鎌田友介とアンドロ・ウェクアの「家」|国立国際美術館

 

特別展 ホーム・スイート・ホーム

■2023年6月24日〜 9月10日
国立国際美術館

 

なにやら郷愁を誘うようなタイトルがつけられていますが、この美術館の企画展ですから、当然、その内容はまったく甘くはありません。

大画面の映像作品や、凝ったインスタレーション、絵画に彫刻と、多彩な「家」をめぐる(あるいはめぐってはいないかもしれない)苦みばしった作品たちが出迎えてくれます。

 

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テーマの通り、ストレートに物理的な「家」を表象している作品もあれば、鑑賞者の想像にその「家」性の認識を委ねているような作家もいます。

 

中には、藩逸舟(Ishu Han 1987-)のように、その両方で作品を仕上げている人も確認できます。

夥しい野菜用のダンボール箱を家にみたてた「ほうれん草たちが日本語で夢を見た日」では、直接的な家のイメージを用いつつ、とても今日的な「外国人技能実習生」のテーマが問われています。

他方で、中国の地方劇をモチーフとした映像作品「家でない場所で豆腐を作る」においては、土を捏ねて作った「打豆腐」をめぐる夫婦の会話によって「家」のメタファーをひたひたと伝達してきます。

 

家は、人が暮らすための器であるとともに、当然のごとく「家族」に直結します。

藩は、この「家」がもつ二つの当たり前のように備えている相貌を、独特の詩情性で、切なく、あるいは、ユーモラスに問いかけ直しているように思われました。

 

藩逸舟「ほうれん草たちが日本語で夢を見た日」

藩逸舟「家でない場所で豆腐を作る」より

 

さらに、石原海(1993-)の映像作品「重力の光」に至っては、北九州のある教会で演じられる質朴に濃厚な受難劇を通し、物理的な家やそのメタファーとしての親族家族ともおそらく無関係となった人々の声と姿が提示されています。

彼ら彼女らを「結びつけ」ている要素は何なのか。

何をもって「家」とするのか「家族」とするのか。

その定義と実質が問われているような作品と感じました。

 

石原海「重力の光」より

 

とても対照的に「家」を扱った二人のアーティストに特に惹かれました。

 

鎌田友介(1984-)が仕掛けた大規模なインスタレーション「Japanese Houses」は本展のために制作された新作なのだそうです。

会場の入り口に設営されています。

煌々と白々しく輝く蛍光灯群の光にまず眩惑されますが、この一見、スタイリッシュにもみえる電飾デザインが、実は、禍々しいある光景のメタファーであることに、鑑賞者はすぐ気がつくことになります。

 

朝鮮半島や南米等に残る、かつてそこに暮らした日本人たちによって建造された「日本家屋」を研究しているという鎌田が設計した、「それらしい」日本家屋の枠組み。

シンプルに組み上げられたその骨格には不思議に美しい「脆弱性」があらわされているように感じます。

建物のエキスのようなこの骨組みは、何に対してこんなにフラジャイルな態度をとっているのか。

その答えはインスタレーション後半に組み込まれている映像作品でじっくり語られています。

 

焼夷弾です。

 

映像では、ある外国人建築家"A"の言葉と彼が背負わざるをえなくなってしまった宿命的な出来事が示されています。

日本に一時暮らし、日本家屋の合理性、美しさを知り尽くしていたこの建築家は、皮肉なことに戦時中、米軍にその構造に関する情報提供を行うことになります。

よく知られているように、焼夷弾は日本家屋独特の「脆弱性」をとことん研究して開発された兵器です。

"A"はその開発実験における主要な協力者の一人でした。

 

インスタレーションの入り口にあった蛍光灯群は、空から襲いかかる焼夷弾そのものの暗喩だったわけです。

 

鎌田友介「Japanese Houses」より

 

映像では"A"とだけ紹介されていますが、この建築家は、当然に、アントニン・レーモンド(Antonin Raymond 1988-1976)のことを指しています。

国内に著名な建築作品が残り、支持者も多いこの大建築家の暗部を今更ながらに暴き立てる意図がこの作品にはないことを、あえて"A"とするとことで、作家は表現したのでしょう。

 


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かつての外地で、今、朽ち果てようとしている日本家屋がもっていた美しい骨組み。

そして、その日本の家々を愛していた建築家の協力によって発明された焼夷弾

「家」を巡って、これほど悲劇的なコンセプトで組み合わされたインスタレーションもありません。

 

アンドロ・ウェクア「タイトル未定(家)」

アンドロ・ウェクア(Andro Wekua 1977-)の作品がまとめて紹介されています。

「タイトル未定(家)」は、かつてウェクアが暮らしていたジョージア(旧名グルジア)の自宅をモチーフとして創られた一軒家の小さい模型です。

一見、丁寧に作られたミニチュアですが、塗装されている繊細に強烈な色の群れは現実のものではなく、作家の「心象色」といえそうです。

 

故郷を去り、現在はベルリン中心に活動しているウェクアにとって、この「家」は、もう戻れない場所なのだそうです。

ニュアンス豊かな中間色ではなく、透明な原色たちで彩られた「家」を見ていると、単なる「郷愁」、「ホーム・スイート・ホーム」ではない、切実な美が感じられてきます。

「タイトル」をつけられない、「未定」としているウェクアの心情がなんとなく伝わってくるようでもありました。

 

 

この人の絵画もまた独特の魅力をもっています。

どこか、ピーター・ドイグを思わせるような、鮮やかさと暗さ、軽やかさと不穏さが同居している人物画の数々。

幼い頃、一緒にたくさん遊んだはずなのに、もうその顔を明瞭に思い出すことができない友人たちの面影が明滅しくるような感覚に襲われました。

 

「家」を巡る、ある悲劇的なコンセプトを丁寧に具象化した鎌田友介と、「心象」の中の「家」を鮮烈かつ繊細にイメージ化したアンドロ・ウェクア。

全く手法は違いますが、それぞれに、紛れもなく「家」がありました。

 

 

 

 

Andro Wekua

Andro Wekua

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