「帝国奈良博物館」 片山東熊と実務者たち

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特別陳列「帝国奈良博物館の誕生」設計図と工事録にみる建設の経緯

■2021年2月6日〜3月21日
奈良国立博物館

帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館「なら仏像館」)の設計者、片山東熊直筆の卒業論文が最初に展示されています。

とても几帳面に書かれた英語の文章。

1879(明治12)年、工部大学校に提出されたこの論文を審査したのはジョサイア・コンドルでした。

コンドルの講評が卒論の横に添えられています。

コンドルは片山による英文の美しさを褒めつつも、その内容が、課題(「日本建築の将来」)に対する個別の探求よりも「建築一般に重きをおいている」と所見を述べています。

要するに具体性に欠けた、教科書をなぞったような回答だと言っているわけで、かなり手厳しい評価といえます。

片山がコンドルの評価をどのように受け止めたのか、この展示では明らかにされていません。

しかし明治期の皇室建築家として内匠頭にまで任じられ、数々の華麗な西洋風建築を残した片山の作風を考えると、一面において、鋭い指摘だったといえなくもありません。

この建築家の作品はパーマネントな美しさを持つ傑作であると同時に、以後、日本におけるその様式の継承者をほとんど生み出さなかったという点で、コンドルの言う「建築一般」、つまり当時の西洋建築手法を写した、あまりにも優れた模範回答の域にとどまってしまったようにも思えます。

 

 

今回の特別陳列では、帝国奈良博物館の設計図を中心にこの建築が建てられた経緯、携わった人々の足跡を丁寧にトレースしています。

現「なら仏像館」として残る建築自体が国の重要文化財ですが、一連の設計図等も附属品として重文指定されています。

前後期に分けてこの図面をたっぷり開陳するという意欲的な企画です。

 

設計者の片山東熊に当然スポットがあてられてはいます。

しかし、今回の特別陳列が面白いのは、片山と共にこの博物館を実際に造りあげていった組織、人物にも、しっかり焦点が合わされているところ。

 

1894(明治27)年竣工、翌年4月に開館した帝国奈良博物館の工事を請け負ったのは二代清水満之助。

清水建設の前身「清水満之助店」の四代目当主です。

ほぼ同時期に建設された帝国京都博物館が、当初請け負った日本土木会社(後の大成建設)の中途解約によって内匠寮直轄工事になってしまったのに対し、奈良では清水が請負工事を最後までまっとうします。

しかし、昔ながらの慣習を重んじスケジュールなどお構いなしにお祭り等で休業する地元職人たちの気風や、湿気を嫌う煉瓦の積み上げが悪天候で邪魔される等、とてもスムーズに工事が進んだとはいえません。

さらに度重なる設計変更の要請。

当然に工程表の通り工事は進まず、二度も落成日の延期を清水は願い出ることになります。

「工事録」には設計変更によるコスト増の明細など生々しい記録が残されています。

 

片山と共に実質的な設計にあたった宗兵蔵という人物についても紹介されていました。

実務優先の人だったらしく、片山のように名前が残る作品がほとんど無いため影が薄い存在です。

でも奈良と京都の博物館設計におけるかなりの部分はこの技術者が腕をふるった成果によることが図面に残る夥しい「宗」の印から推測できます。

九鬼隆一の強い使命感に裏打ちされた施策とはいえ、いきなり京都と奈良に本格的な近代博物館を一気に同時建設するというプロジェクトはかなり無理があったように思われます。

関係する技師たちは京都と奈良を幾度となく往復したのだとか。

宗兵蔵のような優れた実務設計者の存在がこの難事業遂行には不可欠だったのでしょう。

 

奈良と京都。

二つの旧帝国博物館を見比べてみると、奈良は京都のほぼ二分の一の規模です。

赤い煉瓦の華麗さが印象的な京博に比べ、奈良博はクリーム色が支配し、建物自体はかっちりとした構成なのにどこか軽やかな風情があります。

立派な塀に囲まれた京博に対し、奈良博には囲いがありません。

どうやら予算制約から門扉すらうやむやにされて造られなかったようなのですが、この奈良博独特の軽さが春日山若草山の緑を背景に取り込んで爽快に呼応する効果につながっています。

鹿も縦横無尽に博物館の敷地へ入り込んでくつろいでいるお馴染みの光景。

結果的に最も開放的な魅力を持った国立博物館になっているように感じます。

 

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www.narahaku.go.jp

清水三年坂美術館の小村雪岱コレクション

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小村雪岱 スタイル 江戸の粋から東京モダンへ

■2021年2月6日〜4月18日
三井記念美術館

 

肉筆画から舞台装置の原画まで。

53歳と長くはないその生涯の中で多岐にわたる仕事を残した小村雪岱(1887-1940)を回顧する企画です。

2019年末、岐阜県現代陶芸美術館から一旦スタートした巡回展ですが、続く東京展はコロナの関係からほぼ1年順延されての開催となりました。

bijutsutecho.com

 

展示されている作品の大半が清水三年坂美術館の所蔵品です。

幕末明治の超絶技巧工芸コレクションで知られるこの美術館。

創設者でもある村田理如館長の趣向と小村雪岱の結合は意外な印象を受けます。

これでもかと技巧を凝らした装飾工芸品の数々と、シンプルに形のエキスそのものを線に表したような雪岱の美は、一見対極に位置しているようにみえなくもありません。

 

監修者の山下裕二によると、清水三年坂美術館雪岱コレクションの元となっているのは画家山本武夫の旧蔵品。

山本の死後、村田館長がまとめて買い取ったという経緯にあるようです。

工芸品のように漸次集められたわけではなく、いわば「一気買い」された作品群ということになります。

 

戦前まで売れっ子画家だった小村雪岱が戦後急速に忘れられていったのは、50代前半での急逝と、いわゆる画壇に属さず挿絵や装丁といった商業絵画の世界を活躍の場としていたからといわれています。

2017(平成29)年7月にテレビ東京系列で放送された「美の巨人たち」でこの画家の「青柳」が取り上げられました。

私はこの番組で初めて小村雪岱の名を意識。

極端に単純化されたデザイン性の高い画風に惹き込まれた記憶があります。

今回の企画展ポスターにはその「青柳」が採用されています。

ポスターを見た時、一目で小林薫のナレーションと共にあの番組の記憶が甦ってきました。

 

どの作品にも、かたちや情感を、まるで、金魚掬いですっととりあげたような無駄のない線描がみられます。

それでいて写し出された美人や景物は散らかることなく画面にピシリと張りついて観る者の視点を強烈に固定させる作用をもっている。

美の取り出し方と固め方が極度に洗練された画風。

だから一度観ると忘れられないのでしょう。

 

シンプルな手法が際立つ画家ですが、今回の展示で驚いたのがその舞台美術関連作品です。

横長の舞台装置に配された家屋や内装が織りなす写実性の高い設えは、雪岱の空間表現の見事さと確かな技巧を感じさせるものばかり。

ここに描かれた設定通りに舞台が再現されたとすれば、それだけで一級の美術空間となったのではないかと推測させられます。

 

清水三年坂美術館コレクションの本流である近代工芸品が、展示に厚みをもたせるために組み合わされています。

雪岱の美と呼応するように比較的シンプルな意匠の作品が取り揃えられていました。

これらの明治工芸品とは別の基軸で組み合わされた現代作家の作品も機知に富んでいます。

おそらく巡回展初回を担った岐阜県現代陶芸美術館のセンスが組み込まれているのでしょう。

彦十蒔絵による「鉄瓶 鉄錆塗」の時間を形に写す技巧の素晴らしさ。

白井良平による「青柳」へのオマージュ「目薬と手鏡」にみる余情と余韻。

面白い取り合わせでした。

 

この展覧会は事前予約制です。

当日直前までネットで受付ていますが閉館が16時と早いのでやや注意が必要かもしれません。