KYOTOGRAPHIE2022と連動したMACHIYA VISIONという企画の一環で、久保家邸宅=旧今尾景年邸が公開されました(2022年4月27日〜5月8日)。
主催は公益財団法人 京都市景観・まちづくりセンターです。
昨年2021年までこの屋敷では料亭「瓢樹」が営業していましたが、仕出し専門店として東山三条に移転。
現在は2階が事務所として使われているのだそうです(その2階は当然に非公開でした)。
近代初期の京都画壇に重きをなした巨匠今尾景年は1845(弘化2)年、衣棚二条上ル堅大恩寺町に生まれています。
1870(明治3)年には三条烏丸西入ル御倉町、現在、呉服商千總があるあたりの近所に画塾を開き、以来、多くの弟子を育てました。
景年門下で最も有名な画家は木島櫻谷ですが、彼が入門した1892(明治25)年当時、画塾は移転していて、柳馬場三条上ル油屋町にあったのだそうです。
景年の画塾で学んだ人は通算500名を数えます。
(以上の記述は今尾景年の孫、日本画家・今尾景之の文章「景年と櫻谷」[泉屋博古館が2017年に開催した木島櫻谷展図録P.36]を参考にしています)。
六角新町西入ルにある現在の旧今尾景年邸が建てられたのは1914(大正3)年。
景年は1924(大正13)年、79歳で亡くなりますから、最晩年の10年間を過ごした家がここ、現久保家住宅ということになります。
景年没後は婿養子が今尾家を継いで居住していましたが、戦後、現在の所有者である久保家が購入。
2008(平成20)年、国の登録有形文化財となっています。
京町家とはいえ、この屋敷は商家として使われたものではありません。
画家の家です。
ということからなのでしょうか、一般的には通りに面して開けられる玄関は外塀に囲まれた中にあり、六角通側に向いた南側ではなく、東向きに造られています。
玄関から小さい中庭を過ぎたところにある座敷が見学エリアとなっていました。
料亭として最近まで現役で使用されていた部屋ですから当然に木材や土壁などの多くが新しく入れ替えられているとみられます。
景年が暮らした大正期そのものの雰囲気は残念ながらこの室内からはほとんど感じられませんでした。
しかし、座敷の奥に設けられた庭はおそらく当時からそれほど大きく姿を変えてはいないとみられます。
苔むした蹲や巨石が昼間でも陰影深い色合いをみせていて、複雑な景色を生み出しています。
塀に囲まれた閉鎖空間にも関わらず、座敷の中には爽やかな空気の流れが感じられます。
奥に造られた庭が外気との寒暖差を生み、静かな風を室内によびこむ町家独特の仕掛けがここでも機能しています。
全体に開放的な構造もあいまって、いわゆる「鰻の寝床」的な印象からは遠い建築。
なお景年の画室は2階にあったのだそうです。
大正8年には帝国美術院会員にも就任し、自他共に認める画壇の大家となっていた晩年の景年は、もうほとんど弟子もとっていなかったでしょうから、広々とした座敷でゆったり余生を楽しんだようです。
木島櫻谷は景年が最初に画塾を開いた三条の御倉町に生まれていますが、独立してしばらくすると衣笠に引っ越してしまいました。
他方、師匠の景年は何回か引っ越しをしているものの衣棚二条の生家からさほど離れず、室町三条界隈でずっと過ごしていたように見えます。
当時はれっきとした郊外であった衣笠に建てられた櫻谷邸(現 櫻谷文庫)と、終始京都の中心に住み続けた景年の邸宅。
終生強い結びつきを保った師弟の屋敷が共に奇跡のごとく現存している偶然に、あらためて驚きながらの見学となりました。