「若冲と近世絵画」展|相国寺承天閣美術館

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若冲と近世絵画展 

■(前期)2021年5月12日〜7月25日 (後期)8月1日〜10月24日
相国寺承天閣美術館

 

前期と後期、たっぷり半年をかけての相国寺近世絵画特集です。

伊藤若冲が主軸ですが、原在中、円山応挙等、見応えのある優品が取り揃えられています。

なお、前後期の入れ替えはさほど大規模なものではありませんでした。

目立った入れ替えとしては応挙の「大瀑布図」(前期)と「牡丹孔雀図」(後期)。

共に重文なので展示期間制限の関係からの措置と思われます。

前期の5月に訪れた時はコロナもあってかなり閑散としていましたが、緊急事態宣言明けの先日鑑賞した後期展示では若干観客の数が増えてきたように見受けられました。

 

さて今年7月、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の「動植綵絵」が国宝に指定されました。

かなり唐突な感じを受けたのですが、偶然にも今回の企画展で展示されている若冲の「釈迦三尊像」と不可分の関係にある作品をめぐる大きな美術トピックス。

妙な因縁を感じてしまいます。

周知の通り「動植綵絵」は本来この「釈迦三尊像」を荘厳するために描かれた絵画。

東京都美術館で両作品が初めてまとめて展示されたときの狂騒的大混雑が思い起こされます。

でも図像的には主役であるはずの「釈迦三尊像」だけの展示だとほとんど話題にならない。

今回の展示でもほぼ無人環境でじっくり鑑賞できたのですが、考えてみるとかなりいびつな関係とも思います。

普賢菩薩、釈迦如来文殊菩薩

三幅の巨大なこの仏画こそ、本来、若冲が最も精魂こめて描いたであろう作品といえます。

細部まで工芸品を仕上げるような精緻な筆で描き込まれた三尊の完成度は「動植綵絵」の異様な迫力とはまた違った絵師の執拗なエネルギーを感じさせます。

動植綵絵」が国宝指定されたのであれば、「釈迦三尊像」も本当は同時に指定されないと筋が通らないような気もします。

しかし今回のいまさらながらとしか思えない三の丸尚蔵館館蔵物国宝指定の一件自体、何やら政治的力学が背景に働いているような生臭さを感じるので、相国寺のお宝はそっとしておいた方が良いのかもしれません。

 

釈迦三尊像」と並びこの企画における目玉の一つは、若冲による鹿苑寺大書院障壁画全幅公開。

常設展示されている部分に加え、50面全てがまさに一堂に会しています。

墨一色で素早く筆を走らせつつ、余白の軽快さを活かした作風。

中でも葡萄の蔓草を配した壁画は写実とデザイン性がとても瀟洒に融合されていて、どことなくモダンな印象すら受けます。

 

後期では若冲の「鳳凰」デザインをめぐる秘密が端的に示された面白い展示を見ることもできました。

明代の絵師林良が描き相国寺に伝来した水墨画鳳凰石竹図」。

この横に若冲による模写と思われる「鳳凰図」が並べて展示されています。

想像上の吉祥動物である鳳凰の容貌。

明代に生きた絵師のデザインが江戸時代の絵師若冲に大きなヒントを与えたであろうことが想像され、相国寺若冲絵画に与えた影響力の大きさを知ることができる貴重な作例です。

 

当然に若冲がメインなのですが、承天閣美術館が誇る円山応挙による傑作の数々も見応え十分。

中でも有名な寺宝「七難七福図巻」がお目見えしています。

前後期、巻替をしつつ、「難」の「天災」部分に今回は特化。

前期では地震と洪水。後期では火事と暴風海難の部分が開陳されていました。

若冲が生きた京都に起きた大火災、「天明の大火」を今回の展示では意識しているところがあり、あえて災難の部分を取り上げたのかもしれません。

とにかく細部の描写力が素晴らしい絵巻です。

「火事」の部分に見られるおぞましい炎の描写は「地獄草子」、「伴大納言絵詞」以来の伝統に加えて、火の温度まで感じられるような凄まじさ。

結構近接して鑑賞できるようにケース展示されていることもあって応挙の超絶的な筆力を明瞭に感得することができました。

 

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細見良の美意識

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細見古香庵生誕120年記念「美の境地」

■2021年8月24日〜10月17日
細見美術館

 

近年の細見美術館は、実業家細見家の実質的な二代目である細見實が好んだ、琳派若冲など、江戸美術を中心とした企画が目立っていたように思います。

 

しかし、この美術館の礎となるコレクションを最初に形成したのは、實の父、細見良(古香庵)です。

主に平安末期から室町あたりまでの作品に焦点をあてて蒐集を行った細見良の美意識は、息子の實とは、同じ日本美術を好んでいたとはいえ、ずいぶん違いがあります。

1901年生まれの古香庵。

今年、彼の生誕120年を記念して開かれた「美の境地」展は、細見美術館の源流を丁寧に回顧していて、地味ではありますが、とても濃密な内容となっていると感じました。

 

どこか遊び心をその蒐集趣味に感じさせる二代目實に比べ、一代で財を成した初代古香庵の眼差しには求道的とも言える真摯さがあります。

三渓益田鈍翁から譲り受けた品々の例に見るように、その由緒を特に気にかけて蒐集していたらしい姿勢が見受けられ、文人紳士然としたところを目指したような気配が感じられはします。

いわば当時の即成実業家特有の俗っぽさが全くなかった人ではないのでしょうし、まとまった美術工芸コレクションをこの時期に作り上げた明治資本家の一典型と見れなくもありません。

しかし古香庵コレクション全体から感じられるのは単なる権威主義的な骨董趣味ではなく、作品自体が静かに美の本質を語り出すような凄み。

鏡や釜といった金工品の数々からは、輝き自体を内に封じ込めた金属が持つ質感から滲む美しさに加えて、器物そのものの正体を見極めようとする古香庵その人の鋭い眼光すら感じられるようです。

 

展覧会の冒頭に置かれているのは、和鏡の最高傑作。

羽黒鏡です。

昭和初期、出羽羽黒山から発掘された院政期頃の作とみられる小ぶりの鏡。

中華帝国に由緒を持つそれまでの銅鏡が権力者の威信財としての荘重な神秘性を帯びていたのに対し、羽黒鏡に表された平安末期の図像は、松や鶴といった典雅なモチーフが、中国銅鏡の厳格なシンメトリーの縛りから解き放たれつつも全体としての気品を保っていて見飽きることがありません。

出羽三山神社東博にも所蔵されていますが、珍しい方鏡を含む細見美術館のコレクションのそれは深みのある色合いや図像の雅さの点で最優美な作例と言えると思います。

 

愛染明王像などの仏教絵画、芦屋釜の優品、豊太閤聚楽第ゆかりの七宝など、派手さよりも形の優美さと色彩の精美さが印象的なコレクションが次々と披露されていきます。

中でも圧巻なのが、古香庵コレクションの代名詞、立体春日曼荼羅ともいうべき「金銅春日神鹿御正体」。

南北朝時代の様式性と象徴性が金工リアリズムによって独特のバランスで結合した神仏習合の傑作工芸彫刻。

圧倒的存在感があります。

 

細見美術館は現在、常設展スペースを持っていません。

規模から見てやむをないと思います。

そのかわり、現代作家の特集を含め、毎回一捻りアイデアを加えた企画展が催されてはいます。

しかし、羽黒鏡や春日神鹿立体曼荼羅は国宝級の優品。

せっかく初代が集めた館蔵マスターピースなのに鑑賞できる機会がアニバーサリー企画などに限定されているのはいかにも惜しいと感じます。

定期的に、企画性は横において、正面から捉えた細見コレクションを堂々と展示する準常設展示の機会をもっと増やして欲しいとも感じました。

 

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