メゾン・エ・オブジェ展|高島屋

 

デザイン・ダイアローグ メゾン・エ・オブジェ・パリ展

■2022年4月28日〜5月9日
■髙島屋京都店7階

 

メゾン・エ・オブジェ(Maison et Objet)はパリで原則毎年2回開かれているインテリアの大規模国際見本市です。

本展はそれをそのまま日本にもってきた、というわけではもちろんなくて、1995年にスタートしたこの国際展示会の足跡やコンセプトのエキスを抽出して紹介するという企画。

主催は髙島屋と朝日新聞

今年3月の日本橋髙島屋での展示を皮切りに、京都店、名古屋店(8月17日〜30日)と巡回。

日本橋での展示を見逃してしまったため、四条河原町で鑑賞することになりました。

 

www.maison-objet.com

 

 

大きく3つのパートから構成されていて、まず最初にMaison & Objetが顕彰してきた歴代アワード受賞者の作品展示、次いでこの見本市からみたインテリアデザインの最新動向を紹介する"What's New?"のコーナー、最後に若手デザイナーに注目した"Rising Talent Awards"が置かれています。

 

"Designer of the Year"、歴代アワード受賞者の作品陳列コーナーが、やはり、一番見応えがありました。

1999年のパオラ・ナヴォーネから2022年、つまり今年の受賞者フランクリン・アジまで、21名、40点の作品が展示されています。

 

パオラ・ナヴォーネ(Paola Navone)は、1999年当時、すでに十分実績がある、もはや重鎮ともいえるデザイナーだったと思います。

そういう人を最初の「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」に選定していることからも、全体として、メゾン・エ・オブジェが、まずは穏当な大家主義からスタートしたことが推測できると思います。

 

それを裏付けるように翌年、2000年の受賞者はフィリップ・スタルク(Philippe Starck)、01年はジャスパー・モリソン(Jasper Morrisson)と、いまさら賞をもらっても、という大物が連続しています。

 

吉岡徳仁は2012年、日本人としてアワードに初登場。

スタルクやモリソンと比べると「大家」という感じは受けませんが、この人も00年代、すでにたいそうな実績を内外であげていましたから、受賞に唐突感はありません。

 

吉岡徳仁

 

2015年には佐藤オオキのnendoが受賞しています。

どうやらこのあたりから、メゾン・エ・オブジェの顕彰方針は、いわゆるマエストロ主義にさほどこだわらす、それよりも「現役感」が強い作家、あるいはデザイン集団に重点をおくように変えられたように感じられます。

なんとなく、ですけれど。

 

2020年には、今や照明デザイナーとして芸術的にも商業的にも大成功を収めているといっていい、最旬の人、マイケル・アナスタシアデス(Michael Anastassiades)が選ばれています。

マイケル・アナスタシアデス

約四半世紀に及ぶ、時代をある側面で代表した椅子や照明デザインの流れがコンパクトに追えるという意味で面白い展示でした。

 

フィリップ・スタルクは「銃」を照明スタンドのデザインとして採用し、この人らしいケレン味で遊んでいますが、2020年代の今、もはやこういうテイストが受け入れられる雰囲気ではなくなってしまいました。

ただスタルクの照明には他にもっとスタティックな美観を持った作品もありますから、この黄金銃ライトスタンドだけで彼を代表させてしまうのはちょっとかわいそうな気もします。

ジャスパー・モリソンのように代表作がそのまま展示されている例はわかりやすいのですが、スタルクや吉岡、アナスタシアデスなどに関してはもっとふさわしい作品があるのではないか、とも感じました。

 

フィリップ・スタルク

今年、2022年の受賞者であるフランクリン・アジ(Franklin Azzi)はアナスタシアデスに比べると知名度がぐっと落ちる人かもしれません。

1975年生まれですから、世代としては佐藤オオキあたりと被っていて、すでに実績十分の人と見られますが、今回はじめてその名に接した作家です。

wikiによると、2004年、バリバレがオープンさせた東京でのショップデザインを手掛けたとされています。

しかし渋谷にあったというそのバリバレ自体、もう日本から撤退しているので、確認しようがありません。

現在はパリ、モンパルナスタワーのリニューアルプロジェクトを任されているのだそうです。

そのアジの作品が、「現在」の味をよく出していると思いました。

スタルク風の遊びや官能、吉岡の洗練されたマテリアル感などからは遠く隔たった、静かに優しく設計された椅子。

デザインそのもののもつ迫力はありませんが、柔らかく日常の美しさが滲むような雰囲気があります。

フランクリン・アジ

夥しい新作で埋め尽くされた"What's New?"のコーナーや若手注目作家の特集も、さらっと眺めることができて、楽しめました。

中でもイサム・ノグチに挑戦したという坂下麦の照明は、素直な手技の美しさがあって惹かれました。

坂下 麦

 

 

 

旧今尾景年邸|Machiya Vision

 

KYOTOGRAPHIE2022と連動したMACHIYA VISIONという企画の一環で、久保家邸宅=旧今尾景年邸が公開されました(2022年4月27日〜5月8日)。

 

主催は公益財団法人 京都市景観・まちづくりセンター。

昨年2021年までこの屋敷では料亭「瓢樹」が営業していましたが、仕出し専門店として東山三条に移転。

現在は2階が事務所として使われているのだそうです(その2階は当然に非公開でした)。

 

kyoto-machisen.jp

 

 

近代初期の京都画壇に重きをなした巨匠今尾景年は1845(弘化2)年、衣棚二条上ル堅大恩寺町に生まれています。

1870(明治3)年には三条烏丸西入ル御倉町、現在、呉服商千總があるあたりの近所に画塾を開き、以来、多くの弟子を育てました。

 

景年門下で最も有名な画家は木島櫻谷ですが、彼が入門した1892(明治25)年当時、画塾は移転していて、柳馬場三条上ル油屋町にあったのだそうです。

景年の画塾で学んだ人は通算500名を数えます。

(以上の記述は今尾景年の孫、日本画家・今尾景之の文章「景年と櫻谷」[泉屋博古館が2017年に開催した木島櫻谷展図録P.36]を参考にしています)。

 

六角新町西入ルにある現在の旧今尾景年邸が建てられたのは1914(大正3)年。

景年は1924(大正13)年、79歳で亡くなりますから、最晩年の10年間を過ごした家がここ、現久保家住宅ということになります。

 

景年没後は婿養子が今尾家を継いで居住していましたが、戦後、現在の所有者である久保家が購入。

2008(平成20)年、国の登録有形文化財となっています。

 

 

京町家とはいえ、この屋敷は商家として使われたものではありません。

画家の家です。

 

ということからなのでしょうか、一般的には通りに面して開けられる玄関は外塀に囲まれた中にあり、六角通側に向いた南側ではなく、東向きに造られています。

玄関から小さい中庭を過ぎたところにある座敷が見学エリアとなっていました。

料亭として最近まで現役で使用されていた部屋ですから当然に木材や土壁などの多くが新しく入れ替えられているとみられます。

景年が暮らした大正期そのものの雰囲気は残念ながらこの室内からはほとんど感じられませんでした。

 

 

しかし、座敷の奥に設けられた庭はおそらく当時からそれほど大きく姿を変えてはいないとみられます。

苔むした蹲や巨石が昼間でも陰影深い色合いをみせていて、複雑な景色を生み出しています。

塀に囲まれた閉鎖空間にも関わらず、座敷の中には爽やかな空気の流れが感得できます。

奥に造られた庭が外気との寒暖差を生み、静かな風を室内によびこむ町家独特の仕掛けがここでも機能しています。

全体に開放的な構造もあいまって、いわゆる「鰻の寝床」的な印象からは遠い建築。

なお景年の画室は2階にあったのだそうです。

 

大正8年には帝国美術院会員にも就任し、自他共に認める画壇の大家となっていた晩年の景年は、もうほとんど弟子もとっていなかったでしょうから、広々とした座敷でゆったり余生を楽しんだようです。

 

 

木島櫻谷は景年が最初に画塾を開いた三条の御倉町に生まれていますが、独立してしばらくすると衣笠に引っ越してしまいます。

他方、師匠の景年は何回か引っ越しをしているものの衣棚二条の生家からさほど離れず、室町三条界隈でずっと過ごしていたように見えます。

当時はれっきとした郊外であった衣笠に建てられた櫻谷邸(現 櫻谷文庫)と、終始京都の中心に住み続けた景年の邸宅。

終生強い結びつきを保った師弟の屋敷が共に奇跡のごとく現存している偶然に、あらためて驚きながらの見学となりました。