京都新聞社地下のヴィヴィアン・サッセン

 

ヴィヴィアン・サッセン
PHOSPHOR|発光体:アート&ファッション 1990–2023

■2024年4月13日〜5月11日(KYOTOGRAPHIE 2024)
京都新聞ビル地下1階
(注:本展は5月11日までですが他会場のKYOTOGRAPHIEは5月12日まで開催されています)

 

13ヶ所に及ぶ多彩な会場で繰り広げられた今年の京都国際写真祭の中でも、最もスリリングに楽しめた場所かもしれません。

かつて新聞が印刷されていた暗い地下工場跡の中でサッセンによるマジカルな作品たちが光を放っていました。

 

www.kyotographie.jp

 

ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen 1972-)の初期から最近作までが集められた大規模なレトロスペクティヴです。
代表的な写真集からピックアップされた作品が展示されていますが、中には彼女がユトレヒト芸術大学在学時代に制作し今まで公表されてこなかった作品も紹介されています。
既刊の写真集やファッション写真などでは知り得なかったこの作家の原点にも触れることができる貴重な機会です。

とても本格的に編まれたこの回顧展は、昨年2023年にパリのヨーロッパ写真美術館(Maison Européenne de la Photographie 略称MEP)で開催された企画の巡回なのだそうです。
MEPとKYOTOGRAPHIEの連携は2020年から続いていますが、昨年のボリス・ミハイロフ展や一昨年のアーヴィング・ペン展と比べても本展はかなり大部な構成をとっていて内容の豪華さという点でも特筆に値すると思いました。
なお提供はDIOR、京都新聞社自身も共催として関係しています。

www.mep-fr.org

 

烏丸丸太町にある京都新聞ビルの地下は、近年、催事場として例えばARTIST'S FAIR KYOTOやAMBIENT KYOTOなどでも使われていて、新たなアート関連スペースとしてその認知度が高まってきているようです。
2015年秋まで新聞の印刷工場として稼働していた場所です。
京都御苑のすぐ南で毎日大量の新聞が印刷されていたわけで、今から考えると非現実的な空間にもみえてくる巨大な地下工場跡です。

セノグラフィーは遠藤克彦建築研究所が担当しています。
ダクトや鉄製の支柱、床面の設備などを隠すことなく露出させ、照明を極力抑制することで印刷工場としては役目を終えたこの場所の奇妙な廃墟感を活かした見事な空間演出がみられます。
ところどころに小部屋や映像コーナーが仕掛けられているので、探検的面白さもありました。
サッセンは被写体がもつ造形的な明確さを非常に重視するアーティストだと思います。
シャープにカラフルな、そして陰影深い作品が暗い地下工場跡の中で映えています。

 

ヴィヴィアン・サッセン「Venus & Mercury」より

 

いずれも刺激的かつ美しい写真ばかりなのですけれど、中でも特に印象に残った作品があります。
「Venus & Mercury」と題された映像作品。
2019年に発表されています。
L字型に組まれたスクリーンの結節部分から写真のスライドがそれぞれ反対方向に流れるように現れては消えていきます。
こうしたスタイル自体はビデオアートによく用いられる手法であり特に新しいものではありません。
この映像が異様なのは写されている対象物そのものにあります。
局部が欠損したトルソのような彫像、使い古されたチェンバロ、円錐系に整えられたトピアリーの一群。
バロック風の宮殿や庭園が写されていることはわかるのですが、説明テキストを確認しないとこれがあのヴェルサイユ宮殿だと気づく人は少ないかもしれません。

 

ヴィヴィアン・サッセン「Venus & Mercury」より

 

ヴィヴィアン・サッセンは2018年にヴェルサイユ宮殿への滞在が許され、なんと約半年もここに居て写真を撮影しまくったのだそうです。
しかし、「Venus&Mercury」に現れる写真群には有名な「鏡の間」に代表されるようなこの建築の華麗な姿はほとんどみられません。
かろうじて「大噴水」や建物外壁の一部が確認できるくらいです。
大理石の彫像はほとんどがまともな形を保っておらず、それが身体のどこを表しているのかすらわからない謎めいた存在に変化しています。

ただそれらのイメージが、例えばハンス・ベルメール風の人形愛的な幻想世界を形成しているかといえば、必ずしもそうではなく、どこか軽妙さや風変わりな明るさを伴っているようにもみえます。
かつて完璧に優雅な美の世界を彩っていた装飾品の姿と、それらと戯れていたバロックロココの宮廷人たちの残影が映像の中でアイロニカルに再び邂逅しているような幻影が感じられるのです。

 

ヴィヴィアン・サッセン「Venus & Mercury」より

 

映像にはマジョリー・ファン・ヘムストラのテキストによる英語の朗読が被せられ、写されているものをそれとなく示唆します。
最も恐ろしい映像はテキストが"A night with Venus,a lifetime with Mercury"(「ヴィーナスと一夜を共にすると、マーキュリーと生涯過ごすことになる」)と読み上げられるところに現れます。
このミステリアスな警句が示唆しているのは金星でも水星でもなく、梅毒のことです。
ペニシリンなどなかった時代、この病の治療には「水銀」="mercury"が効くと信じられていました。
一晩の遊戯によって病を得たら、一生、水銀の世話になる、それが「Venus & Mercury」の意味だったのです。
映像には不気味な黒い「鼻」が登場します。
これは梅毒の進行によって落ちてしまった顔面の一部を補うために当時制作された鉄製の鼻です。
サッセンはこの無機的な「黒い鼻」の周りにカラフルなペインティングを施して観るものにさらりと提示していました。
官能と欲望と死がなんとも軽妙かつ恐ろしく混淆した作品です。
しばらく時間を忘れて見入ってしまいました。

 

ヴィヴィアン・サッセン「Venus & Mercury」より

 

写真撮影OKの展覧会です。
床には新聞運搬用と見られるレールの溝がそのまま残され、微妙な段差もあちこちにありますから注意しないとヒールが引っかかるかもしれません。
とてもファッショナブルな面もある企画ですがオシャレ系より機能性優先のシューズを履かれた方がよろしいようです。