清水九兵衞=七代清水六兵衞 生誕100年

 

生誕100年 清水九兵衞/六兵衞

 ■2022年7月30日〜9月25日
 ■京都国立近代美術館

www.momak.go.jp

 

実にたくさんの名前をもっていた人物です。

1922(大正11)年5月15日、この人の生まれたての名前は塚本廣。
名古屋の人です。

1951(昭和26)年、六代清水六兵衞の養嗣子となってからは、「清水洋」、「清水裕詞」
の名前を使い、陶芸家として京都・五条坂で制作。

ところが1966(昭和41)年、突然「五東衞」と名乗って、金属オブジェのようなものを発表。

そのわずか2年後、1968(昭和43)年、「清水九兵衞」の名で完全に彫刻家に転向し、陶芸の世界から離脱してしまいます。

しかし、結局、1980(昭和55)年、六代清水六兵衞が亡くなると、「七代清水六兵衞」を襲名。
この名を並行して使用し、再び陶芸家としても作品を発表していきます。

2000年、長男に八代の名跡を譲った後は「清水九兵衞」単独名で制作を続行。

2006年7月21日、84歳で亡くなりました。

 

 

生涯で6つの名前を使用していたことになります。

(清水家に入る前後に「塚本洋士」「清水洋士」の名を一時的に使ったこともありますから、正確には8つ)

 

清水家は、代々、当主を継ぐと「六兵衞」に戸籍名も変えてしまうのだそうです。

とすると、「塚本廣」として生まれたこの人は、息子に「六兵衞」を譲った後、どんな戸籍名で亡くなったのでしょうか。

六兵衞のままだったのか、九兵衞に改めたのか、それとも全く別の名前を戸籍に登録したのか。

 

それはともかく、「名は体を表す」に、ある意味、ずいぶんと即していた人ともいえます。

今回の大規模回顧展では、彫刻家「清水九兵衞」をコアにしつつ、その前である「清水洋・裕詞・五東衞」時代と、「七代清水六兵衞」襲名後の陶芸作品を並置。

170点近い圧倒的なボリュームでこの作家に迫った企画展です。

 

 

「洋・裕詞」時代における陶芸作品をみると、同時代、京都で活躍していた八木一夫等、走泥社風のやや前衛に傾いた作風を認めることができます。

しかし、例えば八木の「ザムザ氏の散歩」に代表されるような、強いキャラクター性というか、諧謔性みたいなものは希薄。

良い意味で真面目なのです。

この人の中にはとにかく「フォルム」という要素への強い希求性があるので、一見、尖ったセンスの作品にも、かたちそのものがもつ純粋な美的有り様が尊重されていて、崩されることがありません。

 

20歳になるまで名古屋で建築を学び、京都とも陶芸とも縁のなかった「塚本廣」を、なぜ江戸後期から続く作陶の名家、六代清水六兵衞が養子として迎えたのか。

その真の事情は当事者たちでしかわからないことですが、一つには、塚本廣がもっていた「かたち」に対する峻厳ともいえるセンス、もっといえば、「品位」のようなものを六代が感じとっていたからではないかと想像しています。

 

塚本廣は1950(昭和25)年、東京藝大時代に、同校の徽章デザインに関するコンペで優勝し、今でも藝大ではそれが使われています。

養嗣縁組の話はこの藝大時代に持ち上がっています。

www.geidai.ac.jp

 

清水家に入るまでほとんど陶芸に手を染めていなかったにもかかわらず、「清水洋」としてデビューすると、またたくまに入賞作品を手がけ、五代、六代の六兵衞とは全く違った作風を斯界で確立してしまう。

後継者として彼を受け入れた六代六兵衞の眼は確かなものだったともいえます。

 

しかし、肝心の「土」という素材について「おしゃべりだ」として嫌悪を示しはじめたこの人は、結局、「清水九兵衞」と名を変え、アルミニウム等の金属を素材に選んで作品を発表。

家業であった陶芸の世界から遠ざかります。

六代六兵衞は、こんな九兵衞のふるまいについて特に制限を加えるようなことはしなかったようですが、内心は決して愉快なものではなかったと推測されます。

九兵衞による夥しい野外彫刻作品は、どう見ても清水家の家業とは全く異質なものであり、その活躍が華々しいほど、複雑な心境にあったのではないでしょうか。

それでも九兵衞の行動を認め、絶縁するわけでもなく「清水」名の使用まで許したのは、九兵衞の中にある「品位」を六代六兵衞が認めざるをえなかったからと思われます。

他方、九兵衞も、七代を継いでからの陶芸作品を見ると、厳格な形状へのこだわりの中に、六代が得意とした金による繊細な模様づけなどを試みていますから、「六兵衞」の名前を十分意識していたと受け取ることができるかもしれません。

この人は律儀なまでに「名前」にこだわっていたのです。

 

さて、今回、まとめて鑑賞して清水九兵衞/六兵衞と共通した美質をもっている画家が想起されました。

ジョルジョ・モランディです。

この画家の静物画にみられる、静かに語り出すような「モノ」の存在感。

清水九兵衞/六兵衞が描いたデッサンなどをみると、モランディと同じく、モノのもつ本質的な形状を掴み取ろうとする明確な意志が感じられます。

しかも、それが単に「モノ」として孤立するのではなく、「語り出す」ように生起してくるような感覚。

 

全国いたるところに展示されている清水九兵衞の彫刻作品が、なぜこんなに受け入れられているのか。

その理由は、露天でも維持保存が比較的容易な素材であるアルミニウムが使われていることももちろんありますが、その形状が具体的な物語を主張しはじめる寸前のところでふみとどまりつつ、「モノ」そのものものが語り出すような「かたち」の絶妙な抽出手法にあるような気がします。

 

晩年にたどりついた、極限にまで純化された和紙とクリスタルの組み合わせによる作品などをみると、「かたち」に対するこの人の感覚はどこまでも研ぎ澄まされていったように感じられますが、それでも不思議に良質な穏やかさが滲んできます。

最後まで「品位」を大事にした人だと感じました。