ルイーズ・ブルジョワ展|森美術館

 

ルイーズ・ブルジョワ展:
地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ

■2024年9月25日~2025年1月19日
森美術館

 

六本木ヒルズの蜘蛛」をつくった人、ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois 1911-2010)の非常に大掛かりな回顧展です。

目にすっかり馴染んでいるその「蜘蛛」の見方がガラリと変わってしまうくらい、作家の懊悩が生み出した芸術の魅力が鮮烈かつ濃厚に伝わってくる素晴らしい企画展でした。

www.mori.art.museum

 

国内におけるブルジョワの大規模なレトロスペクティヴは1997年の横浜美術館展(未鑑賞)以来なのだそうです。

今回の森美術館展にはベースとなった海外展があります。
シドニーにあるニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(Art Gallery of NSW)で昨年秋から今年春まで開催された"Louise Bourgeois: Has the Day Invaded the Night or Has the Night Invaded the Day?"展です。
片岡真実 森美術館館長の挨拶文によると、東京展はこのシドニー展で公開された作品の一部に、NYや日本国内からの出展品を組み合わせて再構成されているのだそうです。

www.artgallery.nsw.gov.au

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オーストラリアでの展示風景についてArt Gallery of NSWがYouTubeで公開している短い映像があります。
これを観てみると、実際、日本で公開されている作品とその多くが共通していることがわかります。
しかし展示演出に関し森美術館がArt Gallery of NSWのそれをそのまま引き継いでいるわけではありません。

たとえば金色に輝くブロンズ作品「ヒステリーのアーチ」(Arch of Hysteria 1993)に関する展示は両者で全く背景が異なっています。
シドニー展の副題は「昼が夜を侵略したのか、夜が昼を侵略したのか」です。
この言葉に沿うように、「ヒステリーのアーチ」は地下室風の暗い背景の中に吊るされています。
他方、六本木における展示では、展望空間の広がる一室がまるまるこの作品にあてがわれていて、まるで東京上空にブロンズ像が浮かんでいるような演出が施されていました。
鑑賞した日はたまたま快晴だったこともあり、彫像の金色が強い日光に照らされて空の青と競演し、唖然とするような美空間が出現していました。

ルイーズ・ブルジョワ「ヒステリーのアーチ」(イーストン財団蔵)

しかしこの「ヒステリーのアーチ」が象徴していることは決して明るく健康的とはいえません。
首のない男性の身体が極端にのけ反っています。
彫像のモデルはブルジョワのアシスタントを長年にわたって勤めていたジェリー・ゴロヴォイ(Jerry Gorovoy)です。
ブルジョワは若く美しい男性がアーチを描くほどに身体が湾曲してしまう様子を表現することにより、かつて女性特有の症例とみなされていたヒステリーによる痙攣が「男女共通」のものであることを示しているわけです(図録P.299の作品解説より)。

東京の空にのけぞるヒステリー男性の身体。
皮肉さと開放感が同時に押し寄せる見事なセノグラフィーでした。


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100歳目前まで活動していたルイーズ・ブルジョワは、20世紀を丸ごと味わった人です。
若い頃にはなんとピエール・ボナールと親交を結び、一時はフェルナン・レジェのアシスタントだったこともあります。
フランスの裕福な家庭に生まれ、美術史家の夫とニューヨークを拠点に活躍していたという表面的に単純な経歴だけをみると、この企画展のタイトルにある「地獄」を彼女がいつ経験したのか疑問に感じる人生といえるかもしれません。

 

ルイーズ・ブルジョワ「蜘蛛」(イーストン財団蔵)

しかし、実際に鑑賞していると、ブルジョワの作品からは、一見平穏な生活の中にさまざまな「地獄」が存在していたことが圧倒的な強度で伝わってきます。
まず彼女にとっての「母」の存在です。
スペイン風邪に罹患したことが原因で介護が必要な身体となっていたブルジョワの母ジョゼフィーヌは結局1932年、53歳の若さで亡くなっています。
当時20歳だったブルジョワが被ったショックは激しく、そこからこの「母」に関するイメージが独特の世界観の中で異様な形となって現れてくることになったようです。
「蜘蛛」はそれを代表するモチーフです。
六本木ヒルズの蜘蛛がもつ作品名は他ならない"Maman"です。

 

 

蜘蛛は力強く子供を守る象徴でもありますが、逆に子供を縛り、ときに「捕食」する存在でもあります。
今回、キーアートの一つとして採用され、会場内で展示されている「かまえる蜘蛛」(Crouching Spider 2003)からはそうした母性のもつ攻撃性が表現されているようにもみえます。
それは彼女自身が母になった経験も反映されているのかもしれません。

 

ルイーズ・ブルジョワ「かまえる蜘蛛」(イーストン財団蔵)

他方で、「父」もブルジョワにとって、ある意味「地獄」につながる存在だったようです。
ブルジョワの父親ルイは家父長的支配欲が強い一方、家庭教師として雇った女性と不倫をするという娘から見れば許しがたい一面をもった人物だったようです。
しかし、この父が亡くなったとき、ブルジョワは深刻な精神的危機を迎え、しばらく創作活動から遠ざかることになります。
会場ではグロテスクな男性の頭部など、父への愛憎が凝集したような作品が異様な迫力を放ちながら展示されていました。

森美術館「ルイーズ・ブルジョワ」展 展示風景の一部

 

ブルジョワを代表するシリーズである「カップル」は、このアーティストがもっている「つながり」への希求を象徴している作品といえるかもしれません。
ただ、身体をピッタリと重ね合わせる「カップル」が感じさせる強烈な愛情表現は、そこに「欠損」があるからこそ伝わってくるという生々しく奇妙な造形によって成立しているものでもあります。
男女は首がなかったり、義足になっていたりするわけですが、それは、たとえばベルメールが創造したような死と官能が混然となったイメージとは違い、欠けているがゆえの結合への衝動といえるような独特の屈折した情念を感じさせます。

ルイーズ・ブルジョワカップルⅣ」(イーストン財団蔵)

 

今回の特別展ではお馴染みの前澤友作コレクションからの出展等はあったものの日本国内からの作品は限定的でした。

余談ですが、ブルジョワのパブリックなコレクションとして大阪の国立国際美術館がつい最近「カップル」を新収蔵していて、すでにコレクション展で披露しています。
国公立の美術館ではこれが初となる作品の購入にあたるのだそうです(森美術館展には出展されていません)。
今回の大規模個展を契機にブルジョワの人気が一段と高まりそうではありますから、国際美術館は良い買い物をされたのかもしれません。

ルイーズ・ブルジョワカップル」(国立国際美術館蔵・同館コレクション展で撮影)

 

美術出版社刊行による公式図録が会場で先行販売されています。
内容は同じですが、カバー違いのバージョンが会場限定で販売されていました(一般版は「かまえる蜘蛛」、会場限定版は「トピアリーⅣ」がカバー表紙となっています)。

写真撮影が解禁されている展覧会です。
平日の午前中、混雑害は全くなく快適に鑑賞することができました。
なお、この展覧会はこの後、来年の3月から台湾の富邦美術館でも開催予定となっていますが、国内での巡回展は予定されていません。