現在、京都市京セラ美術館で開催されている京都画壇特集企画「巨匠たちの学び舎」展が後期展示(11月19日〜12月22日)に入り、多数の作品が入れ替えられています。
岡本神草(1894-1933)の作品も、前期の「春雨のつまびき 草稿3」(京都国立近代美術館蔵)に代わり、後期は「口紅」(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)が登場していました。
「口紅」は、神草を代表する一枚であると同時に大正期京都画壇のもっていた独特の頽廃美を象徴する作品としても人気があるのでしょう。
このところ毎年のように様々な企画展で展示されています。
2021年には東京国立近代美術館と大阪歴史博物館で開催された「あやしい絵」展、2023年は京近美の「京都画壇の青春」展で取り上げられていました。
実は「口紅」は、5月に開催された京芸資料館の移転記念展の中でも早速お披露目されていましたから、今回の京都市美展は今年二度目の公開ということになります。
こういう系統の美術展に足を運ぶことが多いため、たまたま何度も鑑賞する機会に遭遇したということに過ぎないのですが、なんとなく因縁めいてきたので、昔の図録などを引っ張り出してきてちょっと調べてみることにしました。
「口紅」は1918(大正7)年3月、岡本神草が京都市立絵画専門学校(絵専・現京都市立芸術大学)の卒業制作として描いた作品です。
しかし卒業時点でこの絵は顔の部分や着物の柄について「未完」の状態でした。
構想としては1915(大正4)年のスケッチブックにみられるそうなのですが、それから3年を経て挑んだ本画でも結局、締切には間に合わなったことになります。
完成作が少ないというこの画家の傾向は絵専卒業制作においてすでに現れていたわけです。
絵専卒業後もここの研究科に進学していた神草は、「口紅」を完成させるべく手を加え続けました。
そして土田麦僊(1887-1936)の勧めに応じて、卒業制作から8ヶ月後の大正7年11月に開催された第1回国画創作協会展(国展)に出品し入選を果たしています。
「口紅」は同じく国展に出品されていた甲斐庄楠音(1894-1978)の「横櫛」(広島県立美術館蔵)と人気を二分したとされています。
画号を「神草」としたのもこの年でした。
「口紅」は文字通り画家の華麗なデビュー作となったわけです。
1894(明治27)年、神戸市磯上通7丁目9番地に生まれた岡本神草(本名は敏郎)は、地元の小学校を卒業後、1909(明治42)年、京都市立美術工芸学校(美工)に15歳で入学。
以来、京都市内で転々と住まいを変えながら美工・絵専時代を過ごしています。
「口紅」を仕上げた頃は、頼山陽の「山紫水明處」も近かったとみられる上京区東三本木の銀水楼に住していたそうです。
画家は24歳になっていました。
「口紅」について書かれたおそらく最も詳しい論考の一つが上薗四郎元笠岡市立竹喬美術館館長による「岡本神草の夢(ゆめ)と現(うつつ) ー 第一回国展《口紅》への歩み」(「岡本神草の時代」展図録P.156)でしょう。
彼は「口紅」に影響を与えた作品として麦僊による「髪」(1911)の存在を指摘しています。
「髪」も麦僊が絵専時代に描いた卒業制作。
「巨匠たちの学び舎」展では前期に登場していました。
上薗が指摘しているように「髪」において着物の袖口からのぞく女性の腕がモチーフとして「口紅」と共通しています。
しかし、女性の肌がもつ瑞々しい湿度や体温すら感じさせる麦僊の写実美に対し、神草が描く舞妓の腕はどこか様式的な人工美が優先されているため、同じ腕でも全く印象は違います。
絵専で師匠竹内栖鳳(1864-1942)のスタイルを見事に消化した麦僊に対し、神草の画風は明らかに大正新時代の空気を感じさせます。
その竹内栖鳳が「口紅」について鋭く評した言葉が残されています(「岡本真相の時代」展図録P.161)。
以下に引用してみます。
「此絵のいい処は、舞妓の年のいかぬ可愛さでもなく、髷の特徴が殊更いいといふでもなく、さうかと言つて全体の姿勢が舞妓らしいからといふでもない。理知の閃きを全然滅却して渾然たる妖味のある艶麗さ、舞妓といふ形容を借り、口紅をさす姿勢をかりて、或直感した妖麗さを表現したとでもいふ様な、殊に黒い着物の脇から両腕を出した其の出し具合にしても、艶麗な濃厚な風姿で、燈火の前で口を開きかけた処にしても、女の裡にある或物を非常によく表現して、居るとおもふ」
「理知の閃きを全然滅却して渾然たる妖味」という栖鳳の言葉は、どこか谷崎潤一郎の大正期小説に登場してきそうな女性にそのままあてはまるようにも思えます。
さらに意味深な「女の裡にある或物」という表現は、表面的な官能性とは別種の、男からは計り知ることができない魔性のようなものを栖鳳が感じとっていたようにも読めます。
上薗論考によれば、「口紅」が制作される2年ほど前、1916(大正5)年頃に記された神草の日記には当時付き合っていた女性との赤裸々な日々の様子が確認できるのだそうです。
実際に化粧をする彼女の姿態が「口紅」に投影されているのかもしれません。
私個人は「口紅」の舞妓がみせる冷酷な自己愛の表情が生理的に受けつけられないところがあって、もう一つの代表作である「拳を打てる三人の舞妓の習作」ほどにこの作品が好きではありません。
しかし、舞妓が纏う衣装に施された岡本神草の優れたデザイン表現と色彩センスには観るたびに眼が吸い寄せられてしまいます。
甲斐庄楠音の衣装表現も素晴らしいのですが、神草が徹底的にこだわり、あらん限りの技巧を投入した「口紅」の衣装がもつ完成度は格別です。
その表情において「理知の閃きが全然滅却」しているにも関わらず、舞妓を包む衣装は黒を基調としていて、華やかさと奥深いシックさが同居しています。
土田麦僊が「髪」において表現した「生身」の女性とは違うこの圧倒的な装飾美が、「口紅」を紙一重のところで通俗性から遠ざけているいるのかもしれません。
なお、岡本神草は自作に関して評価をつけていました。
「口紅」には「拳を打てる三人の舞妓(完成作)」「五女遊戯図稿成」と共に最高ランクの三重丸をつけています。
この雑文は以下を適宜参照しています。
森光彦他『近代京都日本画史』
京都国立近代美術館「岡本神草の時代」展図録
東京国立近代美術館・大阪歴史博物館「あやしい絵」展図録
京都市京セラ美術館「巨匠たちの学び舎」展図録