ポーラ美術館の「パリ1925」展と空山基

 

モダン・タイムス・イン・パリ 1925ー機械時代のアートとデザイン

■2023年12月16日〜2024年5月19日
■ポーラ美術館

 

近頃、東京や京都のメジャーな観光名所は外国の方々にほぼ占拠されている状態ですが、箱根も大変なことになっています。
久しぶりに湯本から登山電車に乗ったら平日にも関わらずいきなり満員。
しかも乗客の9割近くが海外からの観光客です。
京都や東京であれば、清水寺や浅草などの観光客密集エリアには別に用事があるわけでもないので近づかなければ良いだけの話ですが、箱根の場合はここポーラ美術館や大好きな温泉が点在しているので困ったことに避け続けることができません。

電車の中では巨大なキャリーケースの大群に包囲されてちょっと困ったなあと思いましたが強羅の奥、ポーラ美術館まで来ると比較的静かで幸いなことにゆったりと鑑賞することができました。

www.polamuseum.or.jp

 

アール・デコの時代でもある1920年代を取り上げた展覧会は前世紀末あたりから根強く人気があり、同時代に活躍した個別のアーティストたちに関する特集等も含めれば規模の大小はあるものの毎年のようにどこかの美術館が関連した特別展を開催しているような気がします。
いまさら単に「1920年代展」を企画しても新奇性に欠けてしまいますから、この時代を取り上げる場合、独自の切り口を設定する必要があります。

そこで今回ポーラ美術館が設定したテーマが「機械時代」、モダン・タイムスということになるのでしょう。
会場の冒頭コーナーでチャップリンによる同名映画の一場面が上映されていました。

 

ブガッティ タイプ52(ベイビー) (トヨタ博物館蔵)

 

柏木博(1946-2021)はかつて「今日、とりわけ20年代のグラフィック・デザインが興味深いのは、わたしたちが同じような、いわばテクノロジーによる急激な環境の変容を体験しつつあるなかで、まさに、そのことによって、過去の技術(デッド・テック)となろうとしている機械時代のデザインを反省的に検討してみることにほかならないからなのである。」と述べたことがあります。
技術革新によって目まぐるしく変わっていく現代社会の眼を通して同じようにラディカルな環境変容を体験した1920年代のデザインを振り返ることの意味を指摘した文章です。

柏木が使った「テクノロジーによる急激な環境の変容」という表現をみるとつい最近のことを述べているように感じられます。
でも実はこの文章が発表された時期は1988年なのです。
同年に東京都美術館他で開催された「1920年代日本展」図録に柏木が寄せた論考「機械時代のグラフィズムヘ」の中から引用した一節です(同展図録P.272)。

この「1920年代日本展」は、それ以前から高まっていた、いわゆる「世紀末ブーム」の後を受けるようなかたちで開催された非常に大規模かつ画期的な特別展でした。
柏木博の他にも図録には秋山邦晴(1929-1996)、飯沢耕太郎(1954-)、鈴木博之(1945-2014)、多木浩二(1928-2011)などなど、斯界を代表する論者たちの名前が見られます。

 

ラリック「勝利の女神」(東京都庭園美術館で以前撮影・当会場では撮影不可)

 

1920年代日本展」から約35年も経過していますが「テクノロジーによる急激な環境の変容」という状態は現在も続いています。
というよりその変容のスピードは80年代より激しいといって良いかもしれません。
では柏木博が指摘していた「機械時代のデザインを反省的に検討」という1920年デザインあるいはアートをみつめる視点を鑑賞者として今も直接的に持ち得るかというと、それはちょっと感覚が違ってきているようにも思えるのです。

 

チャーチ邸内観の再現

 

毎年のように繰り返されてきた20年代関連企画展を経ることにより、キュビスムアール・デコシュルレアリスムも、一定年齢以上のこの国の鑑賞者たちにとってはすでに「鑑賞史」になってしまっています。
つまりかなり多くの人たちが柏木が語った「反省的検討」を何度も経験してしまっているともいえます。

また、世代に関係なく、今初めて20年代展に接する人たちにとってもおそらく「反省的検討」を行いながら鑑賞するということは難しいかもしれません。
テクノロジーと共にデザインの歴史自体が80年代頃と比べてあまりにも急激に多様化しているため、もはや時代をトレースしつつ現在をふまえた反省的検討をしようにもそれが極めて困難な状況にあるのではないでしょうか。
むしろもっと素直に「レトロ」の文脈でみた方がわかりやすいかもしれません。

 

L.T.ピヴェール社製香水瓶「ロクロワ」(ポーラ美術館蔵)

 

とはいっても、繰り返し回顧されるこの1920年代というテーマ自体が輝きを失っているわけでは当然にありません。
2020年代、つまり100年経った今でも十分鑑賞者に訴求するアート、デザインの宝庫であることに変わりはないのです。

ポーラ美術館もこうした鑑賞者サイドの立ち位置をしっかり考慮したのでしょう。
1920年代のあまりにも複雑で魅力に満ちた様相を良い意味でカタログ的に整理し、「機械時代」という今やアナクロ的な響きをもつタームを使いつつ、「1925年パリ」と日本を含むその周辺に範囲を限定することで洗練された展示構成を実現しています。
結果としてこの時代のアートを語る上で欠かすことのできない建築や写真といったジャンルはほとんど省略されていますが、いまさら総花的に紹介して展示が散らかる愚を回避したとみることもできます。

 

キスリング「風景、パリ-ニース間の汽車」(ポーラ美術館蔵)

 

かなり整理した内容とする一方で、ポーラ美術館は展示のエピローグをこのミュージアムらしいお洒落な演出で仕上げ、展覧会に厚みをもたせることにも成功しています。
ムニール・ファトゥミ(Mounir Fatmi 1970-)、空山基(1947-)、ラファエル・ローゼンタール(Rafael Rozendaal 1980-)、三人の現役アーティストの作品をゆったりと展示し、もはや「反省的検討」を試みることが難しくなってしまったのかもしれない1920年代アート鑑賞の余韻を受け止めてくれます。

 

空山基「Sexy Robot」(NANZUKAからのレンタル)

 

中でも空山基による「Sexy Robot」のコーナーはスパイスが効いていて楽しめました。
三体の中央に設置されている「Untitled_Sexy Robot type II floating」は言うまでもなくフリッツ・ラングの「メトロポリス」に登場するマリアをオマージュした作品です。
つまりこの展覧会はチャップリンの「モダン・タイムス」に始まり、ラングの古典SF映画に終わる構造をもっているともいえます。
1920年代アートを観る新しい視点とはまさに「映画を観る」ように楽しむことなのかもしれません。

 

 

ところで1925年のわずか15年後、黄金時代を謳歌したパリは呆気なくドイツに占領されることになります。
この「モダン・タイムス・イン・パリ 1925」展は温泉観光地箱根で開かれている展覧会です。
場所柄も考慮し続く1930年代に顕著となる戦争への予感を直接表象するような不粋な展示物は回避したのでしょう。
その代わりに空山基が創造した21世紀のマリアを置くことで1920年代に続く時代の不安を暗示したとみるのはおそらく考えすぎなのでしょうけれど、なんとなく不気味な感覚を得たことも事実です。
パリで「アール・デコ博」が開かれてから100年を迎える来年2025年。
そのさらに15年先の世界はひょっとすると、一都市や特定国の被占領というレベルを再び超え、とんでもないことになっているかもしれません。

 

古賀春江「現実線を切る主智的表情」(西日本新聞社蔵)

 

写真撮影可能な展覧会ですが箱根ラリック美術館の出展品や京都工芸繊維大学から借り受けたカッサンドルのポスターなど、部分的に不可となっている作品があるので撮影される方は注意が必要です。

 

 

以下、空山基作品のオマケ画像です。

 

空山基「Sexy Robot」より

 

空山基「Sexy Robot」より



空山基「Sexy Robot」より

 

国立西洋美術館が自問する難題展覧会

 

ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ

■2024年3月12日〜5月12日

 

美術館が自身の館蔵品と現代アーティストによる作品をコラボレーションさせる企画は特に珍しいことではありません。
しかし、それと同時に自らの存在意義を徹底的に、あるいは逆説的に問い直すという試みはとても稀なことではないでしょうか。

国立西洋美術館という紛れも無い「ナショナル・ミュージアム」が65年目につぶやいてしまった苦しくも難しい「自問」を実感できるとても面白い展覧会です。

www.nmwa.go.jp

 

「国立の」という枠組みの中に限定すると、実は東京には「現代美術館」が一つもありません。

もちろん「現代美術」を"Modern Art"とするならば竹橋に立派な"The National Museum of Modern Art,Tokyo"、東京国立近代美術館があります。

しかし東近美の守備範囲はその名称が示す通り、どちらかというと「現代」よりも「近代」寄りであり、同時代芸術"Contemporary Art"の殿堂というイメージはあまり浮かんできません。

最も新しい国立の美術館である乃木坂の国立新美術館はたしかにコンテンポラリー・アートの企画展をしばしば開催してはいます。
しかしここは常設コレクションをほとんど持たず、くるくると出し物を入れ替えていく「器」という性質を濃厚にもっています。
正確にいえば「ミュージアム」でもありません。
"The National Art Center, Tokyo"が国立新美術館の英語表記です。
あくまでも「アート・センター」なのです。

同時代性をより強く意識した「ナショナル・ミュージアム」としては、一応、大阪の国立国際美術館"The National Museum of Art,Osaka"にその機能が期待されています。


ですから結果的に首都東京には「国立現代美術館」がないのです。

 

www.artmuseums.go.jp

 

しかし国立国際美術館があるからといって、大阪が同時代芸術の日本国内における最大の中心地というわけではもちろんありません。
東京には都が運営する巨館である東京都現代美術館があり、民間施設も含めれば質量共にモダンアートの面で大阪を楽々と凌駕します。

とはいうものの、では"The National Museum of Western Art"と英名表記される国立西洋美術館が同時代のアートに全く無関心でいて良いのか?
「国立現代美術館」をもたない首都の中で、西美の、特に若いキュレーターたちはどこか引っかかるものを感じていたのではないでしょうか。

こうした通奏低音をおそらく伴いつつ、国立西洋美術館の始原となるコレクションを築いた松方幸次郎(1866-1950)の意図に立ち返ったとき、この展覧会のアイデアが生まれたということなのかもしれません。

 

 

自前のコレクションと現代アートを掛け合わせる展覧会の場合、まずは館蔵品があり、それにインスピレーションを受けたアーティストが作品を制作するという流れが一般的だと思います。

しかしこの企画展では、なんと「原因」としての西美コレクションと「結果」としての現代アーティスト作品という関係性があらかじめ否定されているのです。
ここが本展の最も面白いところであり、西美が自らに課したとても厳しい「問い」の前提でもあります。

田中正之館長による以下の言葉にそのことが端的に表明されています。

「今回の展覧会でなされる最も大きな『自問』とは、国立西洋美術館やそこに所蔵される作品が、現代の表現とどのような関係を結び、今の時代の作品の登場や意味生成にどのような役割を果たしうるのか、をめぐる問い」

「ここでは『影響』と『源泉』という美術史学の語りにおいて非常に大きな力を持つ二つの用語を排除する」

(図録P.008から切り取り引用)

 

 

 

松方幸次郎が設立を夢見ていた「共楽美術館」で試みようとしていたことの一つに、近代を迎えていたこの国の芸術家たちへの贈り物として、西洋美術の「本物をみせる」という理念がありました。

でもここで注意が必要なのは松方自身は特に固有の西洋美術に関する「美術史的な眼」をもってはいなかったということでしょう。

彼は美術品の収集について、彼なりに芸術として「本物」でなければならないことは意識していたかもしれないにしても、田中館長がいう美術史的な「影響」や「源泉」を必ずしも重視していたわけではないのです。

どのように「本物」をこの国の芸術家たちが受けとるのかということを考えてはいても、例えば「印象派としての画家モネが日本の現代美術家印象派的な影響を与えるのか」といった視点はもっていなかったと思われます。

ですからこの展覧会において「原因としての館蔵品」と「結果のとしての現代日本作家作品」いう関係性が生じることは、とりもなおさず松方の意図とも合致しないということになります。

こうしたことを考えると、今回、西美の呼びかけに応じた日本の現代アーティストに求められた課題は非常に難しいものであったろうと想像できます。

国立西洋美術館とそのコレクションはあなたたちに本物の素晴らしさを提供してきたのだろうか」と問いかけられつつ、「でもその影響によって生じた作品は必要ありません」と言われているわけですから。

結果として、本展で紹介されている現代作家たちの作品にはこの難題としての「自問」につき合わされてしまった葛藤が色濃く反映されているように感じられます。

 

 

西美の企画展コーナーの空間はその多くが地下に埋め込まれています。

しかし初めから場所をとる現代アート群をのみこむためにシーザー・ペリによって設計された中之島の国際美術館がもつ巨大な地下空間とは異なり、西美には19世紀くらいまでの絵画作品展示がある程度意識されたキャパシティが確保されているにすぎません。

モダンアートを展示するにしてはやや狭隘感が漂うそのスペースの中に、物故者を含むベテランから若手まで日本の現代アーティストたちが制作した作品が所狭しと陳列されています。

多分戸惑いながらも開きなおってモネ作品の「欠損」をこのアーティストにしては大胆かつ柔らかに補った竹村京(1975-)。

ロダンの「考える人」を台座から引き倒して赤い床に転がした小田原のどか(1985-)のぶっちゃけ精神。

先日まで開催されていた「モネ」展の鑑賞者たちによる大行列が消えた夜の上野の森美術館
煌々と輝くその看板を前に上野公園内をよろよろと歩きまわる老年者たちの姿を濃厚な闇の中に描いた弓指寛治(1986-)の群像画が放つ優しさと体臭。

さらに国立西洋美術館そのものを分解して再提示してしまった布施琳太郎(1994-)によるスノビズムインスタレーションの素敵にスマートな場違い感。

梅津庸一(1982-)とパープルームの暑苦しいアート塊が西美の一画を占拠するなどということは今まで考えられなかったことでしょう。

とっても苦しく、そして楽しい展覧会でした。

なお本展は一部の例外を除きカメラOKとなっています。