特別展「法華経絵巻と千年の祈り」
■2024年10月5日~11月24日
■中之島香雪美術館
香雪美術館が所蔵する「法華経絵巻」の修復完了とその初披露をメインとした「法華経美術尽くし」の展覧会です。
規模はそれほど大きくはありませんが、珍しい作品が全国から取り寄せられていることに加え、学術面でも非常に充実した成果が公開されています。
総合的な質の高さでは今年随一の企画展と感じました。
鎌倉時代13世紀に制作されたと考えられる「法華経絵巻」は、現在、香雪美術館と京都国立博物館、荏原 畠山美術館(旧畠山記念館)に分蔵されています(いずれも重要文化財)。
「平家納経」に代表されるように、『妙法蓮華経二十八品』を一品単位で巻物として仕上げた経典を「法華一品経」と呼び、「法華経絵巻」もこのスタイルに則っています。
ただ、現在はその多くが失われてしまい、各館に残されている部分は「如来神力品第二十一」(以下「神力品」)と「嘱累品第二十二」(以下「嘱累品」)の二品分のみとなっています。
しかも所有者の変転等に伴って切断や修復が繰り返された結果、それぞれの部分が誤って接合されたため、3館に残された絵巻の順序が複雑に入れ替わっています。
香雪美術館が所有する部分は「神力品」における本絵と「嘱累品」本詞のごく一部。
京博はちょうど香雪本の直前に接続されていたとみられる「嘱累品」の本絵部分を所有しています。
他方、畠山美術館は「神力品」の本絵・本詞と「嘱累品」の本絵と本詞の一部を所蔵していて、これは香雪本と京博本の前後と中間に相当する部分を構成しています。
今回の展示(後期)では、香雪本のすぐ横に京博から取り寄せた「嘱累品」本絵を置きつつ、畠山本の写真を参考として掲示。
さらに、複雑に分有されてしまったこの絵巻を本来の姿につなぎあわせ、完全に欠けてしまった部分も丁寧に推定表示しながら、別の説明パネルで紹介していました。
「法華経絵巻」に対するこの美術館の徹底した調査姿勢が感じられる素晴らしい展示です。
実は香雪本と京博本には、その来歴に面白い共通点がみられます。
香雪本は当然にこの美術館のコレクションを築いた村山龍平(1850-1933)が所蔵していました。
一方、京博本はその村山と共に朝日新聞社を経営した上野理一(1848-1919)が保有していたものです。
京博は理一の息子で後に朝日新聞社社主となった上野精一からコレクションを寄贈される等、上野家と深い関係にあります。
(「法華経絵巻」京博本については同館のデータベース上、「寄贈」の情報がありませんから、別途購入された作品なのかもしれません。)
この展覧会で久しぶりに村山と上野、二人の盟友同士が分かち持っていた作品が邂逅したことになります。
なお畠山本についてはどういう経緯で畠山美術館に属することになったのか来歴はよくわからないのだそうです。
(以上 図録所収 郷司泰仁「法華一品経と法華経絵巻ー受け継がれる心ー」を参照しました)
さらに香雪本と畠山本は、今回、「修理」という面で共通した来歴を帯びることになりました。
2館の絵巻は共に京都、富小路三条の株式会社岡墨光堂が修理を担当しています。
今回披露されている香雪本は2020年からおよそ3年をかけてここで修復されました。
他方、畠山本の修復もほぼ同じ時期に岡墨光堂で行われたのだそうです。
同じ場所での修復作業になったことを機会に、なんと香雪美術館は、2館所蔵品に加えて京博本も含めて非破壊・非接触検査等を行い、徹底した調査分析が行われました(なお、京博本は1982年にすでに修復が行われています)。
これはちょうど旧畠山記念館が改築のため、一時、収蔵品を京博に一括寄託していた時期とも重なります。
絶妙なタイミングで3館分蔵の「法華経絵巻」がほぼ同時に最新の科学調査を受けることとなったわけです。
その調査成果については、この規模の展覧会としては異例に充実した図録内に発表されています(大島幸代・井並林太郎・降幡順子「制作当初の法華経絵巻のすがた」図録P.80-90)。
専門的にすぎるので詳細は割愛しますけれど、調査によって判明したある画材について面白い記述がみられましたので少し触れておきます。
「真鍮」についてです。
絵巻には目立って損傷が激しい部分が認められたそうです。
そこに使われていた画材が真鍮でした。
五円硬貨に使われているお馴染みの金属です。
多宝塔や仏の姿から放たれる光線部分などに使用されていましたが、一定の経年劣化が進む素材でもありますから、そこがダメージとなって現れていたということなのでしょう。
当然に金よりは安価なわけで、この時期の絵巻では金の代用品として使われたのではないかと推測することもできます。
ところが一方で、知恩院が蔵する有名な国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)」には金とともに、あえて真鍮が使われている部分があることから、一概にコスト面だけを考えて真鍮が使われたのか、断定はできないのだそうです。
「早来迎」は、間も無く、京博で開催されている特別展「法然と極楽浄土」後期展示で披露されます。
どういう部分に金と真鍮が分けて用いられているのか、あらためて確認する楽しみが増えました。
以上のように「法華経絵巻」の紹介がこの展覧会のメインではあるのですが、それに加えて展示されている、この経典に関係する作品の数々がまた素晴らしいものばかりなのです。
静岡・本興寺と富山・本法寺が所有する「法華経曼荼羅」は共に鎌倉時代に描かれた大作です。
鮮やかに残る色彩と繊細を極めた描画の数々に圧倒される作品でした。
他館に貸し出される機会がそれほど多いとは思われない名品であり、大変貴重な鑑賞機会だと思います。
国宝「法華経一品幷開結」(慈光寺経)も豪華なゲストとして招かれていました。
法華経曼荼羅などは描かれている各エピソードを追っていくだけでも鑑賞に10分以上かかるかもしません。
展示品総数は多くはありませんが、情報量があまりにも豊富なので見応えは十分でした。
レンタル作品の比率が高いためか、写真撮影は全面的に禁止されています。
超有名作品が並んでいるわけではなく企画として広範に訴求しにくい内容ということもあり、前回の久保惣洋画コレクション展と比べると会場内は閑散(平日日中)というレベルでした。
その分、とても快適に鑑賞できる企画だと思います。