エレメント・オブ・クライム|ラース・フォン・トリアー

 

ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier 1956-)の大回顧特集が、新宿のシネマート他、各地のミニシアターで開催されています(2023年7月7日より順次公開)。

最新作「キングダム エクソダス(脱出)」の公開にあわせ、14もの過去作を一気に上映するという、嬉しくも、ちょっとげんなりするような企画です(配給はシンカ)。

 

エレメント・オブ・クライム」(Forbrydelsens Element 1984)を鑑賞してみました。

初見です。

 

youtu.be

 

監督の長編デビュー作です。

28歳前後の時期に撮りあげたということになるのですが、すでに、トリアー独特の語法や世界観が全編にわたって浸透していることに驚きました。

やや未整理なシーンもあるのですが、そこが、むしろ、この監督のテイストがストレートに伝わってくる部分であるようにも感じられる、不思議な魅力に満ちた作品です。

 

とても複雑に「心象」が重ねられている映画。

登場人物たちの立場や場所、時間までもが曖昧なまま進行するので、ボーっと観ていると、今、映されている像が誰の心象風景なのか、ぐちゃぐちゃと混淆し、どんどん気分がどんよりしてきます。

 

デビュー作から、十分、「滅入る愉しみ」を与えてくれる監督です。

 

そもそも主人公フィッシャー(マイケル・エルフィック)の立場がよくわかりません。

現在カイロに暮らしているとみられる、この特段なんの魅力もない中年男が、あるシリアルキラーを追跡するため、「ヨーロッパ」に戻り、捜査に協力するという設定。

男は警官ということになってはいますが、長期間その「ヨーロッパ」から離れていて、別の仕事をしていたにも関わらず、再びあっさりと現地警察に組み込まれています。

かといって、彼を呼び寄せた上官とみられるクレイマーという人物との関係はいたって険悪にもみえます。

私立探偵でもなく、警官にしては組織と全く噛み合っていない主人公、フィッシャーという人物。

彼の社会的存在自体が、まず、極めて曖昧なのです。

 

時空がとても複雑に設定されていることもこの映画の大きな特徴です。

物語は、フィッシャーが「事件解決」の後、すでにカイロに戻ってきているという状況から始まります。

一連の映像は、カイロのクリニックで、頭痛を訴えるフィッシャーが催眠治療を受けているという前提で進行します。

医師は、一種の「退行催眠」を使って、フィッシャーに「ヨーロッパ」で経験した出来事を追体験させていきます。

つまり、映像全体が、「回想」なのです。

 

この作品が複雑なのは、その「回想」の中に、さらなる「回想」が仕込まれていくところにあります。

フィッシャーは、オズボーンという人物が考案した犯罪解決メソッド教本、『エレメント・オブ・クライム』に心酔しています。

この『犯罪の原理』には、犯人が行ったであろうことを自分自身が追体験していくことによって真相に迫るという、犯罪心理学チックな手法が書かれているようです。

「ハリー・グレイ」というシリアルキラーの足跡を追っていくフィッシャーは、メソッドに従い、ハリーに「成りきり」ながら捜査を進めていきます。

催眠による回想の中で、犯人の心象がさらに回想されていく。

心理療法 X 犯罪心理学

うんざりするような設定です。

 

これは本当にフィッシャー自身の回想なのか。

あるいはシリアルキラー「ハリー・グレイ」の回想なのか。

二重にも三重にも「心象」が絡みあい、映像の「実体」が溶融していきます。

そもそも、これは単なる「回想」ではありません。

ときおりジワリと侵食してくる水。

その中で浮沈する馬の断片。

どこにも特定できない「ヨーロッパ」が終始漂わせている腐臭。

実体と記憶と時間が溶け合った、どこにもないけれども、確かに経験されている世界、です。

当然に観ていて気持ちが悪くなるわけです。

 

極めて特異なことに、この映画には、「本当の客観的風景」が全く存在しません。

映されている事象は全て、フィッシャー、あるいは彼以外の何者かの心象なのです。

全編を支配している、異様な光沢を伴ったセピアの色彩自体が、別の世界を形成しています。

簡単に「悪夢」などとは片付けられない、「意識下のミルフィーユ」が描かれています。

 

この作品から外面的な警句らしいものをあえて読み取ろうとするならば、他人の頭の中に迂闊に手を突っ込めば、容易ならざる世界に沈み込んでしまうことになりますよ、ということなのでしょう。

メンタルヘルスとか犯罪心理学とか、表面的な「メソッド」を、この監督はどうやら全く信用していないようです。

 

さて、今回のトリアー映画祭における上映では、「エレメント・オブ・クライム」の前に、彼がまだ映画学校の学生だったときに監督した「ノクターン」(Nocturne 1981)という短編が併映されます。

赤いランプ。

緑の蛍光灯。

唐突に破られる窓。

「南国」の存在。

こうした「エレメント・オブ・クライム」でも印象的に登場するモチーフの多くを「ノクターン」の中に確認することができます。

ノクターン」では、ある女性が北(コペンハーゲン)から南(ブエノスアイレス)に旅立つ前夜の心象が描かれています。

光に怯え、朝がくることを恐れるあまり眠ることができない女性に去来する幻視的な光景がねっとりと映し出されていく、濃密な9分間。

エレメント・オブ・クライム」は、「ノクターン」とは逆に、南(カイロ)から北(「ヨーロッパ」)へと世界が変化します。

無限地獄のような「ヨーロッパ」から「南国」へと、「ノクターン」において一度は旅立とうとしたかのようにみえたトリアーは、結局、そこから抜け出すことを止め、どっぷりと浸り尽くすことを選んだようです。