京都市交響楽団第688回定期(2024.4.13 京都コンサートホール)

 

京都市交響楽団 第688回定期演奏会

■2024年4月13日 14時30分開演
京都コンサートホール

セルゲイ・プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 作品63

リヒャルト・シュトラウス: アルプス交響曲 作品64

辻彩奈(Vn)

指揮 : ペドロ・アルフテル

 

ウィンドマシーンやサンダーマシーンといった特殊楽器を含む巨大な編成を要するため滅多に実演を聴くことができないアルペン・シンフォニー。
2024-25の定期シーズン初回にこの高コストな難曲をプログラムとして選んだ京響の意気込みがそのまま成功につながったかのような素晴らしいパフォーマンスを楽しむことができました。

www.kyoto-symphony.jp

 

前半のプロコフィエフではソロの辻彩奈(1997-)に瞠目させられました。
しなやかに安定したボウイングによってグァダニーニから艶やかな美音をたっぷり引き出しながら、この作品がもつ理知的なロマンティシズムを見事に表現していきます。
オーケストラとのコミュニケーションにも細やかに配慮するなどすでにある種の貫禄すら感じさせるソロでした。

ただオーケストラについては、ソロが十分にプロコフィエフの語法を体現していたのに対し、やや踏み込みが足りておらず終始平板気味に感じられました。
これはアルフテル(Pedro Halffter 1971-)の安全運転を最優先したかのような指揮にも一因があったかもしれません。
器楽的にとても洗練された作品ですがプロコフィエフは随所にちょっとデモーニッシュなパッセージをはめ込むなど変化の妙を仕掛けています。
アルフテルは丁寧で的確なタクト捌きを見せてはいたものの、そうしたこの曲の面白さを十全に再現していたかというと疑問符がつきます。
先月の広上淳一とのラフマニノフ3番で聴くことができたクオリティに比べてオケの調子も今ひとつと感じられたので後半のシュトラウスに少し不安を残す前半となりました。

辻彩奈は拍手に応えてアンコールをサービス。
スコット・ウィラーの「アイソレーション・ラグ 〜ギル・シャハムのために」が奏されました。
プロコの後にバッハの無伴奏とか聞かされたら嫌だなあと思っていたので素敵に意外な選曲で驚きました。


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ペドロ・アルフテルは周知の通り、スペイン現代音楽を代表する大家クリストバル・アルフテル(Cristóbal Halffter 1930-2021)の息子です。
当然に父の影響もあったでしょうし、自身も作曲をウィーンで学んでいますからスコアリーディングは非常に優れているとみられ、作品の構造的美しさをかっちり抽出できる指揮者といえます。
プロコフィエフでもその美質が現れてはいたのですが、表現の振り幅がいかにも狭い印象を受けてしまいました。

ただ後半はこの指揮者の実力が俄然発揮される展開。
不安は杞憂に終わりました。

アルプス交響曲」は「嵐」の部分に代表されるように耳をつんざく大音響シーンがクライマックスのように思われがちな作品です。
しかしこの曲の本当の素晴らしさは冒頭と終わり、つまり登山の前と下山後に奏でられる弱音部分や「嵐の前の静けさ」に聴かれる、まるで工芸品のようなシュトラウスによる精緻に繊細な管弦楽法の妙にあります。

アルフテルはそうした弱音の美しさにとても気を配っていました。
弦群をよく統制しつつ管楽器群を的確に明滅させていくことによりこの曲がもつ恐ろしいまでに広い音響のダイナミックレンジを立体感を確保しながら再現していきます。
京響もややもたつき感があった前半のプロコから完全に立ち直り、アルフテルの明確な指揮に応えて圧巻の演奏を披露。
もっと緩急の落差をつけてドライヴをかけて欲しい場面がなかったわけではありませんが、ここまで誠実かつ丁寧なシュトラウスも珍しいのではないでしょうか。
感銘を受けました。

なお「登り道」のパートで奏されるブラスのファンファーレは今回、舞台裏ではなくPブロックの後方、オルガンの前に整列した別働隊によって奏されました。
ホールの構造上仕方がないのかもしれませんがこの部分はやはり「遠くから聞こえる」ような効果が欲しかったところではあります。

先月のバルトーク&ラフマニノフに続き意欲的なプログラムで非常に楽しめた演奏会となりました。

 

 

池上秀畝回顧展|練馬区立美術館

 

生誕150年 池上秀畝ー高精細画人ー

■2024年3月16日〜4月21日
練馬区立美術館

 

わずか1ヶ月余りの会期しかないことが惜しいくらい非常に面白く充実した企画展です。

池上秀畝(1874-1944)の画業をたどる大回顧展。
その後期展示(4月1日〜)にお邪魔してみましたが、前期も観ておくべきだったと後悔しています。

www.neribun.or.jp

 

池上秀畝の作品をまとめて観た記憶がありません。
というより一枚もおそらく鑑賞したことがないかもしれません。
都内では東京国立近代美術館東京都現代美術館、皇居三の丸尚蔵館に秀畝作品が何点か収蔵されているのでコレクション展等で披露されたことはあるのかもしれませんが、鑑賞機会を逸してきたようです。

関西にほとんど縁がない日本画家でもあります。
本展では京都大学人文科学研究所から出展されている「秋日和」という一幅が紹介されていますが、これが「奇跡的に」近畿圏で所蔵される唯一の秀畝作品であろうと解説されていました。

本展に合わせて刊行された公式図録(青幻社)の参考図書欄にある過去の展覧会図録リストをみると、1970年代以降、4回ほど秀畝の回顧展が開催されていることが確認できます。
しかしその内の3回は彼の故郷、長野県で開かれたものであり、都内では1988年に練馬区立美術館が「山水花鳥の美 池上秀畝」展を開催しているにすぎません。

練馬区立美術館は生誕150年を記念しつつ今回、なんと36年ぶりに全国規模ではほとんど忘れられていたこの画家を再び取り上げたことになります。

 

展覧会冒頭に掲示された解説ボードの中で、池上秀畝は菱田春草(1874-1911)等の「新派」に対し「旧派」を代表する日本画家と説明されています。
ただ「旧派」の代表格といえば、秀畝よりもむしろ師匠であった荒木寛畝(1831-1914)がその重鎮としてよく知られた存在ではなかったかと思います。
また旧派の流れを受け継いだ画家としては、その寛畝の養子となった荒木十畝(1872-1944)の方が秀畝よりも知名度は高いかもしれません。

官展における華々しい活躍と大量に残された作品群、そして何より今回の企画展で明らかにされている驚くべき画力を有していながら、なぜ池上秀畝は彼の地元以外ではその名がほとんど知られることがない存在になってしまったのでしょうか。

どうやら「近代日本絵画史」という気流における奇妙なエアポケットの中に秀畝という人はすっぽりはまってしまっていたのかもしれません。

明治以降の近代日本画は非常に複雑な歴史をもっています。
しかし、現在においてスポットライトがあてられがちなメインストリームはごくごく大雑把にいって二系統に単純化できるともいえます。
すなわち岡倉天心(1863-1913)によって開かれた日本美術院所縁の横山大観(1868-1958)や下村観山(1873-1930)、菱田春草らとそれに連なる画家たちの流れと、竹内栖鳳(1864-1942)や山元春挙(1871-1933)に代表される京都画壇です。

結果としてこの流れの中に存した画家たちは濃淡はあるものの近代日本画史に名前を残すことになり回顧される機会もそれなりにあるといえます。
大きな二つの系統はその傍流や代表的な対抗勢力をも巻き込んで日本画史を形成していくことになりますから、「旧派」にも一定の歴史的存在価値が与えられてはきました。
しかし旧派はあくまでもメインストリームを語る上でのカウンター的存在であり、さしあたってその代表格としては荒木寛畝や十畝の名前をおさえておけば、日本絵画史を専門に扱うような人は別にして、一般的には十分だったと考えられます。

池上秀畝はこうした単純化された近代日本画史の流れに実にのりにくい画家なのです。

また少し意地悪な見方をすれば、秀畝自身にも近代日本画の歴史から抜け落ちてしまう要因をつくった面があったといえそうでもあります。
彼は世間の見方はともかくとして「自分は新派でも旧派でもない」と公言していました。
師匠の荒木寛畝は秀畝の実力を、養子とした十畝よりも高く評価していたそうなのですが、秀畝自身は旧派を背負って立つというようなガツガツした精神を持ち合わせてはいなかったようです。
結局、政治的な対応も得意だった十畝が旧派内で重要な立場を得たことにより秀畝の存在感は「旧派の画家」としても薄れていくことになります。
後世になって絵画史を俯瞰したとき、実力とそれに見合う評価を生前受けていたにも関わらず、秀畝よりも十畝の名前が「旧派」を語るとき前に出てきてしまうのは、こうした秀畝自身のあっさりしすぎていた姿勢に一因があるようにも思えます。

 

 

池上秀畝の作品をみていると実に不思議な感銘を受けます。
とても高度なテクニックとヴィヴィッドな彩色のセンスで事物景物が写されています。
しかし画家独特の手癖というか主観はほとんど表面に現れていないようにも感じます。
一見、非常に写実的な絵画と感じるのですが、その一方でとても様式美が尊ばれているのです。
リアルさと形式性が奇妙なほどハイレベルで結合しているため画家の「視点」がどこにあるのかわからなくなってくるような印象すら受けます。
師匠寛畝から厳しく仕込まれた写生の技術と谷文晁まで遡る伝統的様式美がこの画家の中で非常に純度高く融合していることがどの作品からも如実に伝わってきます。

池上秀畝を支援した階層に皇室や華族が含まれていたこともよく理解できます。
この人の画風には少しも主観的な「臭み」がないのです。
といって品格のみを重んじた地味さとはむしろ反対であり、どの作品からも一種の華やぎが感じられます。
形式性を重視した華麗な作風は目黒雅叙園でも絶大な効果を発揮したことでしょう。
本展では雅叙園内をかつて彩った秀畝のスタイリッシュな蝶の舞を見物することができます。

ただそうした秀畝の美質は時代が下るに従ってその様式性のみが目立ってしまうことにつながったといえるかもしれません。
日本画の美しい「パターン」を数多く熟知していた彼は高度な技巧を駆使しつつ実に大量の作品を描くことができました。
一方で、画家を象徴するような主観が込められたアイコニックな作品は生まれにくかったということなのでしょう。
このことも池上秀畝がその実力に比して忘れられた画家となってしまったことにつながったといえそうです。

晩年近くになって秀畝は歴史画のジャンルに挑んでいます。
ここに至ってようやくこの画家の「主観」がはっきり反映された作品が登場します。
亡くなる前年である1943(昭和18)年、元寇を題材として描かれた一種の戦意高揚画「神風」(靖国神社遊就館蔵)です。
画面全体を覆い尽くすモノクロームによる波濤の中で元軍の船が沈没していく様子が描写されているのですが、炎上する船は黄金の光を纏い独特の幻想美を感じさせます。
色彩は抑制され少しモダンな雰囲気すら漂わせつつ、丹念に描き込まれた波の線描には伝統的な日本画の美しさが十分に表されています。
今となっては禍々しい歴史的背景をもってしまった作品ですが、そうしたことを横に置けば、この作品こそ池上秀畝を代表するアイコニックな大作といってもよいかもしれません。

 

全作品について写真撮影不可となっています。

なお本展はこの後、長野県立美術館に巡回(5月25日〜6月30日)します。
この練馬展で見逃した前期展示品を追っかけて鑑賞してしまいたくなる欲求をこれから果たして抑え込めるか、ちょっと心配です。