安祥寺五智如来坐像の美|奈良国立博物館「空海」展

 

生誕1250年記念特別展「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」

■2024年4月13日~6月9日
奈良国立博物館

 

前期(〜5月12日)と後期(5月14日〜)合わせて115件におよぶ出陳品の内、国宝と重要文化財が87件を占めるという豪華絢爛な弘法大師生誕記念展です。

大型連休前の平日、善男善女とみられるシニア層を中心にとても賑わっていました。

kukai1250.jp

 

空海(774〜835)の生誕1250年となる今年は偶然なのかめぐり合わせなのか、おそらくその両方なのでしょうけれど、真言宗名刹による寺宝展が連続します。

6月15日からは開創1150年を記念した「醍醐寺展」が大阪中之島美術館で始まり、7月17日には東京国立博物館(本館内)で創建1200年を迎えた「神護寺展」がスタートします。
さらに来年2025年1月にはまたも東博(平成館)で開創1150年となる空海所縁の寺、大覚寺の大規模な特別展が予定されています。

この奈良博展は空海イヤーとなった今年における一連の真言宗関連展の中でも、質量共に最大規模の企画とみられます。

 

nakka-art.jp

tsumugu.yomiuri.co.jp

tsumugu.yomiuri.co.jp

 

6年に及ぶ修復を終えた神護寺「高雄曼荼羅」をはじめ、絵画、書跡、彫金とさまざまな分野の至宝が展開されています。
空海展」ではありますが、彼とは直接的に関係はしていないとみられるインドネシア密教関連仏を多数展示するなど、密教自体の広がりと深さに切り込んでいるところも本展の大きな特徴といえるかもしれません。

まもなく始まる自らの寺宝展で忙しいはずの醍醐寺神護寺からも貴重な作品が出陳されています。
ただ、仏教彫刻という面では真言密教を代表するスーパースター的な彫像は今回展示されてはいないといえるかもしれません。

彫刻分野で一手に本展の顔として主役を引き受けている仏像が山科にある安祥寺の国宝「五智如来坐像」五躯です。

ご存知の通りこの仏像群は寺から京都国立博物館に寄託されていて、同館のコレクション展等で比較的よく公開されています。
京博に何度も足を運んだ人からみると見慣れた仏像ともいえます。

 

 

しかし、この「空海展」では東山七条の展示空間では味わえない特別な演出が施されています。
奈良博西新館のスペースを贅沢に使い、なんと五躯を本来安祥寺に置かれていた位置関係を再現しつつ展示しているのです。
圧倒されました。

京博内の展示では通常、向かって右側から「阿閦如来」「宝生如来」、中尊である「大日如来」を挟んで、「阿弥陀如来」「不空成就如来」と横一列に設置されます。
今回、奈良博は大日如来を中央に東面して設置し、その前に「阿閦如来」を同じく東向きに置いています。
さらに南に「宝生如来」、西に「阿弥陀如来」、北に「不空成就如来」と大日如来を中心として東西南北に仏像が配置されています。
これは「金剛界」における諸仏の位置関係を明示したものです。
並列配置とは別種の荘厳感が漂っています。
京博での展示よりもやや低めに諸像が置かれていることもあり、超越性が際立って見える京都での姿に比べて少し表情が和らいでいるようにも感じられます。
丁寧に彫られた螺髪や後ろ姿まで、京博展示では視認することが難しい部分もたっぷり鑑賞することができます。
その気品の高さは特級であり、時間を忘れて見入ってしまいました。

 

ちなみに本展では西を向むいて西方世界を支配している「阿弥陀如来」を東向きに変え、衆生を救う西方極楽浄土の教主として主役化したのが法然(1133-1212)であり、現在東博では浄土宗開宗850年を記念して「法然と極楽浄土」展が開催されています(2024年4月16日〜6月9日)。

真言宗と浄土宗の記念イヤーが今年はかち合っているため東西の国立博物館が分担して特別展を開催しています。
鑑賞者側も人によっては東海道を行ったり来たりと大忙しのことでしょう。

tsumugu.yomiuri.co.jp

 

 

 

 

さて、安祥寺五智如来坐像の制作は9世紀、寺の創建当時に遡ると推定されています。
安祥寺の創建は諸説あるようですが「安祥寺資財帳」では848(嘉祥元)年と記録されているそうです。
空海が入定してから10数年しか経っていない、日本における真言密教がまだ生々しい新宗教として朝廷や貴族間に浸透していった時期にあたっています。
開基は入唐八家の一人に数えられる恵運(798〜869)です。

現在は疏水の近く、山科の奥にひっそりと寺域を構える安祥寺ですが、かつては醍醐寺同様、山の上部と下部にそれぞれ伽藍をもつ大寺院だったことが知られています。
この五智如来も山の中腹にあった礼仏堂にかつては設置されていたものと推測されています。

なお安祥寺は通常非公開ですが近年は春や秋に門を開くなど積極的に寺の存在をアピールしているようです。
今年も公開期間が設定されています。

anshouji.or.jp

安祥寺入り口付近

 

五智如来坐像は今も残る華麗な金箔にみられるようにとても豪華に造られています。
その極めて高コストとなったであろう製作費を賄った人物として考えられるのが藤原順子(809〜871)です。
仁明天皇(810〜850)の女御として文徳天皇(827〜858)を産んだこの女性は安祥寺の造営にも深く関わりがあったとされています。
仁明朝は諸芸に秀でていたという天皇の趣味もあって多彩な宮廷文化が華開いた時期として知られていますが、五智如来にみられるたっぷりと均整のとれた優美さには宮廷における中心人物の一人でもあった藤原順子の思いが反映されているのかもしれません。

しかし藤原順子の没後、大きな後ろ盾を失った安祥寺は衰退の一途をたどり、応仁・文明の乱の頃には一旦廃絶してしまいます。
江戸時代に復興はしたもののかつての栄華がよみがえることはありませんでした。
決して小さな像とはいえない五智如来坐像が火難で失われることもなく1000年以上ももちこたえていたこと自体が奇跡ともいえそうです。

五智如来坐像は2013年から15年にかけ美術院で修復作業が施され、浮きがみられていたという漆箔や彩色の剥落止め等が行われています。
修復を終えてから4年後の2019年、国宝指定されました。

今ではすっかり京都国立博物館の「本尊」のようにコレクション展で鑑賞者を迎えてくれる五智如来坐像ですが、こうして奈良博による本来の配置を再現した展示を鑑賞するとその密教彫像としての性質を強く再認識させられます。

 

 

大型作品の前は比較的たっぷりとスペースが設けられていますからそれほどストレスを感じることなく鑑賞できると思いますが、経典などの書跡類については満遍なく見ようとすると展示ケース前の鑑賞行列に並ぶ必要があるかもしれません。

奈良博はキッズにも密教美術の面白さを伝えようとキャラクター類を登場させたわかりやすい解説板などを設置しています。
とても良い試みだと思いますけれど、連休前ということもあってか鑑賞者の年齢は総じて高めなのであまりマッチしているようには見受けられなかったのが残念な状況ではありました。

写真撮影は禁止されています。
ただ中国の西安碑林博物館から出陳されている「文殊菩薩坐像」1躯のみはなぜかOKとなっていました。
シャッター音公害がないのはとても結構なのですが、一方で、心中に思ったことをいちいち口に出しながら鑑賞しているシニア客たちによる奇妙なつぶやきがあちこちで耳に入ってきたりします。
密教世界に存分に浸るためには、修行が足りないとお叱りを受けそうではありますが、やはりノイズキャンセリングイヤホンなどの対策が必要と思われます。