ピエール・スーラージュと森田子龍|兵庫県立美術館

 

 
スーラージュと森田子龍

■2024年3月16日~5月19日
兵庫県立美術館
 
現代フランス抽象画と前衛書におけるとても高名な巨匠二人のコラボレーション展ですが、集客性の面ではかなり難しい企画ではないかとみていました。
予想通り兵庫県美内はとても閑散(平日)としていましたけれど、その分、静かにじっくり作品たちと対峙することができる展覧会だと思います。
素晴らしい時間を過ごすことができました。

www.artm.pref.hyogo.jp

 

兵庫県立美術館の林洋子館長による挨拶文「メッセージー150年を越える日仏交流の歴史を受けて」によれば、この企画はもともと2020年度に開催が予定されていた事業だったのだそうです。
コロナ禍によって延期され、ようやく今年開催することができた経緯にありますが、残念ながら主役の一人であるピエール・スーラージュ(Pierre Soulages  1919-2022)は本展の開催を待たずに一昨年、102歳で亡くなっています。

ところで兵庫県はフランスのアヴェロン県と姉妹提携関係にあります。
会場の入り口付近にアヴェロン県の地理歴史等に関する紹介パートが置かれていました。
スーラージュはアヴェロンの県庁所在地であるロデーズの出身であり、同地には2014年に「スーラージュ美術館」(Musée Soulages)が開館しています。

musee-soulages-rodez.fr

 

2018年、日仏文化交流事業の一環としてスーラージュ美術館で「具体:空間と時間」展が開催され、兵庫県美が有する具体美術協会関連のコレクションが同展に出品されたのだそうです。
本展はそのお返しとして企画されたものであり、ロデーズからスーラージュ作品が多数来日しています。
なお兵庫県美は2020年の冬、当初予定されていなかった「今こそGUTAI展」を開催していますが、これはひょっとするとコロナでその年の実現が見送れられたという、このスーラージュ美術館からの返礼展の穴埋めとして企画されたものだったのかもしれません。
「具体」が二つの美術館の架け橋となり救いともなったということなのでしょう。

 

 

ただ、スーラージュ自身は実は「具体」にそれほど興味があったわけではないそうです。
複数回来日したこともあるこの抽象画の巨人が関心をもった対象はむしろ伝統的な日本文化の方でした。
1958年に初来日したスーラージュは京都や奈良に滞在。
その折に森田子龍(1912-1998)と出会い、書について語り合う関係となります。
森田子龍は豊岡の出身でもあり、兵庫県所縁のアーティストとしてスーラージュとの共演に相応しいと判断されたのでしょう。
二人の芸術性にみられる似通った部分と違った部分が味わい深く共鳴する素晴らしい内容の特別展に仕上がっていると思いました。

 

ピエール・スーラージュ「絵画 143X202」(部分)(スーラージュ美術館蔵)

 

会場内のモニターで興味深い映像が流されています。
ベルギーの現代アーティスト、ピエール・アレシンスキー(Pierre Alechinsky 1927-)が制作した「日本の書」(Calligraphie Japonese)という短編作品です。
アレンシンスキーもスーラージュと同様、あと3年で100歳を迎えるという長寿の人ですが、これは1955年頃、彼がまだ20歳代にあったときに写されたモノクロ映像。
京都市内が撮影の中心地となっているようです。
伝統的な書家たちと前衛書を世に問い始めた書家たちを淡々と紹介した映像の後半、40歳代半ばを迎えていた森田子龍が登場します。
モジャモジャの髪を振り乱しながら筆を紙に叩きつける書家の気迫が映像から伝わってきます。
ちなみに森田の次に登場するのは篠田桃紅(1913-2021)。
森田とは対照的にサラサラとスマートにまるで筆を魔法の杖のように扱って書を仕上げていく壮年期の桃紅にも驚く一編です。

 


www.youtube.com

 

抽象性を高めていった前衛書がスーラージュに代表される当時の抽象絵画と接近することは当然の流れだったといえるかもしれません。
しかしスーラージュ自身は書との共通性を認めながらも、抽象絵画と前衛書が決定的に違うことも十分意識していました。
書は何よりも「文字」です。
前衛書がいくらその抽象性を高めようと「表意」が大前提になっている以上、具象の呪縛から解放された抽象画の世界とは最終的に相容れないものであるということをスーラージュは心得ていました。

他方、森田子龍に代表される前衛書がもつ独特の筆致、黒と白の対比から生まれる美しさはスーラージュが追求した芸術とも強く響き合う部分があります。
「似て非なるもの」という言葉は一般的にはネガティヴな表現に使われることが多いと思いますが、本展でみられる「相似」と「相違」の共鳴関係は逆に積極的な意味で、非常に美しい「似て非なるもの同士」といえるのかもしれません。

 

ピエール・スーラージュ「絵画 130X162」(部分)(富山県美術館蔵)

 

森田子龍は京都を中心に活動していた人ということもあり、京都国立近代美術館がたまに前衛書をコレクション展で特集したりすると彼の作品も見ることができました。
ただこれほどの規模でまとめて鑑賞できたのははじめてです。
60年代からは黒漆と金泥を組み合わせたダイナミックな作品を発表するなど旺盛に活動を続けた人です。
ただ個人的な好みでは1950年代、書自体の解放と書の意味を鋭く自問していた頃の作品に惹かれました。

スーラージュ作品は先述の通りその多くがスーラージュ美術館から出展されているものですが、国内からも数点優品がゲストとして招かれています。
中には箱根の「彫刻の森美術館」からはるばる運ばれてきた大作「絵画 324X400」もあり、丸ごと一室を使ったその展示は圧巻です。
抽象をさらに突き抜けた宗教性のようなものまで感じられる世界に浸れる空間となっていました。

大型作品の比率が高いこともあり、比較的余裕をもたせた展示構成となっています。
来場者が少ないこともあって一点一点とたっぷり対話することができます。
静かに豊かな時間を過ごすことができました。

なお、スーラージュの作品の多くは写真撮影OKとなっていますが森田子龍作品についてはNGです。

 

ピエール・スーラージュ「絵画 92X73」(東京国立近代美術館蔵)