八木一夫「ザムザ氏の散歩」と京都|走泥社再考展

 

開館60周年記念
走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代

■2023年7月19日〜9月24日
京都国立近代美術館

 

京近美、開館60周年記念シリーズの第三弾です。

大小180点あまりの作品で埋め尽くされた、前代未聞の「走泥社」大総括展。

アニバーサリー企画にふさわしい、とても充実した内容に仕上がっていると思います。

www.momak.go.jp

 

図録(青幻社刊)の中に掲載されている、京都国立近代美術館の大長智広主任研究員の論考(「今、走泥社を「再考」するということ」)によると、走泥社を網羅的に扱った大規模な企画展は、全国規模でみても、今回が初めてなのだそうです(P.270)。

ちょっと意外でした。

 

1948年に京都で結成されたこのグループの活動は、日本の近代陶芸を概観する上で絶対に避けて通ることができない重要な要素の一つです。

しかしその紹介のされ方は、もっぱら初期の主要メンバーである八木一夫(1918-1979)、山田光(1923-2001)、鈴木治(1926-2001)、彼ら三人の仕事に焦点が絞られていたり、有力な同人として活躍した熊倉順吉(1920-1985)の個展などに代表されるように、グループ全体というより個々の作家単位となる傾向にあったようです。

 

今回の企画は、「再考」とはありますけれど、これまでの作家単位という枠を超え、このユニークな集団の全貌を実質的に初めて明らかにするという意味で、非常に画期的な役割を帯びていて、大袈裟にいえば、今後このグループを語る上で欠かすことができなくなるであろう、「歴史的」展覧会だと思います。

 



八木一夫、あるいは走泥社そのものを代表するといってもよいかもしれないアイコン的傑作、「ザムザ氏の散歩」が、当然、陳列されています。

これは令和4年度に京近美が新たに収蔵した作品。

購入額は42百万円です。

美術作品購入情報 | 独立行政法人国立美術館

 

(なお、本展は全体として写真撮影禁止ですが、この作品の他、八木の「二口壺」と「月」の計3点のみ、OKとなっています。)

 

1954年に発表されたこの作品は、その摩訶不思議な形状自体が異様な存在感を放つマスターピースであることに違いないわけですが、他にも主に二つの点で、象徴的な存在であると考えています。

 

一つは、これも図録内の大長主任研究員による文章で指摘されている、「轆轤」との関係性です。

全体として生物とも無生物とも受け取れそうな、複雑に幻想的物体が現されている「ザムザ氏」。

しかし、この作品をよくみてみると、出鱈目なファンシーデザインではなく、大小の円筒が緻密に組み合わされたやきものであることに気がつきます。

しかも、それらの円筒は「轆轤」で形成されているのです。

 

つまり、八木一夫は、一見、ロクロという極めて伝統的な装置と技術を用いて「ザムザ氏」を創造したということになります。

ところが、出来上がった「ザムザ氏」からはロクロを回す昔ながらの陶芸家の姿は微塵も想像できません。

乾由明は、かつてこのことを、八木が「轆轤というものをはっきり機械としてとらえ」たと指摘し、作家の画期性を強力に評価していました(図録P.273)。

それまで、工人の手と一体になるような、いかにも「陶芸家」的な装置として表象されていたロクロを、あくまでも作品制作における「機械」と断じ、つきはなして使用していることが、伝統陶芸との決定的な差異として認識された、ということなのでしょう。

 

八木一夫「二口壺」

八木一夫「月」

 

でも、この乾の評価ってなんかおかしいようにも感じるのです。

「ザムザ氏」のイメージが、仮にはじめから八木一夫の中に明確にあったのだとすれば、別にロクロを使わずとも、円筒の形状は生成することができたのではないか、そんな想像はできないでしょうか。

作品を構成している円筒は、手捻りだろうが、他の型枠を使おうが、何でも良かったはずです。

 

にもかかわらず、ロクロがあえて用いられているのです。

そう考えると、「轆轤を機械として使った」ことが画期的なのではなく、「なぜ、あえて轆轤にこだわったのか」ということの方が重要ではないかと思えてきます。

 

八木一夫は、五条坂、つまり京都における陶芸の一大中心地で生まれ育った生粋の京都人です。

父の八木一艸は伝統的陶芸の大家でした。

この極めて保守的な世界で、「何の用にもならない」、目的をもたない「オブジェ焼き」を創造することに対する、京都という環境が八木一夫に作用した、彼を押し潰そうとする「重力」は大変なものであったのではないかと容易に想像できます。

 

一方で、この街のもつ「重力」は、あまりにも個々人にとって理不尽にすぎることもあって、ときに、それとは正反対の「斥力」となって暴走的に働くことがあります。

家業の重さ、伝統の縛りにうんざりし、何かの弾みにとんでもない力で突拍子もないものを生み出してもしまうという意味での「斥力」です。

 

例えば、今ではほとんど消滅してしまいましたが、一時、市内には北山通などを中心に、高松伸によるドンデモ系のハリボテ的未来建築が雨後の筍のごとく出現したことがあります。

バブル景気がきっかけとなって、京都の「斥力」が突然、暴走した例の一つです。

八木や鈴木、山田が京都で始めた走泥社のムーヴメントも、暴走とは言えないまでも、戦後、一気に噴出した京都の「斥力」が生み出したものの一つではないかと想像しています。

 

でも、この街にはさらにややこしいところであって、高松伸の建築をほとんど取り去ってしまったように、「斥力」をそのままに、野放しにするほどその「重力」はヤワではないわけです。

特に五条坂という横にも縦にも強力な「家」や「業」の中で生まれ育った八木一夫の中には、どうしても振り払えない、「重力」が残っていたのではないでしょうか。

それが「轆轤」だったのではないかと推測しています。

 

乾が「機械として使った」と肯定的に断じた新時代のロクロは、八木にとってみれば、むしろ、振り払おうにも払いきれない「重力」だったのではないでしょうか。

それをあえて「機械」と割り切ることで、ようやくその使用について自分の中で納得することができたとみる方が、自然なようにも思えるのです。

「ロクロのザムザ」を観る度に、八木の中に渦巻いた「斥力」と「重力」の攻防がうっすらと浮かび上がるようにも感じられます。

ただ、一方で、そうした京都五条坂八木一夫に及ぼした「重力」と「斥力」の微妙な関係性が、安定と不安定の狭間を体現しているような、極めて独創的に完成度の高い作品としての「ザムザ氏」につながっている、とも言えそうです。

 

八木一夫「ザムザ氏の散歩」

 

もう一つ、「ザムザ氏の散歩」から浮かび上がってくるシンボリックな要素があります。

それは、他ならない、「作品名」自体にあります。

 

この作品は、名前を知らずに観た場合と、知ってから観た場合とで、随分と印象が変わってしまうように感じます。

先入見なく鑑賞した場合、奇怪な容貌に対する気味悪さが強く印象づけられると思います。

しかし、これがカフカ『変身』の主人公、グレゴール・ザムザと結びつけられ、その「散歩」というタイトルがつけられると、印象が窯変してしまうのです。

奇怪さに加わる、なんとも言えない可笑しさ。

諧謔」という言葉がこれほどしっくりくるやきものもありません。

「ザムザ氏の散歩」は、物体自体とタイトルが一体となって、その魅力が倍化されるという、不思議な作品でもあるのです。

 

鈴木治「土偶」(コレクション展 展示時に撮影)

 

八木の作品に限らず、走泥社に属したアーティストによる作品の多くから、軽妙な、あるいは先鋭なユーモアが感得できると思います。

重苦しい「正統」や「伝統」に対する反逆を表す前衛の態度において、それを真正面から青臭く示すのではなく、一旦、「可笑しみ」の中にかくして肩透かしを喰らわせる技。

陶芸を「用の美」から切り離す、その本来ならヒリヒリするくらい軋轢を生みそうな行為において、抵抗勢力からの攻撃を半身に構えて受け流しつつ、しっかり相手を「刺す」スタイル。

これも実に「京都」的な態度の一つでしょう。

「重力」と「斥力」の合間を縫った、微妙な境界を往来しようとする走泥社の人たち独特の「話法」を感じることができます。

 

宮永理吉「海」(コレクション展 展示時に撮影)

 

50年にも及んだ走泥社の活動について、本展では区切りをつけ、その前半に期間を限定しています。

70年代後半以降、各作家のスタイルがあまりにも多様化してしまう中、海外作家の活躍による日本陶芸の「相対化」も相まって、「走泥社」としての「くくり方」が困難になったことから、こうした割り切りがなされたようです。

 

個人的には、走泥社が、京都が及ぼす「重力」と「斥力」のせめぎ合い、そしてその二つの力との「間」の取り方といったようなものが生み出した独特の「諧謔」を失ったとき、実質的にこのグループの役割は終わっていたのではないかと勝手に妄想しています。

その終焉とは、おそらく、最後まで走泥社的センスを保持していた熊倉順吉が世を去った1985年あたり、なのかもしれません。

 

熊倉順吉「風人'67」(コレクション展 展示時に撮影)

 

なお、この企画展は京都の後、岐阜県美術館、岡山県立美術館と巡回し、来年2024年の4月20日から東京展が開催される予定となっています。

都内の会場は、なんと、虎ノ門菊池寛実記念 智美術館です。

膨大な作品群をどうやってあの決して広いとはいえない館内で展示するのかと思ったら、前後期に分けて大幅に入れ替えし、9月まで半年近くかけて展示するようです。

これはこれで楽しみな企画です。