環翠楼の異界大浴場|神奈川県 箱根・塔ノ沢温泉

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国道1号沿いにそびえる木造の楼閣。

福住楼と共に塔ノ沢の風格を決定付けている温泉宿です。

いかにもな老舗ですが、格式ばったところはなく、オフシーズンの平日であれば一人泊も歓迎される雰囲気。

GoToトラベルで歪んだ料金の反動からか、結構安めの料金が設定されていたので久しぶりに宿泊してみました。

通算すると4回目くらいの訪問だと思います。

 

風呂は3箇所あります。

 

まず早川沿いに設られた露天風呂。

宿泊棟の1階から一旦外に出て、急な階段を上がった断崖の頂上にあります。

比較的新しい浴室。

勢いよく湯が注がれていますが、これは循環湯口です。

源泉は絶え間なく追加されているのでお湯の鮮度は問題ない範囲。

ただ、この露天についてはあえて造る必要があったのか、やや疑問を感じます。眼下には早川を挟んで隣りあう福住楼の茶室が見えます。

この茶室は今はほとんど使われていないようですが、環翠楼の露天から丸見えの位置関係にあります。

部屋から見られるのと風呂から裸で見られるのとでは気分が違います。
循環装置をつけてまでライバル宿を見下ろす露天を作るという姿勢にあまり上品さは感じられません。

と、福住楼贔屓なので辛口の言い方になってしまいますが、その点を除けば蛇行する早川の眺めはなかなかの壮観で、数寄屋風に作られた脱衣所も風情があります。

なおこの露天、夜10時以降は貸切風呂となります。

 

大正年間に建造された建物ですが、平成年間に諸々リニューアルされています。

最も変化したのは貸切風呂。

モダンな寝風呂形式の湯船に生まれ変わっています。

空いていればいつでもOK。

清潔な掛け流しの浴槽。

とても快適です。

しかし、以前、ここはもっと広々とした浴室だったはずです。

隣に岩盤浴エリアができたために縮小。

わざわざ塔ノ沢にきて岩盤浴って、ちょっと違うかなあとも思います。

 

以上、文句を連ねてきましたが、なんといっても環翠楼の素晴らしさは大浴場。

二つあり、男女入れ替えで双方楽しむことができます。

なかでも「岩風呂」。

ごろごろと壁面に埋め込まれた岩に高笑いする布袋像。

何を意味しているのかわからない祠のような置物。

染み出す地下水を受け止める水槽の古風な趣き。

さらに「温洞」と彫られた天然のシャワー。

間欠泉のように時折源泉を天井から落とします。

ワクワクするくらい異形の景物が組み込まれた別世界。

湯船も素晴らしい。

花柄のタイルが敷き詰められた円型浴槽と扇型の湯船。

前者がやや熱め、後者はぬるめに調整されています。

循環装置はありません。

浴室全体のバランスから見るとこれら二つの浴槽は妙な配置なのですが、それが味わいにつながっています。

ここにはこの浴室を作った人の個性がそのまま表されている。

洗練とはほど遠い。

しかし下品さはまったく感じられない。

たとえようがない妖しい異界空間を堪能できます。

 

源泉は湯本37,,50,110号の混合。

アルカリ性単純温泉

pHは8.9。

温度は46.8℃です。

冬場は当然に加熱されますが、加水はありません。

早川対岸の福住楼は逆に60℃近い高温。

同じ塔ノ沢でも湯脈によって個性があります。

福住楼の湯がキリっとした熱さを感じさせるのに比べ、環翠楼の湯はまろやかな触感が特徴。

どちらも無色透明な格調高い名湯です。

 

岩風呂に隣あう大理石で白く化粧された大浴場もクラシカルな雰囲気が素敵です。

こちらは岩風呂とは対照的に軽快な空間。

岩風呂ほどの個性はありませんが、独特の風情があります。

 

食事は部屋食。

古典的な箱根老舗旅館の会席コースです。

驚くような美味でもありませんが、丁寧な仕事で、安心してゆっくりくつろげる味。

飲み物がちょっと割高ではあります。

 

宿みずから「銘木博物館」と称しているだけあって、今や再現不可能とおもわれる重厚な木造楼閣建築物。

品格漂う階段の意匠や豪勢な大広間は圧巻です。

とはいえ、最後にまた文句ですが、とにかく、防音が弱い。

広々とした次の間を持つ部屋なら問題ありませんが、安い価格帯の部屋だと隣室の声が響いてきます。

気になる方は予約時に確認した方が良いと思います。

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環翠楼 貸切風呂

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木村得三郎 弥栄会館

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祇園の弥栄会館は1936(昭和11)年、木村得三郎(1890-1958)の設計。

木村はこの10年ほど前、1927(昭和2)年、先斗町歌舞練場の設計も担当しています。

戦前の大林組で活躍した「劇場建築」の名手といわれる建築家。

最も有名な現存作品は大阪松竹座ファサードでしょうか。

 

建仁寺の北東に隣接し、祇園の内奥に鎮座するこの建物は和洋折衷を基礎としながらも、建設当時、1930年代(昭和10年代)の公共建築で推進された、いわゆる「帝冠様式」の厳しさはありません。

遊興の街の近代建築として比較的軽やかで華やいだ雰囲気をもっています。

しかし、同じ建築家の先斗町歌舞練場と同じく、どこか妙な異形さがあり、この近辺では群を抜いて高層であることも相まって、周囲の低層茶屋建築群のもつ洗練された和の様式とは異質な雰囲気を醸し出しているようにも感じられます。

一力茶屋から建仁寺あたりまでの「絵になる祇園」の中では突出した異形建築。

この建物を背景に写真をとる観光客の数は、現在、それほど多くはないのではないかと推測されます。


弥栄会館の異質さはどこか伊東忠太の「祇園閣」と通じるところがあります。

共に鉄筋鉄骨コンクリート造の和様を取り込んだ楼閣風建築。

祇園閣は木村の先斗町歌舞練場と同じ昭和2年の竣工です。

すでに京都での仕事を手がけていた木村得三郎の目に、すぐ近所にそびえる伊東忠太の同工法建築が意識されたとしても不思議ではないように思えます。

歌舞練場がフランク・ロイド・ライトの旧帝国ホテルの様式をおそらく参考にしているとみられるのに対し、弥栄会館は銅で吹かれた屋根にお城のようなモチーフを多用。

これは祇園閣と共通する要素です。

 


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さて、2019(令和元)年、帝国ホテルが「弥栄会館を活用した新規ホテル」の検討を公表し、弥栄会館を所有する学校法人八坂女紅場学園とその準備について基本合意したことがプレスリリースされています。

帝国ホテルといえば、その創業者は祇園閣の施主、大倉喜八郎です。

東大路を挟んで祇園閣と高さを競った弥栄会館が、まもなく帝国ホテルの京都における出城になってしまいます。

異形の楼閣二対が不思議な縁で結ばれてしまったようにも思えます。

 

弥栄会館は耐震性の問題などが指摘されていましたが、帝国ホテルによる活用検討段階の現在、高層部分には崩落防止用とみられるネットが被せられています。

どう「活用」されるのか、できるだけ現在の姿に妙な手を加えない形での運用をお願いしたいところです。

 

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弥栄会館

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祇園