八木一夫が見たもの

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キュレトリアル・スタディズ15 : 八木一夫の写真

 ■2021年11月11日〜2022年1月16日
 ■京都国立近代美術館

 

京都国立近代美術館、2021年度第4回コレクション展がはじまりました。
今年生誕150年・没後90年をむかえた都路華香のミニ特集からはじまり、特別展「上野リチ」と連動したモダン - ポストモダンデザインの回顧、香月泰男の比較的珍しい寄託品を中心とする展示など、見応え十分。

キュレトリアル・スタディズ「八木一夫の写真」については特に力を入れていて、スペースはさほど広くはありませんが、写真の点数だけみればちょっとした企画展並み。
専門写真家でもないのに図録を兼ねた写真集まで販売。
珍しく宣伝用のポストカードも作られ、岡崎周辺のギャラリーなどに置かれています。
八木家の全面的協力姿勢が伺えます。

 

その写真集の表紙やポストカードに使われている「自宅にて」という一枚で印象的なシルエットを浮かばせている子供は八木の次男、正氏なのだそうです。

正氏や、長男で現在陶芸家として活躍している明氏とみられる子供たちを被写体とした写真には、率直な愛情に満ちた視線とともに、ちょっとひねって撮ってやろうという、八木の陶芸作品につながるスパイスが効いています。
そのせいか、しばしば見ている方が恥ずかしくなってしまう露骨な身内愛表現が不思議と薄められているように感じます。

 

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八木一夫は1960年代前期から中頃まで、盛んに写真を撮ったのだそうです。
そこには好奇の眼を輝かせて動き回る子供たちに触発され、その眼と同じような視線で人物景物をとらえてみようという動機が、ひょっとしたら、あったのかもしれません。

このころの八木は小型カメラを持ち歩き、散歩途中の風景などをとにかく撮りまくったらしい。
京都市内周辺に加え、常滑信楽など、やきものに関連した旅の風景も多くみられます。
八木家に残された夥しい数の写真から100点ほどが選ばれ、今回展示されています。
昭和36,7年頃に撮影されたものが多く、全てモロクロ写真です。

 

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即興的に撮影されたようなスナップ写真が大半です。
だからこそというべきなのでしょうか。
作為なく撮られたようでいて、そこには面白く苦みばしった前衛陶芸の人、八木一夫の眼が強く感じられます。

身近な京都市内を写した写真には、清水寺知恩院、青蓮院といった名所も登場しますが、紋切り型の構図はほとんど見受けられません。
雪化粧した清水の舞台。
でもお決まりともいえる奥の院から本堂を捉えた俯瞰図はありません。
舞台の上で雪合戦をする子供たちの動きをブレブレの視点で捉えた写真からはその場に居合わせたような臨場感が伝わってきます。
知恩院の三門もお馴染みの堂々たる全体像ではなく、門の内部を登っていく途中から見える斗栱の明暗を楽しむような構図。
青蓮院では長屋門前の苔むしたクスノキの幹や根に焦点が合わされ、植物の異形さが際立たされています。
もちろん、いかにも名所絵的なアングルの写真も撮られていたのかもしれず、今回は選ばれなかっただけなのかもしれませんが。

 

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それと、八木や鈴木治、山田光たちが結成した走泥社には加わらなかったものの、一種の盟友ともいえる陶彫の人、辻晉堂が風邪で寝込んでいるところをとらえた写真。
八木の視線には病人を気の毒がっている様子はあまり感じられず、ボサボサ頭に無精髭でいかにも不健康そうな辻をなんとなくからかっているようにもみえます。
「正月に大風邪をひく辻晉堂氏」というタイトルがそもそもおかしく、笑いをこらえるのに苦労しました。

 

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十条あたりで写されたという自転車とみられるスクラップの山。
団栗橋近辺を走る京阪電車の横でくたびれたようにうつむく屋台。
穴の空いた土塀から覗く子供の顔。
時代祭の見物に疲れて心底うんざりとしたように座り込む人々。
60年代初頭に見られたのであろう、明と暗の対比が軽いアイロニカルな視点を含めて捉えられていますが、特段ポリティカルな要素が強く持ち込まれているわけではないように感じます。
面白いから撮っているだけ。
そんな風に見えます。
だから余計、漠然としながらも当時の京都が持っていた明暗が拮抗するカラカラとしたような空気が伝わってくるようです。

 

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写真と合わせて、八木の陶芸作品が数点陳列されています。
前にも感想を述べた「白い箱 OPEN OPEN」がまるで八木のカメラと呼応しているようです。
展示コーナーの中央にあるのはオブジェ「妖精の信号のように」。
タイトルがそのままかたちになったような作品で、ユーモアと、乾いているようで実はじっとりと胸にくる寂寥感が伝わってきますが、この感じこそ、八木の眼が捉えた写真と共通するところだと思います。

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めがねを想像させるような「ノー」という陶芸作品が置かれています。
10冊以上のアルバム、数千カットもの写真を撮り続けた八木が、60年代後半以降、なぜさほどカメラの眼を持たなくなったのか。
それは、わかりません。

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