開館3周年記念特別展
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション
■2024年9月14日〜12月8日
■大阪中之島美術館
今年8月下旬まで東京国立近代美術館で開催されていた「TRIO展」が、もう一つのメイン会場である大阪中之島美術館にやってきました。
東近美展にひきつづき2回目の鑑賞です。
以前、東京展についての雑文で全体的な感想を書いてしまいましたので、今回はランダムに個別作品についてふれてみたいと思います。
主要な作品の入れ替えはほとんどないのですけれど、この展覧会は前期(9月14日〜10月27日)と後期(10月29日〜12月8日)が、一応、設定されています。
例えば、東京国立近代美術館が紹介している高梨豊(1935-)の写真シリーズ「東京人」は前期の「豊島区 西武デパート 25 April」に代わり、後期では「台東区 浅草寺 29 August」が展示されていました。
写真や版画関係は、連作等の場合、点数が多いこともありますから、作品保護を意識している一部の日本画とともに、展示替えの対象となったのかもしれません。
入れ替えの構成は東京と大阪、同一です。
竹橋では前期を鑑賞しましたので、後期展示に入れ替わったタイミングで中之島の鑑賞に至った次第です。
今回、やや小ぶりの作品が多かったパリ市立近代美術館出張品の中にあって、比較的大型の作品としてジャン・メッツァンジェ(Jean Metzinger 1883-1956)の「青い鳥」(L'Oiseau bleu 1912-13)が出展されています。
メッツァンジェの主要作であると同時にパリ市立近代美術館のコレクションを代表する一枚です。
この出開帳企画のためにパリもそれなりに本気を出した証拠といえるかもしれません。
「美の女神たち」というテーマの"TRIO"としてこれに組み合わされた東近美の作品は藤田嗣治「5人の裸婦」、中之島美術館からはマリー・ローランサン「プリンセスたち」が出展されていました。
藤田の裸婦は5人、ローランサンの絵に登場する女性は4人、そして「青い鳥」には3人の女性が描かれています。
最も登場人数が少ないメッツァンジェの作品なのですが、その情報量の多さというか図像的複雑さは前二者とは比較にならないくらい圧倒的です。
東京藤田と大阪ローランサンも健闘はしているものの、作品から受けるインパクトの強さという点で、この"TRIO"に関してはパリが随一と感じました。
「青い鳥」とあるので画面中央でその鳥を抱える女性にまず眼が向きます。
一方、青とは対照的な黄色で対抗しているモチーフが「扇」で、これをもっている向かって左側の女性が二人目の登場人物ということになります。
では3人目はどこにいるかというと、ちょっとわかりにくいのですが、画面の下に一人横たわっていることが確認できると思います。
そしてこの寝そべっている女性のお尻のあたりには「赤い鳥」がへたりこんでいるようにみえます。
メッツァンジェはピカソとブラックが回避したキュビスムにおける「原色」を巧みにポイント化して絵画の中に組み込んでいるわけです。
1910年代前半のメッツァンジェがもっていた先鋭さは、20年代の藤田とローランサンの微温的女性像を切り刻んでいて、パリのキュレーター、シャルロット・バラ=マビーユも随分とスパイスの効いた作品を選んだものと、あらためて感心しながら眺めることになりました。
大阪中之島美術館が「色彩とリズム」というテーマで選んだ作品が菅野聖子(1933-1988)による「フーリエ変換(プロコフィエフ「束の間の幻影」)」(1978)です。
"TRIO"として組み合わされたのは東近美が田中敦子「作品66-SA」、パリ市立近代美術館がソニア・ドローネー「色彩のリズム」でした。
菅野は「具体美術協会」に参加していたアーティストですから、同じくメンバーであった田中敦子(1932-2005)と共通点があります。
他方、ソニア・ドローネー(1885-1979)の作品は横長の幾何学的色彩配置が菅野の絵画と似通っているために選ばれたのかもしれません。
しかし3つの作品を並べて鑑賞すると菅野の「フーリエ変換」の異質さがだんだん際立ってきます。
数学や物理学に異様な関心を示していたという菅野の絵画からは、どこか「計算された狂気」のような気配が漂います。
もとより狂気的な田中や、夫ロベールの強い影響下で独自の繊細な色彩リズムを確立したソニア・ドローネーも極めてユニークな人たちですが、キチキチと線と色が斬り結ぶ菅野の作品からは脳の奥に直接、カタチが刻まれるような神経質な美があるように感じられてきます。
副題となっているプロコフィエフの「束の間の幻影」は、聴きようによっては、まさにそうした「脳への直接作用」が示されているような音楽の連なりと思えなくもありません。
最後は、北野恒富(1880-1947)の「淀君」(大阪中之島美術館蔵 1920年頃)です。
大阪会場にふさわしい恒富を代表する一枚。
後期からの展示です(前期は岡本更園「西鶴のお夏」でした)。
メッツァンジェは凝りに凝ったキュビスムの手法を駆使して空間の中に女性を埋め込みましたが、恒富は全く別の仕掛けでこの絵の「空間」に魔法をかけています。
キャプションにも記載されている通り、「淀君」の背景に描かれている桜は、実際の桜を写したものではありません。
画中画として置かれた屏風絵の一部なのです。
ところが、手前にいる淀君の髪や衣服にも桜の花びらが舞っていることに気がつきます。
太閤秀吉が醍醐寺で催した花見の一情景が主題となっている作品です。
画中画としての屏風絵、その前の淀君、そして彼女に降り注ぐ醍醐桜の花びら。
シンプルに、一見、平明的な構図の中に北野恒富はしっかりと奥行きを表現し「空間」を創造していることになります。
組み合わせされたパリのブランシャール「果物かごを持った女性」、東京の小倉遊亀「浴女 」が、"TRIO"のテーマである「人物とコンポジション」に沿って空間自体の立体性を強調している分、「淀君」のトリッキーに洗練された手法に唸らされました。
写真撮影は東京と同様、田中敦子作品等が不可となっていた他は解禁されています。
混雑しているというレベルではありませんでしたが、会期末もそろそろ近づいてきたからでしょうか、人流が途絶えることはありませんでした(平日鑑賞)。