまうような内容です。
しかし、次第にこれは単なる架空の話ではなく、実際、これとよく似た状況をつい最近まで多くの人たちが経験していたことの暗喩ではないかと思われてきます。
いうまでもなく、コロナ禍です。
特にパンデミックの初期、たとえば横浜港に停泊させられた豪華客船の乗客がおかれた立場を想像すると、実はこの「スパイダー/増殖」とさして変わらない恐怖を味わったのではないかとも感じます。
ただ、ヴァニセック監督は、コロナ禍体験を喚起させることを主目的としてこの作品を撮ったわけではないようです。
彼がこだわった部分は映画の舞台となった場所、そのものにあります。
主人公たちが暮らす巨大集合住宅の威容がドローン撮影によって不吉に映し出されます。
フランス、パリから15キロほどの郊外、ノワジー・ル・グランに建つ「ピカソ・アリーナ」(Les arènes de Picasso)です。
ウズベキスタンのサマルカンドに生まれ、バルセロナで学んだ建築家、マリノ・ニュネズ・ヤノブスキー(Manuel Núñez Yanowsky 1942-)の設計により1985年に竣工した、集合住宅部分を含む大規模複合施設です。
ポスト・モダン建築と評されていますが、その巨大な円筒形の外観はどこか旧ソ連や東欧のアヴァンギャルド風社会主義リアリズム大建築を思わせるようにも感じます。
そして何よりこの建物が印象的なのは、整然と配置された八角形の窓群でしょう。
偶然にも何かの「巣」を連想させます。
ピカソ・アリーナは低所得者用向けの集合住宅として建設されたのだそうです。
ヴァニセック監督もこうした住宅が立ち並ぶ「郊外」の出身。
日本では「郊外」という言葉が直ちに貧しさに結びつくことはありませんけれども、監督の発言を読むと、どうやらフランスでは「郊外出身者」というだけで、いわれのない差別を受けることがあるのだそうです。
映画に登場する主要な人物はアフリカ系だったり、アジア系が多くを占め、白人の男性も決して裕福なクラスに属しているようにはみえません。
ピカソ・アリーナ的な「郊外」で暮らしている人々の典型として描かれているのでしょう。
そうした人物たちを、警察をはじめとする外部はまさにタイトル通り「害虫」ととらえ、蜘蛛地獄の中にいるにもかかわらず彼らを救おうとしないばかりか、蜘蛛もろとも閉じ込めてしまおうとします。
ヴァニセック監督はこうした「郊外」のもつ暗い側面を映画に滲ませたかったということなのでしょう。
しかし、ではこの「スパイダー/増殖」が、辛気臭い社会派もどき映画なのかといえば、実態は全く違います。
登場人物たちは貧しいなりに、あれこれと悶着を起こしつつも極めて軽快に生きていて、とにかく恐ろしく元気なのです。
ヒップホップ調のリズムが終始映画の空気を支配する中、彼ら彼女たちは弾丸のように言葉を吐き出し、セリフが途切れるシーンがほとんどありません。
大半は相手を罵倒する汚い言葉なのですけれど、まるで会話自体が各々の存在を確認しあうかのように生き生きとキャッチボールされていきます。
うるさいくらい非常に情報量が多いシナリオです。
写されている対象は酷く汚れていたりするのですが、画面の色調がやや抑えられていることもあり、全体的にはとてもスタイリッシュな映像に仕上げられています。
速めのテンポ感も相まって、こともあろうに毒蜘蛛地獄が描かれているにも関わらず、どことなく洗練された空気すら感じます。
その意味では、この映画は紛れもなく「フレンチ・ホラー」に属しているのでしょう。
予算が潤沢だったわけではないようです。
大きなセットなどが組まれた様子はなく、室内の描写は総じて暗いため、各部屋や階段、駐車場といった場所の位置関係がどうなっているのか判然としません。
蜘蛛とのバトルシーンもディテールをじっくり濃厚に描くというよりは、スピーディーに場面を切り替えて幻惑する手法がとられていることもあり、ハリウッド的VFXの迫力からは遠い作品です。
むしろローバジェットであることを逆手にとり、あえて忙しいカメラワークで映像世界を混乱させ、鑑賞者に「どこにいるのかわからない恐怖」を植え付ける効果を狙ったともいえます。
これはこれで工夫された演出と感じました。
ピカソ・アリーナは現役の集合住宅として使用されているはずです。
それを「低所得者たちの世界」として毒蜘蛛まみれにしてしまうわけですから、日本ではちょっと考えられない設定ともいえます。
ただ、映画の世界と割り切った上ではあるにせよ、こうした世界感が「公開とヒット」というかたちで許容されたということは、残念ながらフランスにおける「郊外」のもつメタファーはまだ当たり前に有効なのかもしれません。
だからこそ、ヴァニセック監督はあえてこの場所を堂々と選び、観客に問うたのでしょう。
ちゃんと映像的に一種の「落とし前」をつけつつ、ピカソ・アリーナを描ききった最後の場面が印象的でした。