現在、京都市京セラ美術館で開催されている「キュビスム展 」(2024年3月20日〜7月7日)では、会場の出口近くに映像上映コーナーが設けられています。
美術館内の壁面に映し出されている作品は「バレエ・メカニック」(Le Ballet mécanique 1923-24)。
フェルナン・レジェ(Fernand Léger 1881-1955)とダドリー・マーフィー(Dudley Murphy 1897-1968)による極めて有名な実験的短編映画です。
(映像自体は1997年にウィリアム・モーリッツが再編したバージョンが使用されています)
上野の国立西洋美術館でこのキュビスム展が開催されたときも上映されていましたが、京都展では「キュビスム以後」を締めくくる代表的な作品として東京展以上に重要視しているかのような扱いがみられます。
レジェという人はキュビストとしても大きな実績を残しながら、特に第一次大戦後、実に多彩な仕事に手をつけたアーティストでもありました。
1920年代、「機械の美学」を標榜していた「ピュリスト」たち、すなわちアメデエ・オザンファン(Amédée Ozenfant 1886-1966)やシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ( Charles-Édouard Jeanneret = ル・コルビュジエ Le Corbusier 1887-1965)等に共鳴し、やや楽天的と言っても良いくらい「機械時代」を謳歌した作品を制作していくことになります。
ロルフ・デ・マレ(Rolf de Maré 1888-1964)が主宰していた「バレエ・スエドワ」 (Ballets suédois)と関わり、ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud 1892-1974)の代表作「世界の創造」(La Création du monde 1923)の舞台美術を担当する等、絵画制作以外の分野にも進出したレジェは、1920年代、パリ黄金時代の中心にいた芸術家の一人でした。
舞台にとどまらず、レジェは巨匠アベル・ガンス(Abel Gance 1889-1981)が監督した映画「鉄路の白薔薇」(La Roue 1923)を観たことをきっかけに映画の世界にも大きな関心を抱くようになります。
「鉄路の白薔薇」においてレジェが魅了された部分は映画の内容自体というより高速回転する「機関車の車輪」でした。
以降、レジェは「映画の可能性は自然の再現や叙述性ではなく、『動くイメージ』そのものにあると主張」したのだそうです(村上博哉「キュビスム以後」より・「キュビスム展」図録P.193)。
プロペラの実物を見て絵の筆を折ったマルセル・デュシャンほど深刻ではなかったものの、レジェにとってガンスの「車輪」は非常に強い影響を彼に及ぼした「機械」だったようです。
レジェはさらに、これも1920年代映画文化を代表する伝説的大作マルセル・レルビエ(Marcel L'Herbier 1890-1979)の「人でなしの女」(L'Inhumaine 1924)におけるスタジオセットの一部を担当し、映画の奇妙なSF的世界観の構成に大きな役割を果たしています。
そしてレジェはついに自らもアメリカの映画作家ダドリー・マーフィーと映画「バレエ・メカニック」を共同制作することになります。
京都展の会場にはレジェがオザンファンとジャンヌレの雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」に発表した「バレエ・メカニック」に関する文章全文が掲示されていました。
貴重なドキュメントなので記録しておきます。
(以下会場での掲示板からの引用です)
フェナン・レジェ「バレエ・メカニック」全文
(『レスプリ・ヌーヴォー』28号、1925年より)
事物(オブジェ)ーイメージーもっとも日常的なもの。
人の顔、顔の断片、金属製の機械の断片、工業製品、最小限の遠近法によるクローズ・アップの映写。
この映画特有の関心は、「静止したイメージ」と、そのイメージの計算され、自動化され、減速あるいは加速され、追加や類似を伴う映写に対して我々が与える重要性に向けられている。
シナリオはない。ーリズムに従ったイメージ同士の反応、それがすべて。
この映画を構成するうえで関心を寄せた2つの係数:
映写速度の変化。
それら複数の速度のリズム。
ある重要な成果は、マーフィー氏の技術的な革新とエズラ・パウンド氏に負っている。
それは、投影されるイメージの度重なる変化である。
いくつかの絵になるような「絵葉書」的なイメージの通過は、それ自体ではなんの価値もないが、それらに続く諸々のイメージとの関係や相互反応のなかで、多様な変化とコントラストを生むために意味をもつ。
映像は7つの縦のセクションに分かれている。それら(クローズ・アップ、奥行きの欠如、動きのある画面)の速度は、緩やかなものから急速へと向かう。
各セクションはそれぞれ固有の統一性を有しているが、それはよく似た、あるいは同じ性質の諸々の事物=イメージの集合がもつ類似性に由来している。このことは、構成する、そして映像の断片化を避けるという目的がある。
個々のセクションにおける多様な変化を確保するために、類似する形態(色彩)が各セクションを横切るよう非常に急速に挿入されている。
この映画は終始、十分に正確な計算の原則に従っている。出来うる限りにおいて最も正確な計算に(数、速さ、テンポ)。
事物は以下のリズムに従って映写される:
1秒につき6コマを30秒間
1秒につき3コマを20秒間
1秒につき10コマを30秒間
観る者の目と精神が「もはやこれを受け入れられなくなる」まで、我々は「繰り返す」。耐えられなくなるその瞬間まで、我々は事物のもつスペクタクルの価値を汲みつくす。
この映画は客観的で現実的であり、まったく抽象的なものではない。
私は、ダドリー・マーフィー氏との緊密な共同制作によってこれを作りあげた。
我々は作曲家ジョージ・アンタイルに対して、映像にシンクロする音楽の編曲を依頼した。ドラコム氏の科学技術のおかげで、我々はもっとも絶対的な手法でもって、音とイメージの同時性を機械的に得ることを期待できる。
1924年7月
フェルナン・レジェ
(引用は以上です・なお訳者名は確認できませんでした)
非常に即物的な文体が印象的です。
レジェは「バレエ・メカニック」の映像上の構造を極めて端的に説明していて、まるで科学ドキュメンタリー映画のようにこの作品を語っています。
「客観的かつ現実的」とも断言しています。
しかし実際の「バレエ・メカニック」は現代の眼にはむしろ「超現実」、シュルレアリスム的な映像として写るのではないでしょうか。
マン・レイ(Man Ray 1890-1976)が制作に協力していることも影響していそうです。
コマ/1秒の設定は、観る者に無用な思考の時間を与える隙をつくることを拒むがのごとく、終始映像を痙攣させる作用を引き起こしています。
「我々は事物のスペクタクルを汲み尽くす」というレジェの言葉に「バレエ・メカニック」の本質が表現されているようにも思えます。
レジェは既にストレス社会にもなっていた20年代の観衆にとって「スペクタクル」が重要であることを主張していました。
一見、「目と精神が耐えられなくなる」ときまで映像を観させられることはむしろストレスを与えられることであり、迷惑な話と思えるかもしれません。
しかし、後にベンヤミンが『複製時代の芸術』の中でアメリカ映画の隆盛について説明したように、刺激に慣れてしまった人たちは「より刺激的なもの」を求めるようになります。
現実世界で受けるストレス以上のストレスを映像スペクタクルによって擬似体験することにより、現実のストレスを、それが一時ではあっても、忘れることができる、ということでしょう。
レジェもマーフィーもそのことをすでに十分意識していたのかもしれません。
会場での上映では一応アンタイルによる音楽も同時に流されています。
ただミュージアムの中ですから音量はかなり抑えられています。
音楽だけの鑑賞であれば、ダニエル・スポールディング指揮フィラデルフィア・ヴィルトゥオーゾ室内管による素晴らしい録音がamazon musicやApple musicでリリースされているのでそちらで代用することは可能かもしれません。
なお、この録音を会場でシンクロ再生しようとiPhoneで試みましたが、シャルル・ドラコミューヌ(「ドラコム氏」)のサンクロ=シネ技術を持ってない私は同期タイミングをとることができずやむなく断念しました。
煙突(チューブ)をモチーフとして好んだのでキュビストというより「チュビスト」などとも言われたフェルナン・レジェですが、彼の楽天的な時代のとらえ方の裏に、すでに映画芸術がたどっていく「刺激」追求の原点が見据えらていたかもしれないことをこの展覧会であらためて認識させられました。
「耐えられなくなる」まで「バレエ・メカニック」の世界に会場で浸る必要はないと思いますが、長椅子も設置されているのでキュビスム展を観終えた鑑賞疲れを癒す目的でスクリーンの前に座ってみるのもよろしいかもしれません。