松尾大社展|京都文化博物館

 

松尾大社展 みやこの西の守護神(まもりがみ)

■2024年4月27日〜6月23日
京都文化博物館

 

古文書の類が非常に充実している展覧会です。
史料マニアの方にはたまらない企画でしょう。

美術方面の展示はさほど多くはありませんが、松尾大社のイメージに奥行きを与えてくれる素晴らしい特別展です。

www.bunpaku.or.jp

 

創建は701(大宝元)年とされていますから、平安京が造営される前からなのはもちろん、平城京が誕生する以前の飛鳥時代から、四条通の西の突き当たりである現在の場所にあるという非常に古い神社です。

清少納言が『枕草子』の中で「神は松の尾」と称賛しています。
平安の昔から「松尾」は「まつのお」と正式な名称で呼ばれていたようです。
現代でもテレビのアナウンサー等は必ず「まつのおたいしゃ」と発音します。
ただ市内ではどちらかというと「まつおたいしゃ」と呼ぶ方が一般的なような気がします。
というのも市バスの停留所名が「まつおたいしゃ」なのでこちらの呼び方が耳に馴染んでしまっているからでしょう。
阪急嵐山線松尾大社駅」の読み方も「まつおたいしゃえき」です。
本展はこうした通称ではなく、しっかり"MATSUNOO TAISHA"と「まつのお」で統一しています。

展覧会では、まず主祭神の一柱である「大山咋神」や「松尾」の名が『古事記』にも記されていることなど、神社の由緒を語る書物等から始まり、天皇や将軍、戦国の覇者たちとの繋がりを示す豊富な文書類、荘園領をめぐる係争文書などなど、山のような史料が紹介されています。
史料読みがお好きな方だと何時間あっても足りないかもしれません。

膨大に残されている松尾大社の史料については東京大学史料編纂所や京都芸術大学などが共同で調査を継続していて、中には近年明らかにされた成果も確認できます。
例えば「源頼朝書状」については、その筆跡から頼朝の祐筆だった平盛時によって記されていること、1186(文治2)年に幕府から松尾大社に下知された文書であることが最近の調査で明確化されたのだそうです。
鎌倉幕府最初期に発行された貴重な行政文書の遺産ということになります。

 

 

会場に点在する解説板コラムの中で西山剛京都文化博物館主任学芸員が面白い考察を披露していました(「松尾大社の表象とその特徴」として図録P.22にも収録されています)。
「みやこの西の守護神」とタイトルにもあるように極めて重要な神社であった松尾大社洛中洛外図屏風をはじめとする京都の名所図絵に必ずといって良いほど描かれてきた有名スポットです。
しかしその本殿の描き方は実にさまざまなパターンがあり、一定しないのだそうです。

本展に出品されている18世紀に描かれた「京名所絵巻」(佛教大学附属図書館蔵)では比較的正確な社殿の様子が描かれています。
しかし有名な洛中洛外図屏風として知られる歴博甲本や上杉本(いずれも本展には出展されていません)ではそれぞれに違った描き方がされていて一定しません。

西山主任学芸員はこの原因を「拝殿」の存在にあるのではないかと推論しています。
つまり現在も本殿をぐるりと囲むように造られている拝殿によって、本殿の様子が外から確認しにくくなっていることが様々に図像パターンが変わる松尾大社の絵画イメージにつながっているという推察です。
現在もそうなのですが松尾大社の本殿は、しっかり御祈祷をする場合や特別拝観の機会がなければその全景を観ることができません。
一般の参拝者は拝殿の前までです。
西山説は室町時代の昔から、その拝殿の構造から、絵師によっては本殿の全景を確認することができなかったために作品によって図像表現に違いがみられるとしているわけです。
本展では絵画系の展示は少ないのですが、こうしたエピソードを読みながら鑑賞すると図像の見え方が違ってきて面白いかもしれません。

 

 

さて、美術的な松尾大社展最大の見どころはなんといっても「三神像」に代表される神像彫刻です。
これらの像は松尾大社内にあるややコンパクトな造りの「神像館」でも観ることができますが、今回の文博展示ではたっぷりと間隔をとって三神を横一列に堂々と配置。
その神秘的かつ峻厳な美しさに圧倒されます。
9世紀の制作であることが確実視されている、最古級にして最も迫力に満ちた彫像たちです。
もともとは松尾大社にあった神宮寺に置かれていました。

この神像については伊東史朗和歌山博物館館長(京博名誉会員)による詳細な論考が発表されていて、彼によれば老相男神像は「大山咋神」、壮年相男神像は「賀茂別雷神」、女神は「玉依日売命」ということになるようなのですが(伊東史朗『神像の研究』P.160)、本展図録の解説では上賀茂神社とのつながりが強く類推されるこの伊東説をとってはいませんでした。

 

図録解説を担当している文博の佐藤稜介学芸員によると、近年では三神像について「個別の神名にとらわれず、老年相を秦氏が奉斎した在来の松尾神に、女神像を外来の姫神に、そして壮年相を御子神に比定する見解が提示されている」(図録P.159)のだそうです。
といって、非常に緻密な伊東説を覆すことを避けているようでもあり、引き続きミステリアスな像として三神は鎮座し続けることになるのでしょう。

三神像の他にも彩色や截金が鮮やかに残る月読神社旧安置の女神像(12世紀)など、観れば観るほど神秘的な彫像が複数展示されています。
仏像彫刻とは明らかに違う意識で制作された彫像群ですが、神像の制作自体は仏像に影響されてはじまっているともいえます。
三神像が「神宮寺」に置かれていたことからも、松尾大社の神像群はシンクレティズム芸術の非常に美しい典型とみることができるかもしれません。

松尾大社はお酒の神様でもあります。
(アルコールが手放せない私にとってもとてもありがたい神様です)
展示品の写真撮影はほぼ禁止ですが、酒樽やお酒のラベルを屏風に仕立てた作品などは例外的にカメラOKとなっていました。

前期(4月27日〜5月26日)と後期(5月28日〜6月23日)で若干の入れ替えがあります。
ただ入れ替え品の大半は文書類で神像群に関しては全て通期展示です。

 

 

松尾大社本殿屋根の一部

 

 

ブランクーシ回顧展|アーティゾン美術館

 

ブランクーシ 本質を象る

■2024年3月30日〜7月7日
■アーティゾン美術館

 

日本でコンスタンティンブランクーシ(Constantin Brancusi 1876-1957)を本格的に回顧する企画は意外にも今回が初めてなのだそうです。

初期作品から代表作、ブランクーシ自身の撮影による写真や所縁の作家作品までこの美術館らしい徹底ぶりで多彩に紹介されていました。
比較的余裕をもって展示スペースが設営されていることもあり、じっくり作品と対話することができる素敵な展覧会だと思います。

www.artizon.museum

 

ブランクーシの作品は日本各地のミュージアムで観ることができます。
コクレション展での展示機会が多いためか、わりと「いつでも観ることができる」作家という印象を勝手にもっていました。

しかし彼の作品を中心とした大規模な回顧展となると話は違ってくるようです。
アーティゾン美術館の石橋寛館長による挨拶文の中では「世界的にみても、ブランクーシの作品を集めることは容易ではなく、その高い声価に比して、回顧的な展覧会が開催される機会は限られてきました」と説明されています。

さらに、石橋財団が弱音を吐くほど作品を集めることが難しい作家なのに、偶然なのか因縁なのか、このアーティゾン展とほとんど同じ時期にパリのポンヒドゥー・センターが大規模なブランクーシ展を開催しています(2024年3月27日〜7月1日)。

ひょっとするとポンピドゥー展に出展されている作品の中にはアーティゾン側が本来は展示したかった作品が含まれていたかもしれません。

ちなみにポンピドゥーが所蔵するブランクーシの有名作「眠れるミューズ」と「プロメテウス」は昨年の秋から今年の1月まで国立西洋美術館で開催された「キュビスム展」に出展されていました。
キュビスム展」は現在京都市京セラ美術館に巡回していますが、ポンピドゥーのブランクーシ展とかち合ってしまったため、この2作品はパリに戻ってしまい、展示されていません。
パリと東京&京都間でブランクーシ作品の争奪戦が密かに行われていたのかもしれません。

www.centrepompidou.fr

 

ブランクーシ「空間の鳥」(横浜美術館蔵)

 

このように回顧される機会が少ないはずのブランクーシですが、なぜむしろ多くの日本人に馴染み深い存在になっているのでしょうか。
それはおそらく、この作家が作り出す造形の力が極めて強いということに原因があるように思えます。

例えば代表作の一つである「空間の鳥」(本展では横浜美術館からレンタル)は一度観るとその台座まで含めて記憶の中に鮮烈にイメージが残ります。
「空間の鳥」は他のブロンズ作品同様、作家の死後も鋳造が繰り返されています。
ほぼ同じ作品が滋賀県立美術館にも所蔵されていて、同館自慢のコレクションとして度々披露されてきました。
横浜で観たり滋賀で観たりとしている内に次第にそのイメージがどんどん自分の中に根を張ってしまったのかもしれません。
なお、これも偶然ですが、滋賀の「空間の鳥」は現在、箱根のポーラ美術館で開催されている「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」展(〜5月19日)に出張しています。
箱根で観て、また八重洲で観てと、またも「空間の鳥」は私の中に鋭く印象を刻むことになりました。

 

ブランクーシ「空間の鳥」(滋賀県立美術館蔵・ポーラ美術館内で撮影)

 

ほとんどまとめて回顧される機会がなかったにもかかわらず、おそらく多くの人に「ブランクーシ」というイメージが強烈に残ってしまうという事態の要因は、とりもなおさず本展の副題である「本質を象る」という彼の芸術性にあります。
ブランクーシは対象から余計なものをとことん削ぎ落とし、それでもなお残った「かたち」を創出した人です。
「削ぎ落とし」ていくこと自体はある意味、それほど難しいことではないかもしれません。
どんどん形態そのものに迫っていけば、事物は円や四角、三角といった図形に還元され、やがて単なる面、あるいは点にまで至るでしょう。
ブランクーシの「本質」は事物が完全に抽象的存在になってしまう一歩前の段階でその「削ぎ落とし」を「止めた」ところに現れます。
そしてたいていの作品に共通して残る「本質」が一種の官能美なのです。
ミニマルな美を突き詰めていきながらエロティックな美を表現してしまうわけですから、その造形が強く魅力的にならないはずがありません。
国内のあちらこちらに点在するブランクーシが、なぜ数が少ないのに圧倒的イメージを鑑賞者に植え付けてしまうのか、本展ではその魅力を十分すぎるほど再確認できると思います。

 

 

少し驚いたこともありました。
展示作の中には2017年に鋳造された「若い男のトルソ」といった、つい最近になってまた鋳造された作品が数点みられるのです。
その多くがブランクーシエステートの所蔵品となっています。
ブランクーシのブロンズ作品は1970年代を中心に作家の死後における鋳造制作が盛んに行われていて、例えば本展のキービジュアルの一つとして採用されている豊田市美術館所蔵の「雄鶏」は1972年の鋳造です。
日本の地方美術館に分散してコレクションされているブランクーシ作品の多くは作家の死後、複製権を取得したナタリア・ドゥミトレスコとアレキサンドル・イストラティによってこの時期に再生産が企てられたものが多くを占めているといわれています。
しかし2010年代後半になってもブランクーシエステートは鋳造を認めているということになりますから、ひょっとするとこれからどんどんブランクーシのブロンズ作品は増えていくとも考えられます。

ブランクーシは自身のブロンズ作品について継続的に「磨き上げていく」ことが必要と述べていたそうです。
つまりいつまでもピカピカの状態にあるべきだと言っているわけです。
一般的なブロンズ彫像のように年月を経て味わいを増すようなあり方を作家は否定しているともいえます。
ということは、原型の摩耗はあるかもしれませんが、ブランクーシの場合、「新しい鋳造」も一定の価値をもつということがいえるかもしれません。
新しいほど「ピカピカ」なのですから、作家の意図に反していません。
ただ、無闇に量産すればそれだけ希少価値も減じることになります。
そのあたりの「調整」をブランクーシエステートは見極めながら再鋳造しているのでしょう。

泉下のコンスタンティンブランクーシが現在の状況をどうみているのか、そんなことも考えさせられる回顧展でした。

 

写真撮影OKの展覧会です。
会期末が近づくとどうなるかわかりませんが、今のところ混雑害はみられないようです。

 

ブランクーシ「雄鶏」(豊田市美術館蔵)