小川晴暘と光三の眼|飛鳥園100年展

 

特別展   小川晴暘と飛鳥園 100年の旅

■2024年4月20日~6月23日
奈良県立美術館

 

奈良国立博物館のすぐ近所に仏像写真を中心に扱う写真館「飛鳥園」があります。

文化財写真家のパイオニア、小川晴暘(1894-1960)がここを創業した1922(大正11)年から2022年で100年が経過したことを記念し、こちらも同じ登大路町にある奈良県美で仏像写真にほぼ特化したユニークな展覧会が開かれています。

地味な企画ですが小川晴暘と彼の三男小川光三(1928-2016)による傑作写真の数々を静かに堪能できる素晴らしい特別展です。

www.pref.nara.jp

 

飛鳥園は現在、晴暘の孫であり光三の甥にあたる小川光太郎氏によって経営されています。
ちょうど奈良博の旧本館(なら仏像館)の向かい側あたりにあり、現在は表通りに面した部分が漬物レストランになっていますが、奥に茅葺民家を模したギャラリーがあり晴暘や光三等の写した仏像写真のポストカードなどを買うことができます。
規模が大きい写真館ではありませんけれども100年以上同じ場所に佇む老舗ギャラリーです。

飛鳥園

 

飛鳥園のギャラリー

 

キービジュアルの一枚として採用されている小川晴暘が撮影した新薬師寺十二神将中の一躯「伐折羅大将像」は彼の代表作であると同時にこの仏像のイメージそのものを決定付けている作品のひとつでしょう。

Wikipediaの「十二神将」の項で採用されている画像もこの小川晴暘による写真です。
(下記はwikiの画像アドレスをコピー・実際展示されている写真ははるかに高精細です)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/Basara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG

 

小川晴暘は左右と正面の三方向から伐折羅大将像を撮影したそうですが、右肩を前景にとらえつつこちらを向くこの写真が最も有名な一枚として知られています。

仏像というのは不思議なもので、こうした有名写真でそのイメージがすっかり脳内で固まっているにも関わらず、実物はかなり違って見えることがしばしばあります。

この「伐折羅大将像」も私にとってはそうした仏教彫刻の一つです。
実際に新薬師寺金堂内でこの像をみると、写真で感じる忿怒の表情が、怒りだけではなくなんとも形容しがたい「快活さ」を多く含んでいるように感じられるのです。
そもそも実際の新薬師寺堂内では晴暘がカメラを構えたアングルでこの像を観ることは特別な許可を得て足場でも組まない限り無理です。
他の神将たちと共に薬師如来を円形に囲む一躯である伐折羅大将像は鑑賞者からかなり高い位置に置かれているため、晴暘のように右肩越しに像の横顔をとらえることはできません。

 

伐折羅大将像がある新薬師寺金堂



晴暘写真では背景をブラックの闇で包み、もっぱら伐折羅大将の顔面のみに光があたるように陰影の演出が施されています。
実際の新薬師寺金堂内ではやや薄暗いものの像全体に光があたりますからこの彫像がもつ装飾性の豊かさに目を奪われることになり、晴暘が作り上げた峻厳なイメージがやわらぐように感じられます。
といって晴暘がとらえた伐折羅大将のイメージが虚構であるわけもありません。
彼の眼はこの傑作塑像がもつ真実の一面を着実に鋭く切り取っています。
結果、実物を前にすると、晴暘撮影による伐折羅大将と実際の伐折羅大将の姿が脳内で交錯し合い、川田喜久治の言葉を借りれば、イメージの「宙返り」が起こります。
小川晴暘の仏像写真にはこうしたイメージの交響を惹き起こすほどの静かな力があるように思えるのです。

 

 

会場では晴暘が写した「伐折羅大将像」のすぐ近くに息子光三が父とほぼ同じアングルからこの像をとらえたカラー写真が展示されています。
照明のあて方もほとんど同じです。
とても面白いことに光三の伐折羅大将は父がこの像から引き出した「怒り」よりも塑像としての純粋な美が軽やかに抽出されているように感じられます。
小川光三も父に劣らず優れた仏像写真を数多く残した写真家ですが、彫像のもつ本来の美を重視した点では小川晴暘以上のこだわりがあった人かもしれません。

その良い例が興福寺の有名な「阿修羅像」に関してとった光三のスタンスです。
この像はどこか甘く憂いを含んだ美少年のような表情が極めて印象的な作品です。
ところが小川光三はその表情をつくっている原因が「斜め上から照らしている陳列ケースや写真の光線の加減である」とし、「甘い像にみせたのは電燈のせいで、私共カメラマンにも責任がある」と厳しく展示や撮影環境の影響を指摘しているのです(『小川晴暘と飛鳥園100年の旅』P.112)。
実際光三が撮影した「阿修羅像」の写真では光源を像の下方におき、本来仏堂内に設置されていた様子が意識されています。
その効果なのでしょう、光三の「阿修羅像」には「憂い」というよりもむしろ「凛々しさ」が強く現れているように感じられます。

 

 

ところで小川晴暘は若い頃、絵画を学んだ人でもありました。
1918(大正7)年には「雪解の頃」(展示されています)と題した油絵が文展に入選するなど画家としての腕前も一級であったことがわかります。
故郷である姫路に所縁があった酒井抱一を尊崇していたという晴暘の画風はとても写実に長けていたようです。
この展覧会では晴暘が中国雲岡石窟を撮影のために訪れた際に描かれた巨大なスケッチが展示されています。
石窟のほぼ全景がとらえられているのですが、立体的な陰影表現を駆使した細密な写実の技に驚く作品です。
晴暘は古建築研究の大家、天沼俊一(1876-1947)と深い親交があり朝鮮などにも彼と連れ立って訪問しています。
雲岡石窟スケッチには寺院風の建造物を描いた部分があります。
そのディテールまでおろそかにしない徹底した描画には天沼の影響があったのかもしれません。
京大の天沼に限らず、會津八一志賀直哉といった奈良ゆかりの文化人とも親しく交わった小川晴暘の多彩な魅力が滲む展覧会です。

 

写真の展覧会ですけれど館内の写真撮影は全面的にNGです。
現在、シニア客中心に大変な賑わいをみせている奈良国立博物館の「空海展」とは対照的に混雑害とは無縁の展覧会とみられます。

なおこの特別展はこの後、姫路市立美術館半蔵門ミュージアム、三重のパラミタミュージアムに巡回する予定です。